和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

司馬さん・柴田穂さん。

2016-02-15 | 産経新聞
今日は新聞休刊日。
産経新聞の昨日2月14日は
徒然草に司馬遼太郎に柴田穂(みのる)
が目に止まったので、その箇所をもう一度読む。

産経抄のはじまりは

「『へぼ将棋王より飛車をかわいがり』と
古川柳にある。飛車は盤面の縦横ににらみが利く。
使い勝手がよいーと重宝するあまり、
肝心の王将が丸裸になっていた。
道理をわけまえぬ素人考えを、
蔑(さげす)んだ一句である。」


このコラムのおわりに徒然草が


「どんな野心があるにせよ、
金正恩第一書記の末路は詰んでいる。
自身は太陽のつもりかもしれなが、
先祖2代の七光に照らされた月が
関の山である。
『月満ちては欠け、物盛りにしては衰ふ。
万(よろず)の事、先の詰まりたるは、
破れに近き道なり』と『徒然草』にある。
粛清と軍拡に明け暮れる独裁者が、
いずれ身をもって知る戒めであろう。」

はい。徒然草に、こんな箇所が
あったのですね。


さてっと、
鹿間孝一の「論説委員日曜に書く」。
そのはじまりは

「司馬遼太郎さんが逝って20年が過ぎた。
12日が命日だった。
大阪発行朝刊に山野博史関西大法学部教授が
連載している『司馬さん、みつけました。』
に興味深い記述があった。・・」


うん。ここからが魅力でして
それは全文を味読した特権(笑)。
つながる文章を、
無情にも省略して引用するとしたら、
私はここにします。

「司馬さんは戦車兵として学徒出陣した。
『雑談である』とことわって
『なぜそのとき反戦しなかったのかという
ふしぎなことをいまの学生は問うそうだが、
歴史は段階をもって進んでいる。
この一事が理解できない人間というのは
一種の低能かもしれない』
(「歴史を動かすもの」から)
全共闘による大学紛争、ベトナム反戦などを
背景とした45年1月の文章である。
珍しくストレートで厳しい表現だ。」

ここから、「SEALDs(シールズ)」を
とりあげて鹿間氏は文章の最後をこうとじます。


「選挙権年齢が18歳以上に引き下げられる
ことを考えると、若者が政治に関心を持つ
ことは歓迎だが、一方で危うさも感じる。
一時の熱や酔いではいけないし、まして
未熟につけ込んで誘導してはならない。
代表作で、いずれも産経新聞に連載した
『竜馬がゆく』では維新の、
『坂の上の雲』は明治の若者群像を描いた。
司馬さんは現代の若者たちに、
歴史に学べと教えてくれたのではないか。」


14日(日曜日)は読書欄がある。
門田隆将氏が加藤達也著「なぜ私は韓国に勝てたか」
の書評を書いており、
再読で文章が光ります。
そのはじまりは

「本書を読みながら、
一人の新聞記者を思い浮かべた。
筆者加藤達也記者の大先輩にあたる
産経新聞元北京支局長の柴田穂さん
(1992年に61歳で死去)のことだ。
中国の文化大革命の実態を世界に
先駆けて報じ、中国から国外追放を受けた人だ。」

その書評の最後も引用。

「興味深いのは、
韓国側が何度も加藤氏と産経に
『遺憾の表明』、あるいは『和解』を
持ちかけていたという事実だ。
それは『歩み寄り』さえ示せば許してやる、
というメッセージにほかならない。
だが、慰安婦問題等で、
日本政府を手玉にとってきたそのやり方は、
妥協の姿勢を示さない加藤氏側に拒絶され、
裁判は検察の敗北で終わる。
毅然とした姿勢が、韓国の《非常識》を
打ち破ったのである。
絶対に圧力に屈しない《記者魂》
によって紡がれた本書は、
日本がどう隣国とつき合うべきかを示した
最良かつ痛快な『教科書』でもある。」
コメント
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