外山滋比古著「伝達の整理学」(ちくま文庫)は
2019年1月10日第一刷発行でした。
その最後の方に、こんな箇所
「かつて、人々はしきりにハガキを書いた。」(p208)
はい。それなら、今はどうなのか。
つい、こう書いてみたくなります。
「いまは、人々はしきりにメールを打つ。」(笑)
それはそうと、
外山氏の次の行はこう続きます。
「『ハガキも書けぬ』
というのは恥ずかしいことであった。
用件がなくても、おりおりのあいさつをした。
それがいまも年賀状や暑中見舞として残っているが、
心のこもっていない印刷のハガキでは趣きがない。
むかしの人は、せっせと、ハガキを書いた。
ハガキ一枚というが、
もらってありがたいハガキを書くには、教養がいる。
手紙を書くのとは違った心づかいが必要である。
いいハガキをもらうと、読みすてるのが惜しくて、
読みさしの本のしおり代わりにして
おりおり見なおす若者もあった。・・・」(~p209)
そのあとに、
「・・・小さい字を書きならべてハガキを書く人が
いまもあるけれども、やはり、間違い。
せいぜい六行どまり。言ってみれば、
俳句をつくるような気持ちがほしい。
俳句の花の咲いた日本である。・・・」(~p210)
さて「伝達の整理学」では、もう一箇所
ハガキが登場する箇所が、前の方にありました。
そちらも引用。
「小学校低学年だったT少年が、正月に、
おじさんのところへはがきを書いた。
父親にそれを見せると、よく書けているが、
書き方がよくないと言われる。
『原っぱへ遊びに行きましたが、
だれもいませんでした・・・』
とあるところをとらえて、正月早々、
こういう淋しいことを書くものではない。
・・・・
いい年になって、やっと、
ことばづかいというのは相手に合わせることで、
たとえ本当のことでも、自分中心にものを言ってはいけない。
それが文化というものであるということがわかったという。
ことはば相手の気持ちや立場に合わせてつかうもので、
自分勝手なことを言ったり書いたりするのは、幼稚である。
そういうことを一生知らずに終わる人が多いために、
なくてもいい、トラブルなどがおきる。
ウソには、よくない黒いウソと、
ものごとをおもしろく、楽しくする白いウソがある、
ということを、知るのは貴重である。」(p39~40)
さてっと、前置きが長くなりました。
これじゃ、私はハガキは書けない(笑)。
う~ん。たのしい歌集を最後に引用。
「橘曙覧全歌集」(岩波文庫)から「独楽吟」の箇所。
たのしみは めづらしき書(ふみ) 人にかり
始め一(ひと)ひら ひろげたる時
たのしみは 紙をひろげて とる筆の
思ひの外に 能くかけし時
たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどひ
頭(かしら)ならべて 物をくふ時
たのしみは 物識人(ものしりびと)に 稀にあひて
古(いに)しへ今を 語りあふとき
たのしみは そぞろ読みゆく 書(ふみ)の中に
我とひとしき 人をみし時
たのしみは 三人(みたり)の児ども
すくすくと 大きくなれる 姿みる時
たのしみは 人も訪ひこず 事もなく
心をいれて 書(ふみ)を見る時
2019年1月10日第一刷発行でした。
その最後の方に、こんな箇所
「かつて、人々はしきりにハガキを書いた。」(p208)
はい。それなら、今はどうなのか。
つい、こう書いてみたくなります。
「いまは、人々はしきりにメールを打つ。」(笑)
それはそうと、
外山氏の次の行はこう続きます。
「『ハガキも書けぬ』
というのは恥ずかしいことであった。
用件がなくても、おりおりのあいさつをした。
それがいまも年賀状や暑中見舞として残っているが、
心のこもっていない印刷のハガキでは趣きがない。
むかしの人は、せっせと、ハガキを書いた。
ハガキ一枚というが、
もらってありがたいハガキを書くには、教養がいる。
手紙を書くのとは違った心づかいが必要である。
いいハガキをもらうと、読みすてるのが惜しくて、
読みさしの本のしおり代わりにして
おりおり見なおす若者もあった。・・・」(~p209)
そのあとに、
「・・・小さい字を書きならべてハガキを書く人が
いまもあるけれども、やはり、間違い。
せいぜい六行どまり。言ってみれば、
俳句をつくるような気持ちがほしい。
俳句の花の咲いた日本である。・・・」(~p210)
さて「伝達の整理学」では、もう一箇所
ハガキが登場する箇所が、前の方にありました。
そちらも引用。
「小学校低学年だったT少年が、正月に、
おじさんのところへはがきを書いた。
父親にそれを見せると、よく書けているが、
書き方がよくないと言われる。
『原っぱへ遊びに行きましたが、
だれもいませんでした・・・』
とあるところをとらえて、正月早々、
こういう淋しいことを書くものではない。
・・・・
いい年になって、やっと、
ことばづかいというのは相手に合わせることで、
たとえ本当のことでも、自分中心にものを言ってはいけない。
それが文化というものであるということがわかったという。
ことはば相手の気持ちや立場に合わせてつかうもので、
自分勝手なことを言ったり書いたりするのは、幼稚である。
そういうことを一生知らずに終わる人が多いために、
なくてもいい、トラブルなどがおきる。
ウソには、よくない黒いウソと、
ものごとをおもしろく、楽しくする白いウソがある、
ということを、知るのは貴重である。」(p39~40)
さてっと、前置きが長くなりました。
これじゃ、私はハガキは書けない(笑)。
う~ん。たのしい歌集を最後に引用。
「橘曙覧全歌集」(岩波文庫)から「独楽吟」の箇所。
たのしみは めづらしき書(ふみ) 人にかり
始め一(ひと)ひら ひろげたる時
たのしみは 紙をひろげて とる筆の
思ひの外に 能くかけし時
たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどひ
頭(かしら)ならべて 物をくふ時
たのしみは 物識人(ものしりびと)に 稀にあひて
古(いに)しへ今を 語りあふとき
たのしみは そぞろ読みゆく 書(ふみ)の中に
我とひとしき 人をみし時
たのしみは 三人(みたり)の児ども
すくすくと 大きくなれる 姿みる時
たのしみは 人も訪ひこず 事もなく
心をいれて 書(ふみ)を見る時