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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

貧乏マンガの傑作。

2019-01-20 | 本棚並べ
今日の読売新聞読書欄に
津野海太郎著「最後の読書」が取り上げられてる。
よし。書評の話題に乗らなきゃ(笑)。
というので、あらためて「最後の読書」をひらく。

「最後の読書」はどんどんと補助線が引かれて
本がイモずる式に掘り出されてくるのですが、
なあに、著者の手繰り寄せに付き合わずに、
自分の興味に限定すれば、お気楽な
楽しみが待っております。

今回、私があたらしく興味をもったのは、
第11章の「現代語訳を軽く見るなかれ」。
そこに登場する伊藤比呂美さんの数冊の本が
気になり、さっそく古本での注文をする。

こういう場合。たとえ本棚にそのまま
納まってもいいや。という気持ちで購入する(笑)。

さてっと、「最後の読書」の最後は
第17章「柵をこえる」。そのはじまりは

「1953年に、北原怜子の『蟻の街の子供たち』・・刊行された。」
(p241)
とはじまっておりました。この章にも漫画が登場する。

「そういえば、いま思いだしたぞ。
『蟻の街』の活動をフォローしつづけた『サンデー毎日』で、
加藤芳郎の貧乏マンガの傑作『オンボロ人生』の連載がはじまった。
あれがやはり1954年のことだったのです。」(p252)
  

よいしょっと。
筑摩書房の「現代漫画」シリーズに「加藤芳郎集」(1969年)が
入っていて、その本の最後の「作家と作品」を鶴見俊輔が書いてます。
そこにこんな箇所。

「『オンボロ人生』は、
加藤芳郎の社会思想をよく見せてくれる作品で、
これは戦後の東京にうまれバタ屋『蟻の街』を
理想化した長編漫画とも考えられるが、
『オンボロ人生』の女主人公は、『蟻の街』の
マリア北原玲子にくらべるとはるかに
ユーモアのある性格で、殉教者などではない。
作者の回想によると、『オンボロ人生』のヒントは、
むしろ、戦前東京都防衛局、戦後に東京公園緑地課につとめていたころ、
毎日あっていた中年のつとめ人たちから得たという。

小学校卒業後、加藤は、昼間は東京私立駒込病院につとめながら、
府中六中(今の新宿高校)にかよって卒業した。
その防衛局と緑地課と二つの役所づとめが、加藤に、
無能で平凡と見られている中年サラリーマンの中にひそむ、
もう一つの人生への希望を観察させた。
少年のころから、大人たち、老人たちの見はてぬ
夢にたいして心やりのある人だったのだろう。
こういう人が、みずから中年をむかえると。
『モテモテおじさん』という愉快な主人公をつくりだした。
モテモテおじさんのイメージは、おそらく
ステテコという戦前的な下着からわいたのだろう。
ある若い女優が、ステテコをはいた中年男を見ると、
ぞーっとすると言ったことが、
新聞や雑誌をにぎわしたことがある。
このような若い世代の非難にたいする、
中年の世代からのゆっくりした応答になっているのかもしれない。

とにかく、少年のころから
中年、老年の同僚に思いやりのあったこの作家は、
自分が中年になった時にも、
若さにたいするねたみをもたない。
おれはもう若くないのだという口惜しさから来る
意地悪な方法によってでなく、
何となくふんわりとした感じで、
中年・若年の男女関係をえがいている。・・・」
(p312)

うん。今回注文してあった文庫をひらくと、
「鶴見俊輔全漫画論②」(ちくま学芸文庫)に

「戦時下に養われたマンガの精神 ー- 加藤芳郎」
という文(p418~420)があるのを見つける。
『悼詞』に掲載されたとあり、こちらは毎日新聞の
夕刊(2006年1月17日)に載った追悼文でした。
その追悼文の最後も引用しておきます。

「焼け跡から出発したマンガの技法は、
『オンボロ人生』で一つの完成に達し、
高度成長と好景気の時代に通じにくくなった。
金支配の圧力を、彼はひしひしと感じて、
それと取り組むマンガを工夫した。
それは彼流の抵抗として、バブル景気時代の
新聞記者の心に訴え続けた。」

鶴見俊輔氏と加藤芳郎氏との関連にも
触れられている文なのでした。

コメント
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