和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

どこかで蝉がないている。

2019-01-09 | 本棚並べ
何となくですが、今年ネット注文した古本。

芳賀幸四郎著「禅語の茶掛 一行物」(淡交社・昭和48年)。
そのはじまりは
「禅語一行物について」でした。
途中を引用。

「江戸時代になって墨蹟尊重の風がすこぶる高揚し、
ことに大徳寺派禅僧の筆になる一行物が茶室の掛物の
主流をなすようになったことは、かくれもない事実であるが、
この変化をもたらした原因はいったい何であろうか。
その原因は種々あるが、その一つは茶の湯が・・・
大徳寺派の禅と緊密に結びついて発達し、
桃山時代から江戸初期にかけてその大徳寺派に・・
多くの傑僧が輩出し、しかも彼らがみな
利休・古田織部・小堀遠州・千宗旦らと親しく、
かつ自らも茶の湯に深い関心をもつ一流の茶人でもあった
ということである。しかし、これにもまして
大きな原因として、つぎの事情が考えられる。
すなわち江戸時代になって茶の湯がいよいよ普及し、
茶会が頻繁に開催されるようになり、それだけに
掛物に対する需要が増加した。しかし中国伝来の
絵画や墨蹟はもともとその数は多くなく、それに
その大部分は将軍家や大名、あるいは豪商らの占有に
帰していたため、それらに代る掛物の出現が強く
要求されていた。そしていわばその代用品として
登場してきたのが、一つは折からの和様趣味にも
投じた歌切の類であり、もう一つが当時の
大徳寺派の禅僧の書、わけても一行物なのであった。」
(p11)


う~ん。面白いなあ。
一行物という茶室の世界。
日本語の一行の奥深さ(笑)。

ちなみに、64ページまでは
墨蹟鮮やかな掛け軸がそのままに
載っておりまして、それからが
解説となっておりました。

家で味わえる「禅語の茶掛 一行物」。
はい。この「一行物」をひらいていたら、
空想の中、茶室に坐っている自分がいて、
茶掛の世界、茶掛の宇宙へと思い広がり、
身近に、思い浮かんできた詩があります。

   蝉  山村暮鳥

 わたしの掌には
   河がある
 ながいおおきな河がある
 河と河とのあいだには
   山がある
   畠がある
   たんぼがある
   森がある
   村がある
   町がある
 どこかで
   蝉がないている


毎年年賀はがきを書くのですが、
自分の字のゾンザイさをまのあたりにします(笑)。

私は字がいつになっても下手。
そう思っているので、この機会に一緒に買った古本はというと、
「教師のためのきれいな字を書く1週間レッスン」(旬報社)
といっても、私は教師ではありません(笑)。
この題名にひかれて購入しました。なんとなく、私でも、
簡単に、きれいな字を書き始められそうな一冊です(笑)。


はい。1月のネット古本購入は何となく注文したのが、
「教師のためのきれいな字」と
「大徳寺派禅僧の筆になる一行物の茶室の掛物」
という組み合わせになりました(笑)。
コメント
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