図録「『司馬遼太郎が愛した世界』展」に
中塚宏行氏の短い文(p148)がありました。
「 司馬遼太郎は須田剋太を次のように語っている。
『 まことに稀有な人と出会ってしまったような感じがした。
以後、このひとと旅をし、やがてそれが
作品になってあらわれてくるという二重の愉しみに
ひきずられるようにして、旅をかさねるようになった。 』(241頁)
とあるように、『街道をゆく』のなかには、
常識をわきまえた大人である司馬遼太郎が、
須田剋太の子供のような行動や言動、姿、形を観察して、
それを生き生きと描写している箇所が随所に出てきている。
その語りは文章にほのぼのとしたユーモアの味を添えている。
そして続く。
『 ≪街道をゆく≫は私にとって義務ではなくなり、そのつど
須田剋太という人格と作品に出会えるということのために、
山襞に入りこんだり、谷間を押しわけたり、
寒村の軒のひさしの下に佇んだり旅をつづけてきた。』(241頁)
※ 司馬遼太郎「微光のなかの宇宙 私の美術観』中公文庫1997年 」
うん。中塚宏行氏が教えてくれている『街道をゆく』の楽しみ方とは、
どうやら、司馬遼太郎と須田剋太の場所をかえての旅のセッションを
居ながらにして愉しめるところにあるようだと、ひとり頷いてみます。
とすると、『街道をゆく』を読む醍醐味を堪能するのならば、
司馬さんを読みながら、須田剋太の挿絵集を脇に置く愉しみ。