和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

何より驚いたことは。

2023-06-04 | 絵・言葉
本の話は、人のを読むのも、自分で書くのも、
どちらも楽しい。はい。楽しめるタイプです。

図録「『司馬遼太郎が愛した世界』展」に、
司馬遼太郎著「微光のなかの宇宙 私の美術観」中公文庫からの
引用がありました。八木一夫氏のオブジェ作品『ザムザ氏の散歩』
をとりあげた箇所が短く引用されておりました。

「 司馬遼太郎は八木一夫について次のように語っている。

 『 若いころの八木に、私はつよく文学者を感じ、八木が
   いるかぎりうかつに小説など書けないと思ったことがある』(202頁)

 『 私は当時、柳宗悦を読みすぎていたせいか、
   焼物における用のことばかりを喋り、結果として
   走泥社の方向を理解する側に立っていないというふうでもあった。

   そのくせ一方ではかれの≪ザムザ氏の散歩≫に
   はげしい衝撃をうけており、そういうものをうみおとしたまま
   風狂に笑っている八木一夫という人物につよい関心をもち、
   できればかれの精神と思想を手ざわりで知りたいとおもっていた。 』
                      (190-191頁)   」

図録の130ページから数ページにわたって、八木一夫氏の
オブジェ作品の写真掲載があったところに、その言葉がありました。

うん。オブジェ作品か。ちっとも興味がわかなかったけれど、
何だか知りたくなり、古本で文庫「微光のなかの宇宙」を注文。

そして、図録には、こんな箇所もあります(p122)。

「 私は、20代のおわりから30代の前半まで、
  絵を見て感想を書くことが、勤めていた新聞社でのしごとだった。

  絵を見るというより、正確には、本を買いこんできて
  絵画理論を頭につめこむことを自分に強いた。

  この4年ほどのあいだ、一度も絵を見て
  楽しんだこともなければ、感動したこともない。

  もはや仕事で絵を見る必要がなくなったときから、
  大げさにいうと自分をとりもどした。何より驚いたことは、
  絵を見て自由に感動できるようになったことである。

  19世紀以後の美術は理論の虚喝が多すぎた。
  私自身、あやうくその魔法にからめとられかけ、
  やっと逃げだした 』。・・・・        」

うん。この「微光のなかの宇宙」に須田剋太も登場してるらしい。
はい。やっと私にも、読み頃をむかえたような気分で古本を注文。
はい。まだ届きません。


コメント (2)
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