和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

こういう自由は捨てた方がよい。

2023-06-12 | 先達たち
論文を読むにはどうすればいいんだろうなあ?
などと、ガラにもなく思っていたら、そういえばと、
清水幾太郎著「論文の書き方」(岩波新書・1959年)が思い浮かぶ。

はい。その第一章は『 短文から始めよう 』でした。
うん。第一章だけでも読みかえしてみる。
「文章の修業」なんて言葉が登場します。

「 自由な感想を自由な長さで書くという方法は、
  あまり文章の修業には役立たない。

  むしろ、初めは、こういう自由は捨てた方がよい。

  要するに、文章の修業は、
  書物という相手のある短文から始めた方がよい。
  というのが私の考えである。

  自由な感想ではなく、書物という相手があるということ、
  それから、自由な長さではなく、5枚とか、10枚とかいう
  程度の短文であるということ、この2つが大切である。  」(p9)


ちなみに、岩波新書といえば、
清水幾太郎著「論文の書き方」が1959年で、その10年後
梅棹忠夫著「知的生産の技術」が1969年に出版されていました。

うん。10年後の『技術』と関係のありそうな箇所が気になります。

「ブローダー・クリスティアンセンの『散文入門』の本文は、
 ゲーテの言葉で始まっている。

 『 すべての芸術に先立って手仕事がなければならない。 』

 この言葉は文章の修業にも当て嵌まる、
 とブローダー・クリスティアンセンは考える。

 芸術は他人に教えることが出来ないであろう。
 しかし、手仕事のルールは、他人に教えることが出来るし、
 誰でも学ぶことが出来る。

 ・・・手仕事のルールは教えることも、学ぶことも出来るであろう。
 そして、こういう手仕事なら、学校教育に含ませることが可能でもあり、
 必要でもあろう。私はそう欲の深いことを言っているつもりはないのだ。」
                        ( p91 )

清水幾太郎が『手仕事のルール』と語った10年後に
梅棹忠夫が、『知的生産の技術』を岩波新書で出したのでした。

うん。『ルール』と『技術』。
10年前に、『知的生産の技術』への道筋が語られていたわけです。

ということで、すっかり忘れていた清水幾太郎著「論文の書き方」を
初読のようにして読みかえす頃合いになった気がしてきました。





コメント (2)
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