論文を読むにはどうすればいいんだろうなあ?
などと、ガラにもなく思っていたら、そういえばと、
清水幾太郎著「論文の書き方」(岩波新書・1959年)が思い浮かぶ。
はい。その第一章は『 短文から始めよう 』でした。
うん。第一章だけでも読みかえしてみる。
「文章の修業」なんて言葉が登場します。
「 自由な感想を自由な長さで書くという方法は、
あまり文章の修業には役立たない。
むしろ、初めは、こういう自由は捨てた方がよい。
要するに、文章の修業は、
書物という相手のある短文から始めた方がよい。
というのが私の考えである。
自由な感想ではなく、書物という相手があるということ、
それから、自由な長さではなく、5枚とか、10枚とかいう
程度の短文であるということ、この2つが大切である。 」(p9)
ちなみに、岩波新書といえば、
清水幾太郎著「論文の書き方」が1959年で、その10年後
梅棹忠夫著「知的生産の技術」が1969年に出版されていました。
うん。10年後の『技術』と関係のありそうな箇所が気になります。
「ブローダー・クリスティアンセンの『散文入門』の本文は、
ゲーテの言葉で始まっている。
『 すべての芸術に先立って手仕事がなければならない。 』
この言葉は文章の修業にも当て嵌まる、
とブローダー・クリスティアンセンは考える。
芸術は他人に教えることが出来ないであろう。
しかし、手仕事のルールは、他人に教えることが出来るし、
誰でも学ぶことが出来る。
・・・手仕事のルールは教えることも、学ぶことも出来るであろう。
そして、こういう手仕事なら、学校教育に含ませることが可能でもあり、
必要でもあろう。私はそう欲の深いことを言っているつもりはないのだ。」
( p91 )
清水幾太郎が『手仕事のルール』と語った10年後に
梅棹忠夫が、『知的生産の技術』を岩波新書で出したのでした。
うん。『ルール』と『技術』。
10年前に、『知的生産の技術』への道筋が語られていたわけです。
ということで、すっかり忘れていた清水幾太郎著「論文の書き方」を
初読のようにして読みかえす頃合いになった気がしてきました。