山折哲雄氏の文(「賢治の風光」佼成出版・1985年 p14)に、
「 大正10年から15年までの期間、賢治は花巻農学校の教師をしていた。」
とありました。
するってえと、関東大震災の大正12年は、賢治は花巻農学校の教師だった、
ということになります。はい。今年は関東大震災から100年目でした。
また、山折哲雄著「絆 いま、生きるあなたへ」(ぽぷら社・2011年6月)
には、こんな箇所があったのでした。
「 賢治が生まれたのが明治29年8月、
そのわずか二か月前にマグニチュード8.2とされる
『 明治三陸地震 』が発生しました。その直後の
大津波で22000人が犠牲になったことを思いださずにはいられません。
また誕生から4日後には、岩手秋田県境を震源とする
内陸直下型の『 陸羽地震 』(M7.2)がおき・・・
・・賢治がわずか37歳で短い人生を閉じた半年ほど前の
昭和8年3月3日には、約3000人の死者、行方不明者をだした
『 昭和三陸地震 』(M8.1)がおきていたのです。
加えて昭和5年から9年にかけて、『 東北 』の地は
たびたび大凶作と大飢饉に見舞われていました。・・ 」(p52~53)
関東大震災から100年目に、思い浮かべるのは、
宮沢賢治と、地震・津波・凶作・飢饉との関連。