梅棹忠夫著「知的生産の技術」では、
はじめて読んだ際に、カードシステムが印象に残りました。
清水幾太郎著「論文の書き方」(岩波新書・1959年)をひらくと、
そのカードシステムへと、たどり着くまでの準備段階が、
分かりやすく語られているような、そんな気がしました。
そう思える箇所を引用しておくことに。
「・・この最初のイメージや方向は大切にしなければいけない。
是非、これは紙にハッキリ書きとめておくことにしよう。
書きとめること自身、そう楽な仕事ではない。
しかし、書きとめるという小さな作業によって、
曖昧なものが明確になることが多いのだ。 」(p19)
「・・ここで肝要なことは、
こういう観念や思いつきを大切にするということである。
真面目に文章の修業をしようというのなら、
観念や思いつきをトコトンまで大切にしなければいけない。
直ぐ紙に書きとめておかねばいけない。
書きとめるとなると、これもなかなか容易ではないが、
何としても、ハッキリと文字にしなければいけない。
これを大切にしないで・・・・・嘆くのは無意味である。 」(p20)
うん。その次も、この機会に引用しちゃいます。
「観念や思いつきを大切にするというのは、
それを深く考えること、書物などでよく調べることである。
・・・短文として最後的な仕上げをする必要はない。
・・・独立の短文として完成してしまわぬ方がよいであろう。
・・・それが進行する過程で、二つの新しい事実が生まれてくる・・
一つは、今まで考えもしなかった観念や思いつきが心に浮かんで来る。
これも大切にしなければいけない。考えて、調べて、部分品に作り
上げねばいけない。
もう一つは、このような部分品が出揃って来ると、
最初のイメージ自体が変化して来る。
曖昧だったイメージが明確になって来るし、
貧しかったイメージが豊かなものになって来る。
ところが、イメージが明確な豊かなものになって来ると、
それにつれて、新しい部分品が必要になって来る。
また新しい思いつきが何処からともなく現われて来る。
逆に、今まで大いに役に立つだろうと思って、一生懸命に
仕上げて来た部分品が不要になって来ることもある。・・・ 」(p21)
ふう。私はここまでで満腹。ここまでにします。
これは第一章「短文から始めよう」からの引用です。
本文はここから、つながってすすんでゆくのでした。
何かを書かなくちゃいけなくなった時、あらためて、
またの機会に、つづきを読みすすめられますように。