和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

戦陣の伽(とぎ)。

2024-10-18 | 道しるべ
桑田忠親著作集第三巻「戦国武将(二)」のはじまりは
『大名と御伽衆』。まず「御伽衆について」という4ページの文。

はい。私はこの箇所で、もう満腹。
すこし腹ごなしを兼ねて、引用してみます。

「 御伽(おとぎ)というのも、
  御咄(おはなし)というのも、
  すべて敬称である。

  しからば、伽(とぎ)とは何であろうか、
  伽とは、その語源に至っては詳らかでないが、
  字のごとく、人が加わることである。

  すなわち、人が大勢集まって眠らずに夜を過ごすことである。
  戦国時代以前には、単に通夜の意味にのみ用いられたらしい。

  通夜には種々な場合があって、
  一般にいえば、庚申待(こうしんまち)とか、
  武士でいえば、戦陣の夜警などである。

  そして、かかる際の通夜すなわち伽ということを
  妨げるのは睡眠であり、その睡眠を克服するには
  咄(はなし)によるほかない。
  咄によって伽を遂行するのである。

  従って、伽をするということは、咄をすることを意味し、
  この両語は遂に混用せられるに至ったのであろう。
  現在でも、山口県などでは、茶話(ちゃばなし)のことを
  茶伽(ちゃとぎ)と言っているようである。

  戦国時代には咄が大いに流行した。その起源は、
  なんといっても、戦陣の際の伽にあったと思われる。
    ・・・・    」  (p12)

  戦陣といえば、そういえば、衆議院選挙の最中ですね。
  ここでは、つい選挙と戦陣とを結びつけたくなります。
  ユーチューブで、さまざま御伽衆の語らいが聞けます。

桑田忠親氏は御伽衆の資格をこう指摘されておりました。

「 まず第一に、咄巧者、すなわち話術に巧みであること、
  第二に、その咄に適応する体験と技術の所有者たることを
  必要としたらしい。

  特殊な技術のあることは、それのみで御伽衆の資格となる場合が多いが、
  御咄衆としては、体験があっても肝心の咄そのものが下手では困るし、
  いくら咄巧者でも体験の伴わない、聞きかじりや、作り咄では、
  これまた値打ちが少ない。 」 (p14)


ユーチューブでは、高橋洋一氏の話を私はわりかし聞いている方です。
安倍晋三氏から電話がかかってきたとか、出向いたとか、
高市早苗さんから電話があったとか、現在の御伽衆のひとりに、
高橋洋一氏をあげてもよさそうな気がしております。
咄は訥々としておりますが、実務経験が豊富で、数理に明るい、
こういう御伽衆をそばに先陣をすごしている、
選挙という明暗を、御伽衆の語らいで聞いている気分になります。



  

コメント
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