和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

遊びに変え、歌に変える術。

2024-10-26 | 詩歌
だいぶ前、古本で見つけて買ってから、未読のまま埃をかぶっていた
「熊本宮崎のわらべ歌」(「日本わらべ歌全集25」柳原書店・昭和57年)
を取り出してくる。

はい。この古本はきれいで、めくられた形跡がありませんでした。
それを買ってから、私もまたそのまま、めくらずにいたのでした。

本の最後のページをひらくと高橋政秋氏のあとがきがありました。
そこから引用。

「・・・それに、むかしの子供たちの生活の、
 なんと音楽的であったことか。遊びはもとより、
 苦しかった生活でさえ、てらいもなく歌になっていたこと、
 つまり、生活そのものを遊びに変え、歌に変えるような術を、
 むかしの子供たちは身につけていたのだろうか。

『 親の手伝いだけで歌などうたっているひまはなかった 』と
 言う人でも、採集者の誘いに多くの歌が出てくるのである。
 生活が歌でくるめとられていた感がある。

 当節、歌はどこにも氾濫している。しかし、果して生活の中に
 どれほどの歌があるだろうか。あるのは商品化され、流通に乗せ
 られている歌が大部分なのではなかろうか。
 採集を終えての車の中、この思いがよく頭をもたげたものである。

 しかし、わらべ歌を伝える人たちは、確実に少なくなっていく。
 それとともに消えていく歌も多い。・・・・       」(p456)

それはそうと、この本、辞書をひくように
『 あんたがたどこさ 』をさがしてみる。

人吉市瓦屋町永田とあります。そこで採集したようです。
その下に、採譜・尾原昭夫とあり、楽譜も載っています。

それでは、目的の手まり歌を、忘れないうちに引用しておきます。


    あんたがたどこさ 肥後さ
    肥後どこさ 熊本さ
    熊本どこさ 洗馬(せんば)さ
    洗馬川には えみさがおってさ
    それを漁師が 網さでとってさ
    煮てさ 食ってさ うまかろさっさ

 注 〇 「あんたがた」を「あんたかた」と発音する地区もある。
   〇 「洗馬」を「船場」とも書く。
   〇「洗馬山には たのき(たぬき)がおってさ」とも。
   〇 「えみ」は「えび」のこと。
   〇 「それを漁師が 網さでとってさ」は
     「それを猟師が 鉄砲で撃ってさ」とも。


そのあとに、丁寧な解説がありましたので、そこも引用


「 この歌の発祥が熊本でないことは、
  『 さ 』方言が熊本にはないことと、
  『 あんたがたどこさ 』という問いかけに対し、
  『 肥後さ 』と、肥後人同士なら
  『 肥後 』から説明する要のないことでわかる。
  だが歌の舞台が『 肥後の熊本 』であることは、
  歌詞の通りである。

  洗馬川は熊本城の長堀の下を流れる坪井川のことで、
  藩政時代にこの川で馬を洗っていたことから、洗馬川の異名がある。

   ・・・・・・・
  戦後、県内で最も多く『 手まり歌 』として
  うたわれたのはこの歌であるが、うたう地区と人によって、
  最後の一節がかなり違っている。

  『 うまさが(の)さっさ 』
  『 菜の葉でちょい 』
  『 菜の葉でさっさ 』
  『 それを菜の葉で、ちょいとかぶせ 』
  『 骨を菜の葉で、ちょいとかぶせ 』
  『 菜の花、ちょい 』
  『 ひなたで、さっさ 』
  『 ああ(あら)、うまかったとさ 』
  『 それを木の葉で、ちょいとかぶせ 』――などである。

  なかでも県内で最も多く聞かれるのは、
  『 うまさがさっさ 』『 菜の葉でちょい 』である。

   ・・・・・
  なお、『 えび 』と『 たぬき 』の県内の優勢度については、
  故丸山学氏の採集資料によると、
  26篇中『 えび 』が8篇、『 たぬき 』が18篇で、
  断然たぬきが優勢であり、地域的には入り混っているという。 」
                        ( p80~82 )


おかげさまで、『手まり歌』つながりということで、
京のわらべ歌から、熊本のわらべ歌へすすめました。

詩は書かれるのではなく、歌われていた豊かな時代に
もどれたような気分に、おかげさまでなりました。

『えび』と『たぬき』と、最後の一節と、
さまざまバリエーションの豊かな世界への招待状が届いたような気分です。


コメント (2)
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