だいぶ前、古本で見つけて買ってから、未読のまま埃をかぶっていた
「熊本宮崎のわらべ歌」(「日本わらべ歌全集25」柳原書店・昭和57年)
を取り出してくる。
はい。この古本はきれいで、めくられた形跡がありませんでした。
それを買ってから、私もまたそのまま、めくらずにいたのでした。
本の最後のページをひらくと高橋政秋氏のあとがきがありました。
そこから引用。
「・・・それに、むかしの子供たちの生活の、
なんと音楽的であったことか。遊びはもとより、
苦しかった生活でさえ、てらいもなく歌になっていたこと、
つまり、生活そのものを遊びに変え、歌に変えるような術を、
むかしの子供たちは身につけていたのだろうか。
『 親の手伝いだけで歌などうたっているひまはなかった 』と
言う人でも、採集者の誘いに多くの歌が出てくるのである。
生活が歌でくるめとられていた感がある。
当節、歌はどこにも氾濫している。しかし、果して生活の中に
どれほどの歌があるだろうか。あるのは商品化され、流通に乗せ
られている歌が大部分なのではなかろうか。
採集を終えての車の中、この思いがよく頭をもたげたものである。
しかし、わらべ歌を伝える人たちは、確実に少なくなっていく。
それとともに消えていく歌も多い。・・・・ 」(p456)
それはそうと、この本、辞書をひくように
『 あんたがたどこさ 』をさがしてみる。
人吉市瓦屋町永田とあります。そこで採集したようです。
その下に、採譜・尾原昭夫とあり、楽譜も載っています。
それでは、目的の手まり歌を、忘れないうちに引用しておきます。
あんたがたどこさ 肥後さ
肥後どこさ 熊本さ
熊本どこさ 洗馬(せんば)さ
洗馬川には えみさがおってさ
それを漁師が 網さでとってさ
煮てさ 食ってさ うまかろさっさ
注 〇 「あんたがた」を「あんたかた」と発音する地区もある。
〇 「洗馬」を「船場」とも書く。
〇「洗馬山には たのき(たぬき)がおってさ」とも。
〇 「えみ」は「えび」のこと。
〇 「それを漁師が 網さでとってさ」は
「それを猟師が 鉄砲で撃ってさ」とも。
そのあとに、丁寧な解説がありましたので、そこも引用
「 この歌の発祥が熊本でないことは、
『 さ 』方言が熊本にはないことと、
『 あんたがたどこさ 』という問いかけに対し、
『 肥後さ 』と、肥後人同士なら
『 肥後 』から説明する要のないことでわかる。
だが歌の舞台が『 肥後の熊本 』であることは、
歌詞の通りである。
洗馬川は熊本城の長堀の下を流れる坪井川のことで、
藩政時代にこの川で馬を洗っていたことから、洗馬川の異名がある。
・・・・・・・
戦後、県内で最も多く『 手まり歌 』として
うたわれたのはこの歌であるが、うたう地区と人によって、
最後の一節がかなり違っている。
『 うまさが(の)さっさ 』
『 菜の葉でちょい 』
『 菜の葉でさっさ 』
『 それを菜の葉で、ちょいとかぶせ 』
『 骨を菜の葉で、ちょいとかぶせ 』
『 菜の花、ちょい 』
『 ひなたで、さっさ 』
『 ああ(あら)、うまかったとさ 』
『 それを木の葉で、ちょいとかぶせ 』――などである。
なかでも県内で最も多く聞かれるのは、
『 うまさがさっさ 』『 菜の葉でちょい 』である。
・・・・・
なお、『 えび 』と『 たぬき 』の県内の優勢度については、
故丸山学氏の採集資料によると、
26篇中『 えび 』が8篇、『 たぬき 』が18篇で、
断然たぬきが優勢であり、地域的には入り混っているという。 」
( p80~82 )
おかげさまで、『手まり歌』つながりということで、
京のわらべ歌から、熊本のわらべ歌へすすめました。
詩は書かれるのではなく、歌われていた豊かな時代に
もどれたような気分に、おかげさまでなりました。
『えび』と『たぬき』と、最後の一節と、
さまざまバリエーションの豊かな世界への招待状が届いたような気分です。