9月末に、古本購入した「桑田忠親著作集」全10巻(秋田書店・昭和53年)。
そろそろ一ヶ月になります。今まで私の興味というのは、
そのくらいのパターンで、他へと移ってしまうのでした。
とりあえずは、各巻末の解題だけでも読んでおくことに。
はい。そうして、興味の潮がひいても、また満ちてくる機会を待つことに。
最近は、そんなことを思うようになっております。
そんなことを思っていたら、浮かんできた書評がありました。
それは、書評家向井敏氏が、中野重治著「本とつきあう法」を
とりあげた箇所でした。
「 『本とつきあう法』は昨今しきりに刊行される読書論の
はしりともなった本だが、・・なかに
芳賀矢一・杉谷代水の共著になる
『 作文講話及文範 』 『 書簡文講話及文範 』に触れた章がある。
文章と手紙の書き方を説いたこの古い二冊の本のために、
中野重治はその美質を簡潔的確に評したうえ、
書評史上まれに見るすばらしい言葉を捧げた。・・・・
ああ、学問と経験とのある人が、
材料を豊富にあつめ、手間をかけて、
実用ということで心から親切に書いてくれた
通俗の本というものは何といいものだろう。 」
( p143 向井敏著「本のなかの本」毎日新聞社・1986年 )
ということで、桑田忠親著「戦国武将の手紙」のはしがきの
はじまりを最後に引用しておきたくなります。
「 学生時代から歴史の書物や歴史小説を耽読し、
特に日本の歴史に深い興味を抱いていた私は、
大学を卒業して、東京大学の史料編纂所に勤め、
『大日本史料』や『豊太閤真蹟集』や『古文書時代鑑』の
編纂に従事するにつれて、日本歴史に対する認識を
新たにせざるを得なくなってきた。・・・・・・・・
・・歴史の材料には、さまざまな種類のものがあるが、
その中で、古文書と古日記が一番確実な史料だということも理解できた。
それ以来、学者の評論や作家の時代小説を読んだり、
物語、伝記、記録などをひもとくよりも、
古日記を読んだり、
古文書をあさったりするほうが、
ずっと楽しくなってきた。
それによって、歴史の真相に、より以上触れられる
可能性を見いだしたからだ。たとえば
麗々しく巻物にして桐の箱に納めた系図よりも、
襖の下張りにされた古い手紙のほうが、
史料的価値が遥かに高い、ということを教えられたのである。
ところで、・・・古文書は、数が多いし、新たに発見される
可能性にも富んでいる。その点、古文書、即ち、
歴史上の人物の書いた手紙を、読み解いたり、
新しいものを発見したり、調査したりする楽しさは、格別である。
体験した人でないと、その味はわからない。・・ 」
( p187 桑田忠親著作集第三巻「戦国武将(二)」 )
はい。とりあえず各巻凾入りの古本の真新しいページをひらいて、
各巻の解題だけは読みました。私のはじまりは、ここまで(笑)。
ということで、この全集の第一巻の解題の最後を引用して
おわることに。
「 このようにして、桑田史学の世界は、
古文書の研究を基盤とした史学研究であり、
その研究成果を、わかり易い文章として、
より多くの読者の心を動かそうとするものである。
つまり底辺を広くし、全体の水準を高め、
以て日本文化の発展に寄与しようと意図したものである。 」
( p349 著作集第一巻の解題・米原正義「桑田史学の世界」 )