昨日、きさらさんからコメントを頂きました。
そのお風呂とわらべ歌の話しを取り上げます。
お風呂では、私などついついカラスの行水よろしく、
子供の頃は、すぐに出てきたものでした。
湯船につかって、肩まではいって、数を数えて、
それから出るように、よく言われたものでした。
その際に、数をかぞえる、という発想しかなかったのですが、
かず数えの代りに歌をうたう。という機転もありえますよね。
「 わたしたちは遊びの中で、速く数をよみたいとき、
『 ぼんさんがへをこいた 』と、早口で何回も唱えた。
『 ぼんさんがへをこいた においだらくさかった 』、
こう言えば二十までを、あっというまに数えることができる。 」
( p14 高橋美智子著「うしろの正面」柳原書店・昭和61年 )
この本「うしろの正面」のはじまりのエッセイの題は「ひとめふため」。
そのはじまり
「 お正月ほど子供にとって待ち遠しいものはない。
もういくつねると お正月
年の暮れ近くなるとよくうたった。
毎晩床の中で目をつむる前に、
今夜寝るとあといくつと指折り数えて、
一つずつ数の減っていくのが、
ワクワクするほどうれしかった。・・・ 」 (p9)
うん。わらべ歌には、「あといくつと指折り数えて」というような、
数かぞえ、という歌のテーマが、重要な隠し味としてあるようです。
はい。あとはただ、この本から順番にわらべ歌を並べてみます。
「 ひとめ ふため みやこし よめご
いつやの むさし ななやの やつし
ここのや とおや
ひいや ふ みいや よ
いつや む なな や ここ とお 」(p11)
「 ひい ふう みい よ
四方(よも)の景色を 春とながめて
梅にうぐいす ホホンホケキョとさえずる
あすは祇園の 二軒茶屋で
琴に三味線 はやしテンテン 手まり歌
歌の中山 チョ五(ごん) 五五(ごんごん)
チョ六 六六
チョ七 七七(ひちひち)
チョ八 八八
チョ九が 九十(くじゅ)で
チョと 百ついた
ひい ふう みい よ 」
このあとの高橋美智子さんの解説も引用
「 『四方の景色』は、全国の手まり歌の中での秀歌といわれている。
少し形を変えてうたわれている地方もあるようだが、
『祇園の二軒茶屋』や『歌の中山』が出てくる京の歌が、
やはりきれいで京情緒にあふれている。 」(~p20)
ええ~い。ここまで引用してきたのだから、
つぎにある『手まり歌』のはじまりも引用しておわります。
「 ひい ふう みい よ
よろず吉原 かやや勝栗 ほんだわら
十(とお)で遠里(とおり) 三上山から谷底見れば
穂長やゆずり葉 ゆずりゆずり ゆずり葉
大松小松 海老に橙(だいだい) 笙(しょう)の笛
名古屋の城は高い城で
一段上がれば 二段上がれば
三段家には よいよいよい子が 三人ござる
一でよいのは 糸屋の娘
二でよいのは 人形屋の娘
三でよいのは 酒屋の娘
酒屋娘の きいりょうがようて
京で一ばん 大阪で二ばん
嵯峨で三ばん 吉野で四ばん
五条で五ばんの あねさんみれば
立てばしゃくやく 坐ればぼたん
歩く姿は ゆりの花
これでようよう 一貫貸しました 」
このあとの高橋さんの解説も、これで最後に引用しておきます。
「 手まり歌は、その数の多いこと、内容の豊富なことでは
わらべ歌の横綱である。
『 いやー、わたしが歌をうたうのどすか、どうしまひょ 』と、
取材の席で尻込みされるおばあさんでも、
なんでもよいから子供のころの歌をうたって、とおねがいすると、
手まり歌だけは何か一つ思い出してくださった。
手まり歌には曲の長いものが多いのに、
その長い長い歌が、うたい手の口から苦もなくスラスラ流れ出す。
『 六十年も昔のことやのに、うたい出すと次から次と
文句が出てきて――、不思議なものどすなァ 』・・・」(~p28)