和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

歌詞も変わる。メロディーも。

2024-10-27 | 詩歌
「日本のわらべ歌全集」の本の帯の文を引用。

「 わらべ歌はいつでもどこでも変わる。
  アメーバーのように歌詞もメロディーも変わる。
  だからわらべ歌の記録は山のように必要だ。
  この全集はそれにこたえる大きな山になるだろう。 」
          ( 小島美子・日本音楽史 歴史民俗博教授 )

 ということで、ふたつの手まり歌を並べて引用しておくことに
     『 一番最初に一の宮 』( 赤穂市坂越 )
     『 一番始めは  』   ( 東金市宿 )


     一番最初に一の宮 二で日光東照宮
     三で讃岐の金毘羅さん 四で信濃の善光寺
     五つ出雲の大社(おおやしろ) 六つ村々地蔵さん
     七つ成田の不動さん 八つ八幡の八幡さん
     九つ高野の弘法さん 十で所の氏神さん
      ・・・・・


     一番始めは一の宮 二は日光の東照宮
     三は佐倉の宗吾(そうご)さま 四はまた信濃の善光寺
     五つは出雲の大社 六つは村々鎮守さま
     七つは成田の不動さま 八つは八幡の八幡宮
     九つ高野の弘法さま 十は東京二重橋


ちなみに、帯にはもう一人の言葉もありました。


「 全曲に楽譜のついたわらべ歌の全集が出るとは有難い。
  監修の浅野(健二)さんは、『わらべうた』の編集で
  定評のある方、あのような行き届いた解説が期待できる
  とはまことに学界の大慶事である。  」
          ( 金田一晴彦 言語学・歌謡学者 )


 赤穂市坂越で採集した「一番最初に一の宮」の歌詞のあとには
 こうありました。

「  曲はフランス人ルルー作曲の『抜刀隊』から借りたもので、
   全国的にうたわれてきた。所によってはお手玉歌として遊ばれる。
   うたい替えが多く、類歌はその一例。  」
          ( p72 「日本わらべ歌全集18上」兵庫のわらべ歌 )

はい。本をひろげていると、愛読者カードの葉書がはさまっております。
差出有効期限昭和64年4月30日までとあり、受取人の住所は京都でした。

        京都市西京区川島北裏町74
              柳原書店 資料係行
     
コメント (2)
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「 一番始めは 」

2024-10-27 | 地域
弾みがついたので、この際と思い「日本わらべ歌全集」を注文。

それが届きました。「日本わらべ歌全集6下・千葉のわらべ歌」。
はい。さっそく引用。

「全国的に手まりやお手玉にうたわれる『 一番始めは 』に
 出てくる佐倉宗吾や成田の不動さんも・・下総のものである。
 成田市にある宗吾霊堂や成田山新勝寺は、香取神宮とともに
 下総の信仰の中心であるが、わらべ歌によって全国に知られる
 ようになったといっても過言ではない。 」(p19)


      一番始めは    ( 手まり歌 )

   一番始めは一の宮 二は日光の東照宮
   三は佐倉の宗吾さま 四はまた信濃の善光寺
   五つは出雲の大社  六つは村々鎮守さま
   七つは成田の不動さま 八つは八幡の八幡宮
   九つ高野の弘法さま 十は東京二重橋    (東金市宿)

 注: 【一の宮】昔の一国一番の神社。
        その所在地の地名となっている例も多い。
        千葉県下では、長生郡一宮町玉前神社(上総)
        佐原市香取神宮(下総)、
        館山市安房神社(安房)

         ・・・・・・

「 全国の有名な神社仏閣を数え歌にしたもの。
  お手玉歌としてもうたわれる。・・・・・

  佐倉宗吾は江戸時代初期、下総佐倉藩公津村の名主で
  本名は木内惣五郎と伝えられる人。
  重税に苦しむ農民を救うため郡奉行や国家老に嘆願していれられず、
  名主らと共に江戸に上って老中に訴えても却下され、ついに
  宗吾一人が将軍に直訴し、農民の要求はいれられたが、
  宗吾は直訴の罪により磔、子供4人も打首に処せられたという。
  今も成田市宗吾の東勝寺・宗吾霊堂は、その遺徳をしのぶ地として、
  多くの人が参詣する。・・・・    」(~p46)

佐倉宗吾といえば、斎藤隆介作の絵本『 ベロ出しチョンマ 』を
思い浮かべました。さっそくひらけばこんな箇所がありました。

「  去年も今年も洪水や地震や日照りやがあって、
   米も麦もロクロクとれないのに、
   殿様はネングを前よりもっと出せと言って来ている。
     ・・・・
  『 もうこうなったらハァ、ちょうさんだ 』
  『 いっそ打ちこわしでもやっか 』
  『 ごうそするか 』
  『 それよりだれかが江戸へじきそすれば―― 』

  父ちゃんを夜おそく訪ねて来るおじさんたちは、
  じょうだんとも本気ともつかない調子で
  そんなことを言ってはタメいきをついた。
  そしてまた声が低くなって、ヒソヒソ話はいつまでも続く。

  長松はたびたび聞いているうちに、
  聞き馴れない言葉もだんだん分かって来た。
  
  ちょうさん とは田んぼも家もほうり出して、
  よその国へ逃げていくこと、
  打ちこわしとは町の米屋へおしかけて
  米蔵をぶちこわして食う米を取ってくること、
  ごうそ とは殿様の所へおしかけること、
  じきそ は将軍様へ殿様のやり方を言いつけに行くことらしい。
  そしてどれもこれも、つかまってローヤに入れられたり、
  首を切られたりするおそろしいバツがあるらしいのだ。 」

ちなみに、絵本『 ベロ出しチョンマ 』のはじまりはというと、

「 千葉の花和村に『 ベロ出しチョンマ 』というオモチャがある。
  チョンマは長松がなまったもの。このトンマな人形の名前である。

  人形は両手をひろげて十の字の形に立っている。
  そして背中の輪をひくと眉毛が『 ハ 』の字に下がって
  ベロッと舌を出す。見れば誰でも思わず吹き出さずにはいられない。 」


はい。これは千葉県には実在しない人形で、斎藤隆介氏の創作のようです。
ちなみに、
関東大震災の翌年に、安房郡長大橋高四郎は、編纂を白鳥健氏に依頼して
おります。そして大正15年に『安房震災誌』が発行されております。
編纂した白鳥健氏はどのような方か調べていたら、県北で新聞記者をして
いたようでした。その著書に『佐倉宗吾』という本を出しているようです。

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