和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

地蔵盆の「よいさっさ」

2024-10-30 | 詩歌
駸々堂の「京わらべうた」(京都文庫・昭和47年)を以前
古本で買ってあり読まずにいたのですが、今日になってひらく。
いつもの、パラパラ読みですが、
「一丁まわり」の箇所を読むと、中川正文氏の文が印象深い。
たとえば、こんな箇所。

「 地蔵盆とは、
  子どもたちのために繰りひろげられる上方特有の盆なのだ。
  京都はむかしから地蔵信仰が篤く、子どもたちとの
  かかわりあいも、ことのほか深いものであった。

  もともと日本人は、
  現にじぶんたちが居住している区劃が現世であり、
  その区域以外のすべてを、奈落のようにひろがる
  暗いあの世だと考えていた。つまり一歩聚落から
  はなれれば最後、あの世だと思っていたのである。」(p19)

このあとに、地蔵盆で老女たちが繰り返していた地蔵和讃を引用し、
紹介しております。その後に、中川正文氏はこう指摘しているのでした。

「 数年まえ、わたしは青森、下北半島の恐山のイタコの和讃を
 テープにとって、その録音を軸に影絵劇に構成し、演出したことがあった。
 
 ところが会場である京都会館の客席が暗くなり、イタコのご詠歌が
 再生されて流れだすとどうであろう。客席のあちこちから、
 それに和す子どもたちの声がわきおこってきたのである。

 ・・・・わたしは照明を落した客席から唱和する京の子どもたちの、
 和讃の声に驚くとともに、京の町の歴史の深さというものを、
 いまさら実感として身にしみて感じとったものである。 」

はい。ここで、地蔵和讃へと触手をのばすと、拡がり過ぎちゃうので、
地蔵盆のわらべ歌へともどることにします。

「 それは盆の七日から始まった。夕暮れ刻ともなると 
  浴衣に着かえた数人の子どもたちが、竹ざおに提灯をとおし、
  それを両方から支えながら町内をねりあるくのである。・・・・

  ・・もちろん大人はひとりぐらいつく。
  町並みは日が暮れると、まったく暗くなる。
  ・・・灯をかかげながら、まわるのであった。
  町内を一めぐりすると八時すぎになる。
  このとき男の子たちの歌うのは、
  町内ごとに木戸のあった近世という時代を、
  よくあらわしている歌詞である。


     よいさっさ よいさっさ
     これから八丁十八丁
     八丁目のこぐりは
     こぐりにくいこぐりで
     頭のてっぺんすりむいて
     一貫膏薬 一貫膏薬
     それでなおらな
     一生の病いじゃ       」(~p25)


ちなみに、ネット検索してみると

  「 こぐり 」とは、
  潜り(くぐり)の訛り。潜りにくい潜り(木戸)


ということで、
このわらべ歌の内容にも興味をもつのですが、
それはそうと、いったい中川正文は、どなた。
というのが次の疑問となりました。
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