3月に、切り替えて読売新聞を講読。
マンネリだといけませんが、目先が変われば、
その分、新鮮な見方で紙面をながめられます。
とりあえず、気持だけでも新鮮なうちに紹介。
とりあげるのは読売新聞一面コラム編集手帳。
その3月の分を、今日の26日まで。
短いコラムなので、まとめての通読で味わう。
他社の一面コラムよりも字数が少ないので、
内容を盛り込めない分、苦労も多そうです。
けれども、川柳・俳句・短歌に比べれば
字数は俄然多い。という逆転の発想だと、
簡潔で、切れ味のよい内容にチャレンジできそうで、
まさに、それを実行しているようなコラムの手腕。
はい。わたしが触れた3月の「編集手帳」は
そのような感じをうけるのでした。
まとめて見てゆくと、
植物関連が3月9・6・19日に、自然薯が3月23日。
川柳が3回。とかいろいろ区分けができそうです。
さてっと、3月16日に徒然草が登場しておりました。
定食に定番があるように、コラムの定番の引用に、
徒然草が入っていても、ちっともおかしくない。
短いコラムならではなので、最初が肝心。
たとえば、3月3日のはじまりは、
『絵本の魅力を文章にするのはむずかしい。』
というのです。うん。ここからコラムをはじめるのは
むずかしそうで、つい、次をよみたくなります。
3月16日のはじまりは
「吉田兼好『徒然草』・・まずは原文を。
〈 月花をば、さのみ目にて見る物かは。
春は家を立ち去らでも、
月の夜は閨(ねや)のうちながらも思へるこそ、
いとたのもしう。をかしけれ 〉
・・・・」
コラムの料理の腕前は、ここでは問わないことにして、
コラムの素材選び、引用の仕方がなによりたのもしい。
さてっと、ここからが連想。
杉本秀太郎著「洛中通信」(岩波書店・1993年)に
徒然草について書いた文がありました。
そこから印象に残った箇所を引用。
「『徒然草』は、周知のように、それぞれに完結した
二百四十あまりの長短さまざまな覚書の集合体である。
・・・章段の配列にはわざわざ無秩序をねらった節がある。
互いにかよい合うような内容の段が二つ三つも並べば、
さっそくそのあとには似かようところの全くないものを
差し挟む。そういう目くらましが、いたるところに働いている。
・・・・・・
のちに連歌が煮つまったすえに蕉門の俳諧歌仙にいう
付肌(つけはだ)を早くに実現しているようにみえてくる。
おもしろいことである。
『徒然草』の題材が天象、草木、鳥獣虫魚、人事百般に
わたっているのも俳諧歌仙の目ざすところにひとしく、
とにかく普段から何事にも興味を抱く人の
『物狂ほしい』孤独から、『徒然草』はあらわれた。」(p202)
まあ、『物狂ほしい』孤独は、別としても
『編集手帳』を読みながら、『徒然草』の味わいを、
読者の一人である私は期待しているのだと、
そんなことを、あらためて気づかされます。
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