「 祇園祭りの山鉾巡行に蟷螂=カマキリがからくりで動くという。
これは役(えん)の行者による疫病人搬送に始まるという
祇園祭にふさわしく、京都文化の恐ろしいまでの創造である。・・」
( p195 塚本珪一著「フンコロガシ先生の京都昆虫記」青土社 )
荘子を読み始めると、昆虫では蝶がでてきたり、カマキリもでてくる。
ここでは、そのカマキリ。
「 君はあのカマキリを知っているだろう。
その腕を振り上げて車輪に立ち向かってゆくが、
自分の力では手に余る相手と知らないのさ。
あれは自分の才能に思い上がているんだよ。
だからくれぐれも慎重にしなさい。
もし君が自分の才能をたのんで
相手にたてつくようだと、危険なことになるね。 」
そのあとに、動物が語られます。虎飼いを語り、最後は馬でした。
ここには、馬がどう語られていたか。
「 また馬好きの人ときたら、
竹かごで糞を受け、大ハマグリの殻で小便を取ってやるほどだが、
たまたま蚊や虻が馬にたかっているとき、
不用意にからだを叩こうものなら、
馬は銜(くつばみ)を噛み切り、
頭を傷つけ、胸をくじくまでに暴れまわる。
切実な愛情でそうしたのに、その愛情がだいなしになってしまう
わけだ。だから慎重にしなくちゃならないのさ。 」
( p142 福永光司/興膳宏訳「荘子内篇」ちくま学芸文庫 )
余談ですが、塚本珪一著「フンコロガシ先生の京都昆虫記」には、
祇園祭の蟷螂山について、続きがありました。
「・・もう一つ、町内での解説には、南北朝時代に
足利義詮軍に挑んで戦死した当町在住の公郷
四条隆資の戦いぶりが『蟷螂の斧』のようであったとする。・・」(p195)
荘子にもどります。
ちくま学芸文庫の現代語訳は、簡潔を旨として興膳宏氏が訳しておりますが、
福永光司氏の解説は、長くても、一歩踏み込んだ文になっていました。
直に漢文の引用は、素人にはシンドイので、ここは福永氏の文を引用。
「・・・・そなたも見たことがあるだろう。
ウデをふり立て、身のほども弁(わきま)えず、
道ゆく車の輪に挑みかかって押しつぶされる
あの螳蜋すなわち、カマキリの思い上がった愚かさを。
あれは自己の才能を誇り、おのれの美を恃(たの)む
者の愚かしい悲劇の象徴だ。くれぐれも戒めるがよい。
・・・・
いったい、権力者の恣意(しい)は、
飢えたる虎の狂暴さにも譬えることができよう。
そなたは知っているだろうか。あの恐ろしい虎を
調教する猛獣師というものを。・・・・・・・・
・・・・・・・・
・・・
馬のように従順な家畜でも手に負えなくなるであろう。
というのは、かの馬を大事にする人間は、
汚い馬糞を盛るのに立派な筐(かご)を惜しげもなく使い、
馬の小便を入れるのに美しい大蛤の殻を用いて、
至れり尽くせりの扱いをするが、それほど心をこめて可愛がっていても、
たまたま馬の体に蚊や虻のたかっているのを見て、
いきなりその体を叩けば、馬は狂奔して銜を噛み切り、
首を傷つけ胸を打ち砕いて、
手に負えないほど暴れ狂うものである。・・・・」
( p195~196 福永光司「荘子内篇」朝日文庫 )
はい。漢文を引用するのは、私はまったくダメなのですが、
徒然草ならば、かえって現代語訳よりも原文が分りやすかったりします。
徒然草第186段に『馬乗りとは申すなり』がありました。その全文。
「 吉田と申す馬乗りの、申し侍りしは、
『馬毎(ごと)に、強(こは)きものなり。
人の力、争ふべからず、と知るべし。
乗るべき馬をば、先づ良く見て、強き所・弱き所を知るべし。
次に、轡(くつわ)・鞍(くら)の具に、危き事や有ると見て、
心に懸かる事有らば、その馬を馳すべからず。
この用意を忘れざるを、馬乗りとは申すなり。
これ、秘蔵の事なり』と申しき。 」
そういえば、徒然草の第238段は、
兼好自身の自讃の事を7つ取り上げている段なのですが、
そこでは、はじまりに馬が出てきております。
ここでは、島内裕子さんの訳で
「 馬乗りの名手として知られた随身(ずいじん)・
中原近友(なかはらのちかとも)の自讃と言って、
自慢話を七箇条、書き留めたものがある。
それらはすべて馬芸に関することであって、
大したものではないものばかりである。
それなら、私にだって自讃のことが七つある。 」
( p455 島内裕子校訂・訳「徒然草」ちくま学芸文庫 )
はい。第238段は馬乗の自慢話から兼好の自讃へつながる。
うん。祇園祭から荘子へ、さらに徒然草とつながりました。
コメントありがとうございます。
そうでしたか。
徒然草を通読していると、
時に馬の話がでてきます。
また機会があれば、あらためて、
そこを取り出して読み直してみます。
ありがとうございました。