荘子の逍遥遊篇。それはわりかし最初の方にありました。
漢文は難しい。読むのはやめとこうと思う最初の方です。
「恵子(けいし)が荘子にいった」とはじまっています。
恵子とは、どなた?
「恵施(けいし・施はその名前)は
孟子との問答で有名な梁(りょう)の恵王に仕えた
荘子と同じ頃の論理学者であり政治家である。
荘子との交渉も当時の思想家のなかでは最も密接であり・・・
恵施の荘子に対する批判の重点は、要するに荘子の思想が
余りにも超世俗的で現実に何ら役だたないということにあるが、
荘子はその非難に対して『無用の用』ということをもって答える。」
( p54 福永光司「荘子内篇」朝日文庫 )
はい。それでは、樗(おうち)が出てくる箇所。
そこを、現代語訳で引用。
「 恵子(けいし)が荘子にいった。
『ぼくのところに大木があって、みなに樗と呼ばれている。
その幹はこぶだらけで墨縄(すみなわ)もあてられず、
小枝は曲がりくねってぶんまわしや差しがねもあてられない。
道ばたに立っているのに、大工も知らぬ顔だ。
ところで君の議論にしても、大きいばかりで役に立たない。
みんながそっぽを向いてしまうのはそのせいだよ 』。
荘子
『君はヤマネコやイタチを知ってるだろう。
あいつらは身を伏せて隠れ、うろついている獲物を待ち受けて、
あっちこっちと跳ねまわり、高いも低いもへっちゃらだが、
あげくに罠にかかったり、網にからめ取られたりして死んじまう。
一方、ほら、あの大牛ときたら、
空の果てまで垂れこめた雲みたいにでっかい。
でっかいにはでっかいが、ネズミだって捕らえられない。
いま君のところの大木は、役に立たんとこぼしているが、
なぜそれを何一つない村里や、果てもなく広い曠野に植えて、
ゆったりとそのかたわらに憩(いこ)い、
のびのびとその下に寝そべらないんだい。
まさかりや斧で若木のうちに切りたおされもせず、
何かに危害を加えられる恐れもない。何の役にも立たなくたって、
気に病むことなんてまったくないんだよ。 」
( p34~35 ちくま学芸文庫「荘子内篇」2013年 )
ちなみに、ちくま学芸文庫のp158には、
「人は皆な有用の用を知りて、無用の用を知ること莫(な)きなり」
ともありました。
やっと興味の糸口がつかめました。
夏は楽しく荘子を読めますように。
できれば樗(おうち)の木の下で。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます