外山滋比古著「コンポジット氏四十年」(展望社)を、楽しく読了。
80歳を過ぎた外山滋比古氏を一冊の本にたとえると、
この本は、さしあたり、一冊の本の編集後記みたいにして読める。
そんな楽しみが読みながらも、読後にもありました。
さて、その楽しみを何と言ってよいのやら、
そう、思っていると、最近、外山滋比古氏が考えておられる
その、「第四人称」という、面白そうなテーマに集まってくる気がします。
では、「第四人称」とは、どんなことなのか。
傍観者的で取り付く島のない「第三人称」には、飽き飽きしている近頃ですが、
それでは、次にくる第四人称とは何なのか?
ぜひ、外山氏にはそれを書いてほしいと願うばかりです。
さてっと、この本に登場する根本実当こと、コンポさんは、あとがきによりますと
「根本実当は、四十年前、活字になって生まれた(『葦の髄から』のち『新・学問のすすめ』)。そしてふたたび、二年前、前著『老楽力』で元気なところを見せた。こんどは三度目、正直に呼び名を明かすことになった。思えば、四十年・・・」(p216)
とあります。う~ん。『新・学問のすすめ』と『老楽力』のどちらも、未読。
さっそく、注文してみることにします。
ちなみに、講談社学術文庫の『新・学問のすすめ』は未読ながら身近にありました。
その文庫の解説は、佐伯彰一氏。10ページもある解説です。
そこに、ひょっとしたら第四人称のヒントになることばが見つけられるかもしれません。
では、以下は佐伯氏の解説
はじまりは
「本書のいちじるしい美質の一つは、いかにもパーソナルな持ち味にある。あくまで『私的』な筆致と態度をつらぬいていて、しかもそれが世人の盲点をつく正論、公論たり得ているとことにある、とまずいっておきたい。」
それが文庫になるので読みかえすことになる
「十三年ぶりにあらためて読み返して、そぞろ懐旧の念をそそられると同時に、外山さんのいかにも『私的』な着眼と発信の主旨が、一向に古びもせず、季節外れにもなっていないことに、わがことのようなうれしさを覚える。」
ちょっと、飛ばして、あと一か所だけ引用。
「外山さんと初めて知り合ったのは、・・・『十年あまり続けていた雑誌編集の仕事』の間のことで、まず執筆者ー編集者という関係での出会いだったのだが、当の用件が片づいて雑談がはずみ出すと、外山さんは、じつに好奇心旺(さか)んで、頭の回転が早いばかりか、こちらの虚をつく新鮮な視点、アイディアの持ち主であることが分かった。練達の編集者らしく、いかにも聞き上手、話の引き出し上手ではあったが、それ以上に、こちらの話をご自身の独特なチャンネルへもちこみ、流し入れる手際が、じつに巧い。そして、話に身が入ってくると、ふと浮かび上がってきた思いがけぬアイディアや視点を、自己流にまとめ上げ、ふくらませて見せる具合が、水際だっていた。当時の外山さんは、まだ『修辞的残像』とか『近代読者論』といった世評高い名著を発表される以前の話であったことを、読者には思い出していただかねばなるまいが、いわば無名時代から外山さんは、独特の魅力ある座談家として際立っており、そうした氏の面目が、本書でものびやかに発揮されているといいたいのである。」
80歳を過ぎた外山滋比古氏を一冊の本にたとえると、
この本は、さしあたり、一冊の本の編集後記みたいにして読める。
そんな楽しみが読みながらも、読後にもありました。
さて、その楽しみを何と言ってよいのやら、
そう、思っていると、最近、外山滋比古氏が考えておられる
その、「第四人称」という、面白そうなテーマに集まってくる気がします。
では、「第四人称」とは、どんなことなのか。
傍観者的で取り付く島のない「第三人称」には、飽き飽きしている近頃ですが、
それでは、次にくる第四人称とは何なのか?
ぜひ、外山氏にはそれを書いてほしいと願うばかりです。
さてっと、この本に登場する根本実当こと、コンポさんは、あとがきによりますと
「根本実当は、四十年前、活字になって生まれた(『葦の髄から』のち『新・学問のすすめ』)。そしてふたたび、二年前、前著『老楽力』で元気なところを見せた。こんどは三度目、正直に呼び名を明かすことになった。思えば、四十年・・・」(p216)
とあります。う~ん。『新・学問のすすめ』と『老楽力』のどちらも、未読。
さっそく、注文してみることにします。
ちなみに、講談社学術文庫の『新・学問のすすめ』は未読ながら身近にありました。
その文庫の解説は、佐伯彰一氏。10ページもある解説です。
そこに、ひょっとしたら第四人称のヒントになることばが見つけられるかもしれません。
では、以下は佐伯氏の解説
はじまりは
「本書のいちじるしい美質の一つは、いかにもパーソナルな持ち味にある。あくまで『私的』な筆致と態度をつらぬいていて、しかもそれが世人の盲点をつく正論、公論たり得ているとことにある、とまずいっておきたい。」
それが文庫になるので読みかえすことになる
「十三年ぶりにあらためて読み返して、そぞろ懐旧の念をそそられると同時に、外山さんのいかにも『私的』な着眼と発信の主旨が、一向に古びもせず、季節外れにもなっていないことに、わがことのようなうれしさを覚える。」
ちょっと、飛ばして、あと一か所だけ引用。
「外山さんと初めて知り合ったのは、・・・『十年あまり続けていた雑誌編集の仕事』の間のことで、まず執筆者ー編集者という関係での出会いだったのだが、当の用件が片づいて雑談がはずみ出すと、外山さんは、じつに好奇心旺(さか)んで、頭の回転が早いばかりか、こちらの虚をつく新鮮な視点、アイディアの持ち主であることが分かった。練達の編集者らしく、いかにも聞き上手、話の引き出し上手ではあったが、それ以上に、こちらの話をご自身の独特なチャンネルへもちこみ、流し入れる手際が、じつに巧い。そして、話に身が入ってくると、ふと浮かび上がってきた思いがけぬアイディアや視点を、自己流にまとめ上げ、ふくらませて見せる具合が、水際だっていた。当時の外山さんは、まだ『修辞的残像』とか『近代読者論』といった世評高い名著を発表される以前の話であったことを、読者には思い出していただかねばなるまいが、いわば無名時代から外山さんは、独特の魅力ある座談家として際立っており、そうした氏の面目が、本書でものびやかに発揮されているといいたいのである。」
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