このところ。
私にしては、新刊書の購入が頻繁なのでした。
でも、それでいいや、と思うところがあります。
それを、どういったらよいのやら。
たとえば、加藤秀俊著「独学のすすめ」(文春文庫)。
そこからの引用。
「しかし、『情報洪水』をけしからん、とか、困ったことだ、とかいうのは、ゼイタクというものだ。ちょうど、それは、物資がありあまって、ゆたかな生活をしている状態を非難するのとおなじようなもので、みち足りているから、あるいは、みち足りすぎているから、貧しい状態を想像することができなくなってしまったことの結果なのである。食べるものさえない不満な状態にくらべたら、ゆたかな時代のほうがどれだけ人間にとってしあわせなことかわからない。情報についても、まったくおなじことがいえる。こんにちのように、あふれるばかりの情報にとりまかれているというのは、たしかに困惑をひとに感じさせるけれど、情報が欠乏している社会にくれべれば、情報のゆたかな社会のほうが、ずっといい。情報がゆたかすぎることを、ブツブツいうのは、やめたほうがいい。」(文庫・p82)
「じっさい、社会学者のダンカンは、現代社会における『批評』の役割は、要するにおびただしい量の情報のなかから、よいものとわるいものとをきちっとえらび出し、よいものを、一般の読者につたえることにある、といっている。」(p86)
私にしては、新刊書の購入が頻繁なのでした。
でも、それでいいや、と思うところがあります。
それを、どういったらよいのやら。
たとえば、加藤秀俊著「独学のすすめ」(文春文庫)。
そこからの引用。
「しかし、『情報洪水』をけしからん、とか、困ったことだ、とかいうのは、ゼイタクというものだ。ちょうど、それは、物資がありあまって、ゆたかな生活をしている状態を非難するのとおなじようなもので、みち足りているから、あるいは、みち足りすぎているから、貧しい状態を想像することができなくなってしまったことの結果なのである。食べるものさえない不満な状態にくらべたら、ゆたかな時代のほうがどれだけ人間にとってしあわせなことかわからない。情報についても、まったくおなじことがいえる。こんにちのように、あふれるばかりの情報にとりまかれているというのは、たしかに困惑をひとに感じさせるけれど、情報が欠乏している社会にくれべれば、情報のゆたかな社会のほうが、ずっといい。情報がゆたかすぎることを、ブツブツいうのは、やめたほうがいい。」(文庫・p82)
「じっさい、社会学者のダンカンは、現代社会における『批評』の役割は、要するにおびただしい量の情報のなかから、よいものとわるいものとをきちっとえらび出し、よいものを、一般の読者につたえることにある、といっている。」(p86)
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