和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

いひきるべし。

2016-11-13 | 道しるべ
外山滋比古著「俳句的」(みすず書房)。
その本の中を、ころがされている気分です(笑)。

さてっと、短文の随筆のつながりのような
この外山氏独特の本から、どれかひとつの文を
選ぶとしたら、今の私は、これをえらびます。

「切れ」と題する文。
そのなかに、こうある。

「すでに中世初期の『八雲御抄』に
『発句者必いひきるべし』と見えている。
なるべく、連想の豊かな言葉のあとを切るのである。
・・・」(p125)

そうそう、
「切れ」の文のはじまりは、
こうでした。

「徒然草のある解説を見たら、冒頭に『徒然草には
矛盾が多いということはよく聞くのであるが・・』
とあって、びっくりした。第6段では
子供はない方がいいと言ったかと思うと、
第142段では子供のない人には
もののあわれがわからないという話に賛同したりしている。
これを『矛盾というなら確かに矛盾である』と続いている。
その先を読む気をなくしてしまった。

『渡る世間に鬼はなし』も真なら、
『人を見たら泥棒と思え』というのも、
残念ながらやはり真である。
一見いかにも矛盾であるが、
一方を立てて他を棄てるようなことがあれば、
残った方の正当性も怪しくなってしまう。
両方そろってはじめてそれぞれが生きる。
幸いなことに、諺の解説をして、
その矛盾をあげつらう人はすくない。
諺の理解は胸で行われるが、
作品の理解は頭でなされる。
頭の理解では、
論理とか矛盾とかが気になりやすい。」(p121)


うん。ここに諺が登場しておりました。
そういえば、
鈴木棠三著「今昔いろはカルタ」(錦正社)に
俳諧とのつながりを教えてくれている箇所が
ありました。そこが門外漢の私には、
たいへん、ありがたかった。

その箇所はここ。

「『論語読みの論語知らず』は、近世初期
またはそれ以前から行われていたものと思われる。
正保二年(1645。家光の代)に初版が出たと見られる
『毛吹草(けふきぐさ)』は、本来は俳諧の作法書であるが、
俳諧の用語の一部として、世話すなわちことわざ類を重視して、
特にこれを一か処にあつめてある。近世初期のことわざの
集録としては逸することのできない好資料である。」(p129)

諺と俳諧とが、
門外漢には、とんと結びつかないでおりました。
ありがたい(笑)。


それはそうと、
「俳句的」の本は、「切れ」の一文を読めればよし。
と、言い切る方が、余情が生れる。
ということで、おあとがよろしいようで(笑)。



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