和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『猟師の目』。

2019-07-12 | 三題噺
梅棹忠夫著「日本探検」(講談社学術文庫)
「井上靖詩集」(旺文社文庫・新潮文庫)
「田村隆一詩集」

本3冊の断片が、つながるように思い浮かぶ。

はじめは、「日本探検」。
その「高崎山」の章から、引用。

「日本における
ナチュラル・ヒストリーの保持者は、日本の民衆であった。
とくに猟師は、ゆたかな資料の供給者であった。
猟師の自然観察は、まちがいもあるけれど、
しばしばひじょうに正確である。
学問のある都市的文化人よりも、むしろ
先入観がすくなく、自然科学者にちかい目をもっている。
  ・・・・・・・・・・・・
猟師などは、日本の思想史のうえでは、
問題にされたことはないけれど、わたしはやはり、
日本人の自然観についてかんがえるときには、このような
猟師的日本人というのをかんがえてみるべきだとおもう。
日本人の自然観といえば、すぐに
花鳥風月的詠嘆か、俳諧的四季感みたいなものがでてくる。
文献的・文学史的方法だけにたよるかぎり、
そういう都市文化人的見かたしかでてこないが、
民衆のあいだには、もっとドライな、
分析的な猟師の目があったのではいか。」(p313)

「猟師の目」といえば、私にまず思い浮かぶのが
井上靖の詩「猟銃」でした。
詩「猟銃」のはじまりは。

「なぜかその中年男は村人の顰蹙(ひんしゅく)を買い、
彼に集る不評判は子供の私の耳にさえも入っていた。
ある冬の朝、
私は、その人がかたく銃弾の腰帯(バンド)をしめ、
コールテンの上衣の上に猟銃を重くくいこませ、
長靴で霜柱を踏みしだきながら、
天城への間道の叢(くさむら)をゆっくりと
分け登ってゆくのを見たことがある。

それから二十余年、
その人はとうに故人になったが、
その時のその人の背後姿は
今でも私の瞼から消えない。・・・
私はいまでも都会の雑踏の中にある時、
ふと、あの猟人(ひと)のように
歩きたいと思うことがある。
・・・・」

ところで、
梅棹忠夫は、2010年7月3日に90歳でなくなっております。
それから、9年して今年私は梅棹忠夫著作集を古本で購入。

さてっと、井上靖の詩「猟銃」のつぎは
田村隆一の詩「細い線」から、この箇所

    きみの盲目のイメジには
    この世は荒涼とした猟場であり
    きみはひとつの心をたえず追いつめる
    冬のハンターだ

「猟師の自然観察」から詩「猟銃」・「細い線」とならべてみました。
その足跡をたどるように、おもむろに、梅棹忠夫著作集をひらきます。

ちなみに、
梅棹氏の両眼の視力喪失が1986年3月12日。
梅棹忠夫著作集は1989年刊行~1994年完結。
そうして90歳、2010年7月3日自宅にて逝去。



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