和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

これから戦いになる。

2019-12-04 | 古典
え~と。戦いは戦いでも、
薩摩守忠度(さつまのかみただのり)の話。

「一ノ谷の合戦にはいろいろなエピソードもたくさんございますね。
敦盛と熊谷の話もありますし、薩摩守忠度の話なんかも、
あれは勅選の歌集へ入れてもらいたかったからですね。
自分の歌を、自分の和歌を二首それに加えてもらいたくて、
これから戦いになるというのに、陣屋から抜け出して
都へ届けに行っておりますね。『千載集』に、
朝敵のゆえに読人知らず、となって載っておりますね。
『さざなみや志賀の都は荒れにしを、昔ながらの山桜かな』。
志賀は近江のことですが、べつにうまい歌だとは思いません。

・・・ぼくは平家の軍勢ってそんなに差し迫った戦いとは
受けとっておらず、ここで負けると思ってなかったからだと
思いますね。この一ノ谷だけじゃなく屋島でも、壇ノ浦でも、
平家としてはじゅうぶん自信があったんじゃないかとね。」
(p138)

はい。中村直勝氏と村上元三氏の歴史対談『平家物語』(講談社)
から村上氏が語っている箇所でした。
もう少しつづけて引用。

「忠度のことですけれど、和歌を都まで届けに行ったというのは、
やっぱりこれは平家の息子たちの自信だったんでしょうね。・・・
じゅうぶん余裕があったんじゃないかと思います。
それだけまた陣中でゆとりがあって。白拍子をつれて行って
管絃をやらせたりしてじゅうぶん楽しんでます。

ところが源氏のほうは
とてもそんなゆとりはありませんわね。
もういのちがけで、負けたら都へは戻れませんし・・・」
(p139)

はい。いま現代に、薩摩守忠度を、さがすとしたら?
う~ん。誰と特定しては面白くないかもしれない。

「自信だったんでしょうね」と
「じゅうぶん余裕があったんじゃないか」
という、2つのキーワードで、
現代の世相を反映するそんな短文をこしらえよ。
という設問の国語のテストがあったりすると、
俄然国語が面白くなる。そんな気がします。

う~ん。先生にめぐまれればの話なのかなあ。

こんなことを思い浮かべたのは、今日産経新聞(12月4日)
の一面見出しを見たからでした。そこには、
「日本 読解力15位に急落」「15歳 国際学力調査」。

こうして、ブログを書き込んでいると、国語が気になります。

それはそうと、もどって、

「憲法9条があると、自信だったんでしょうね。」
「憲法改正など急がない、
そんなじゅうぶん余裕があったんじゃないか。」

と、私ならあてはめてみたくなります。
もちろん正解はひとつではないので、
あなたなら、どんな短文をつくるのでしょう?

何てことを思い描くと、ぐっと身近に、
薩摩守忠度(さつまのかみただのり)。




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