谷沢永一の本をひらくと、ときたま、
藤本進治へ言及している箇所がある。
うん。それが気になったので、
その個所を引用しておきます。
「藤本先生は生家が裕福で
『好きな本があったらいくらでも買いなさい』
とお父さんが本代を払ってくれたから、
若い時は嫌と言うほど本が買えたそうです。
飲み代に困ると、購入した新刊をそのまま
古本屋の天牛(てんぎゅう)に売り、飲み屋に行って
お銚子をずらっと並べて飲んだと言っていました。
勉強は好きだったが、
あまりにも若い時に哲学に凝りすぎて、
いわゆる勉強ができなかった。
だから、大阪の今宮中学まで出ておきながら、
結局、関西大学経済学部へ入った。
豊かな育ちという点では私と反対ですが、
勉強の面では私と似ています。」(p167)
これは、谷沢永一著「疲れない生き方」(PHP研究所)
にあるのでした。印象的な場面が続くのですが、
最後の箇所だけでも引用しておきます。
「私はたいへん運がよかった。そして、
藤本進治先生はとことん運が悪かった。
なぜかと考えると、
それほどまでに博学博識でありながら、
『世間知』というものがほとんどないのです。
よく言われる『世渡り下手』とでもいうか、
ここ一番というところで
『これがポイントだ』という世渡りの
コツがわからない人だった。
おそらく、いろいろなチャンス
があったと思うのだけれども、
それをずっと逃してきたに違いない
と私は見ています。
したがって、
自分の専門という境界を
設けない広い学識と同時に、
それだけでは駄目で、
俗世間と何らかの形でコンタクトを
きちんと持たないと
うまくいかないということも、
暗黙のうちに
私は教わったと思っています。」
(p171)
藤本進治へ言及している箇所がある。
うん。それが気になったので、
その個所を引用しておきます。
「藤本先生は生家が裕福で
『好きな本があったらいくらでも買いなさい』
とお父さんが本代を払ってくれたから、
若い時は嫌と言うほど本が買えたそうです。
飲み代に困ると、購入した新刊をそのまま
古本屋の天牛(てんぎゅう)に売り、飲み屋に行って
お銚子をずらっと並べて飲んだと言っていました。
勉強は好きだったが、
あまりにも若い時に哲学に凝りすぎて、
いわゆる勉強ができなかった。
だから、大阪の今宮中学まで出ておきながら、
結局、関西大学経済学部へ入った。
豊かな育ちという点では私と反対ですが、
勉強の面では私と似ています。」(p167)
これは、谷沢永一著「疲れない生き方」(PHP研究所)
にあるのでした。印象的な場面が続くのですが、
最後の箇所だけでも引用しておきます。
「私はたいへん運がよかった。そして、
藤本進治先生はとことん運が悪かった。
なぜかと考えると、
それほどまでに博学博識でありながら、
『世間知』というものがほとんどないのです。
よく言われる『世渡り下手』とでもいうか、
ここ一番というところで
『これがポイントだ』という世渡りの
コツがわからない人だった。
おそらく、いろいろなチャンス
があったと思うのだけれども、
それをずっと逃してきたに違いない
と私は見ています。
したがって、
自分の専門という境界を
設けない広い学識と同時に、
それだけでは駄目で、
俗世間と何らかの形でコンタクトを
きちんと持たないと
うまくいかないということも、
暗黙のうちに
私は教わったと思っています。」
(p171)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます