徳岡孝夫著「お礼まいり」(清流出版)に
昭和30年代を振り返った、徳岡氏の文があります。
ひと味もふた味も違うのでした。そこを引用。まあ一箇所のみ。
昭和35年、徳岡氏はフルブライト留学生としてアメリカへ。翌年サンフランシスコから船で帰国します。出発と同じ横浜の大桟橋が終着点でした。
そこで帰ってきて船を降りる時のことが語られております。
「私たちのそばに一人、桟橋に向かって懸命に手を振る若い西洋人の女がいた。見ると桟橋側にも彼女に向かって手を振っている男がいる。何か叫んでいる。・・・・
船はゆっくり接岸した。荷物の少ない私は、さっさと入国手続きと通関を済ませ、一年ぶりに横浜の土を踏んだ。一番だろうと思ったら、そうではなかった。税関を出たところに、さっきの女がいた。出迎えた男と抱き合っている。・・・・
小さい輪を作って、それを見物している数人の日本人がいる。服装から見て、ヒマな沖仲仕らしい。半径二メートルほどの綺麗な円を作って、男たちは延々と続く西洋人のキスを眺めている。誰もニヤニヤ笑っていない。オッサンたちの中には腕組みしているのがいる。何か話し合いながら見ているのもいる。男女は、見られているのを全く気にしない。ちょっと離れては抱き合うのを繰り返している。抱き合えばシッカリ接吻する。二人もマジメだが、眺める側もマジメである。犬の交尾を眺める人間か。人間の交尾を見る犬の群れか。冷やかし半分に見ている者は一人もいない。
『見い、よくやるのう』『おお、またやりおるわ』『映画の実演みたいじゃ』『西洋人は、こうやらんと気が済まんのじゃろ』そう話し合っているのが聞こえるようである。・・・
私は顔から火が出た。真昼の抱擁・接吻と純粋な傍観の見物人。寸分のイヤラシサもないから、私はかえって恥ずかしかった。・・・・
西洋史家・会田雄次(1916~97年)の『アーロン収容所』が、全裸で日本兵捕虜の前に出て羞じない英女兵を描いたのは、この大接吻の翌年である。」(p49~50)
私はテレビを見ながら、ひょっとすると『おお、またやりおるわ』とつぶやいていたりすることがあるような気がしてきました。
もうひとつ印象に残るのは、「人生アテスタントの必要」という文でした。
そこにこうあります。
「老境に入った日本の男は、捨て始める。預金を捨てる人は少ないが、最初に狙われるのは本である。私も、死ぬまでにもう読む時間のない本、もはや取り組む力を失ったテーマの関係書を、かなり捨てた。売る手もあったが、未練になるので捨てた。今生(こんじょう)の別れだった。捨てすぎて、必要な本まで無くなったのを知って驚いたが、そのテーマは書かずに死ぬことに決めた。それでもまだ、庵の壁の一つ半は、天井までの書棚である。丸裸で生まれたからといって、丸裸で死ぬのがいかに難しいか、この本の例によっても分かる。」(p167)
「人生は、ひとりで生きただけではダメである。あなたの人生をアテスト(証明)してくれる人がいて、初めて『生きた。人生があった』と分かる。第三者に認証されない人生は、無に等しい。日本の多くの男にとって、その重要なアテスタントは妻である。」(p169)
そうそう、山本夏彦の追悼文に
徳岡孝夫に叱られた夏彦がいました。
「次の酒の席で、誰かが『死ぬの大好き』のタイトルを褒めた。夏彦翁は『徳岡がぼくを叱るんだよ』と答えた。・・・それ以上は翁も私も何も言わず、その話題はそれきりになった。」(p31)
うん。山本夏彦を面と向かって叱る男。
徳岡孝夫氏を、一言で紹介するには、これがいいかもしれません。
昭和30年代を振り返った、徳岡氏の文があります。
ひと味もふた味も違うのでした。そこを引用。まあ一箇所のみ。
昭和35年、徳岡氏はフルブライト留学生としてアメリカへ。翌年サンフランシスコから船で帰国します。出発と同じ横浜の大桟橋が終着点でした。
そこで帰ってきて船を降りる時のことが語られております。
「私たちのそばに一人、桟橋に向かって懸命に手を振る若い西洋人の女がいた。見ると桟橋側にも彼女に向かって手を振っている男がいる。何か叫んでいる。・・・・
船はゆっくり接岸した。荷物の少ない私は、さっさと入国手続きと通関を済ませ、一年ぶりに横浜の土を踏んだ。一番だろうと思ったら、そうではなかった。税関を出たところに、さっきの女がいた。出迎えた男と抱き合っている。・・・・
小さい輪を作って、それを見物している数人の日本人がいる。服装から見て、ヒマな沖仲仕らしい。半径二メートルほどの綺麗な円を作って、男たちは延々と続く西洋人のキスを眺めている。誰もニヤニヤ笑っていない。オッサンたちの中には腕組みしているのがいる。何か話し合いながら見ているのもいる。男女は、見られているのを全く気にしない。ちょっと離れては抱き合うのを繰り返している。抱き合えばシッカリ接吻する。二人もマジメだが、眺める側もマジメである。犬の交尾を眺める人間か。人間の交尾を見る犬の群れか。冷やかし半分に見ている者は一人もいない。
『見い、よくやるのう』『おお、またやりおるわ』『映画の実演みたいじゃ』『西洋人は、こうやらんと気が済まんのじゃろ』そう話し合っているのが聞こえるようである。・・・
私は顔から火が出た。真昼の抱擁・接吻と純粋な傍観の見物人。寸分のイヤラシサもないから、私はかえって恥ずかしかった。・・・・
西洋史家・会田雄次(1916~97年)の『アーロン収容所』が、全裸で日本兵捕虜の前に出て羞じない英女兵を描いたのは、この大接吻の翌年である。」(p49~50)
私はテレビを見ながら、ひょっとすると『おお、またやりおるわ』とつぶやいていたりすることがあるような気がしてきました。
もうひとつ印象に残るのは、「人生アテスタントの必要」という文でした。
そこにこうあります。
「老境に入った日本の男は、捨て始める。預金を捨てる人は少ないが、最初に狙われるのは本である。私も、死ぬまでにもう読む時間のない本、もはや取り組む力を失ったテーマの関係書を、かなり捨てた。売る手もあったが、未練になるので捨てた。今生(こんじょう)の別れだった。捨てすぎて、必要な本まで無くなったのを知って驚いたが、そのテーマは書かずに死ぬことに決めた。それでもまだ、庵の壁の一つ半は、天井までの書棚である。丸裸で生まれたからといって、丸裸で死ぬのがいかに難しいか、この本の例によっても分かる。」(p167)
「人生は、ひとりで生きただけではダメである。あなたの人生をアテスト(証明)してくれる人がいて、初めて『生きた。人生があった』と分かる。第三者に認証されない人生は、無に等しい。日本の多くの男にとって、その重要なアテスタントは妻である。」(p169)
そうそう、山本夏彦の追悼文に
徳岡孝夫に叱られた夏彦がいました。
「次の酒の席で、誰かが『死ぬの大好き』のタイトルを褒めた。夏彦翁は『徳岡がぼくを叱るんだよ』と答えた。・・・それ以上は翁も私も何も言わず、その話題はそれきりになった。」(p31)
うん。山本夏彦を面と向かって叱る男。
徳岡孝夫氏を、一言で紹介するには、これがいいかもしれません。
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