はい。雑誌連載中の平川祐弘
『一比較研究者(コンパラティスト)の自伝』を読む楽しさは、
こんな箇所じゃないでしょうか。
「 60年も前から反大勢だった私は、
論壇の主流から外されてきたが、
同世代で誰が王道を進んだのか、
判定はまだ下されていない気がする。」
( p358・月刊Hanada2020年7月号連載㉔「私の変わりよう」 )
はい。この連載をひらくと、どうぞ判定を下してみてください、
そう、読者へ問いかけられているような気がしてくるのでした。
このあとには、こう続きます。
「しかしそんな万年助手に論壇での発言権などあろうはずもない。
ただ『神曲』翻訳などで文筆収入はかなりあった。
これは当時の助手の月給が少なかったから、
相対的に多く感じたまでかもしれない。
しかしそんな収入があったからこそ、
いざとなれば大学をやめても構わない、と思い、
私は平気で東大紛争中も意見を述べたのだろう。
言論においてはきわめて反体制的、
行動においては保守保身的という
日本の左翼知識人のずるさは私も感じた。
しかし人間はそんなものだ、という諦観もあった。」(p358)
う~ん。ここまでの引用だと、
尻切れトンボになっちゃうし、引用はむずかしいなあ。
でもこれくらいにしておきます。
はい。連載を読んでいると、私はワクワクしてきます。
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