今年は「大村はま全集」を最後までひらき、
そうして、根気よく読みとおせますように。
「大村はま国語教室」の第4巻に
「文学を味わわせるために」(昭和42年12月大下学園国語科教育研究会)の
講演録が載っておりました。そのなかに『 重ね読み 』が語られていて、
ああ、一冊だけじゃなくって、何冊か重ねながら、そこから共通点やら
微妙な違いやらを抽出して、自分の心持を言葉に浮かび上がらせる過程を、
具体例を出し、講演を聞く先生方に発見させるような説明されております。
『重ね読み』で、私がきちんと比べたくなる人たちは
大村さんと、梅棹忠夫たちの共同研究の系列の人たち。
今年はまた、1から大村はまを読み始めることに。
そう思うと、ちくま新書の「教えることの復権」をひらきたくなる。
大村はまさんが、教えようとした学校を語る箇所がありました。
「・・・でも私自身はいい学校へ行きたいと志願したことはないです。
日本中にどこにでもあるというようなあたりまえの学校に奉職したい
と思っていたんですよ。
これから自分が一生懸命取り組んでいくことの成果、
それはあたりまえの学校でやってこそ、
たくさんの人についてきてもらえるのだ、と思った。」( p28 )
この語りをついで、元生徒の苅谷夏子さんも語っています。
「 私たちはみんなあたりまえの、普通の中学生だった。
特殊例として、そう思って読んでほしくない。
普通の中学生がこういうことをやっていたんだ、
そう思って読んでいただきたいと思うんです。 」( p29 )
この箇所はそのまま、大村はま全集のひらき方を示唆しておりました。
これから一年、私は中学生となり大村はま国語教室の生徒になります。
まず、大村先生は、こう新入の中学生に言ってきかせております。
「『ここは中学校です。
小学校は子どもの学校、中学校は大人の学校、
――じゃないけれども、大人になる学校です。
だから子どもの学校ではいいと言われたことでも
中学校のほうではだめっていうことがあるんです。
それは中学校の先生が意地悪なのではなくて、大人になって
やって悪いことはやめていかないと困るので、そこが大変ちがう。
そこで、とにかく国語の時間としては、これからは一ぺんで
ものを聞いてほしい、私の言うことは一ぺんで聞きなさい 』
こんなふうに言いました。
わからなければ二度でも三度でも言うけれど、
お詫びしなければ言わないって。
大人は聞きそこなったりすると、恐れ入りますがどんな話でしたか、
と、そういうふうに言って謝らなければ聞けない。
だからそれをまず国語の時間にやってほしいと言いました。
それは、実際には、単元学習のような構成の複雑な学習を進めるのに、
一ぺんで話のわからない子どもがたくさんいたら、やれません。
だからそれは最初の大事なことでした。
二度聞いても三度聞いても、もちろんよくお話しはしますよ、
お話しはしますが、ただ、謝らなきゃねって。
これは大層効果のあったことでした。
ただし、それは教師のほうからすれば大変なことなの。自分が一ぺんで
わかる話をしているかということが問題でしょう。大問題。 」(~p31)
ちなみに、この『 大問題。 』は、そのあとにどうなったのか?
「大村はま国語教室」第13巻は「やさしい国語教室」の文が載っています。
その最後の「解説」を倉沢栄吉氏が書いているのですが、そこから
この箇所を引用して、今回は終わります。
「・・・それは本書の愛読者が、先生方はむろんだが
小中学生にもたくさんいたという事実である。
その少女の一人を宮崎陽子という。
この少女はいわゆる帰国子女の一人で、
日本に帰ってきた六年生のとき、
偶然、荒木千春子と出会い、
『やさしい国語教室』をすすめられる。
熱心に読み出してその感想を文章に書き続けた。
・・・・・少女は次のように親しみをこめて書いている。
『 この「やさしい国語教室」を読んで感じた楽しさは、
今までに読んだ本の楽しさとは、質が違うように感じられる。
それは、他の本よりも、この本は
作者を身近なものに感じさせるからだろう。
この本を読むと、大村はま先生と実際に
お話をしているように感じられる。
このような事は、今までに読んだ本の中では
一度も感じられなかった。 』 と。 」
( p468 「大村はま国語教室」第13巻 )
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