和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

また加藤周一。

2007-07-03 | Weblog
朝日新聞2007年6月21日文化欄。吉田秀和氏の音楽展望を読んだのです。こう始まっておりました。「新聞を読むのが、だんだん億劫になってきた。目が悪くなったせいではない。中身のことである。しばらく前からその気味があったのだが、最近は手にとって読む前から気が重くなってきている。・・」この出だしを書き写していて思うのですが、吉田秀和さんは何新聞のことをいっているのでしょう?
億劫になっているらしいので、きっと各新聞社の新聞を数紙あわせて読んでいるわけではないでしょう?おそらく朝日新聞一紙のことをさしているのではあるまいか?なぜって、いまほど各新聞の違いがはっきりしていて、読み比べるとワクワクしてくるほど相違点を指摘できるのでした。それを「気が重くなる」と吉田秀和さんがわざわざ指摘するのは何新聞なのだろう。そこが気になるのでした。

つづけて秀和氏は「読みたい記事ものっている」として
「例えば、加藤周一さんのコラム。彼は――特に近年は、世の流れに逆らっても、信じるところを主張する。彼は常に知の限りをつくして『理』を説く。特に時代の大きな問題について、自分はどう考えるか、なぜそうかを、その正否、それから利害損失に至る面からも、徹底的に究明しようとする。・・・彼は全霊全力を尽くして考えつめ、読者に語りかけてやまない。・・それはもう戦いの姿勢。私はそれに打たれる。戦士といえば、大江健三郎さんの書くものにもそれを見る心地がする。」

吉田秀和さんのこのコラムをどう読めばよいのでしょう。
ここでは新聞というのが、朝日新聞のことのようです。
繰り返すと朝日新聞の記事内容の「中身のことである。・・最近は手にとって読む前から気が重くなってきている」というように読めるわけです。
それでも朝日新聞にコラムをよせている加藤周一・大江健三郎の両氏のコラムには、打たれると吉田秀和氏は指摘しているようです。

ちょうど古本の「三酔人書国悠遊」(潮出版)を見ていたのでした。
この本は鼎談で谷沢永一・加地伸行・山野博史の三人が語り合っております。
その小西甚一氏の本をとりあげている回で、ちらりと加藤周一が登場しておりました。せっかくですから、その箇所を引用してみたいと思うのです。


それは小西甚一氏の『日本文藝史』をとりあげている話題の中でした。
ちなみに山野博史さんはその話題の最後にこう語っております。
「サラリーマン家庭の本棚に『日本文藝史』が並んでいたら、それだけで、そのお宅を尊敬したくなりますね。・・出版と同時に、『古典』となることが約束されている不朽の名著なのに・・」

では、そこで加藤周一氏がでてくる箇所を、引用しておきます。

【山野博史】ふつう、国際的視野とかいうと、なにかバタ臭い、モダニズム調が胸くそわるく幅をきかせるでしょう。加藤周一の『日本文学史序説』みたいに。しかし、あの種の臭みは全然ないですね。
【谷沢永一】『日本文学史序説』はマーガリン。バタ臭さをねらっただけ。
【加地伸行】加藤さんは残念ながら漢文学がわかっていない。だから、ステレオタイプのことしか言えなかった。
【谷沢永一】加藤さんはつまらぬ理屈をつけるんです。川端康成の『雪国』がなんで名作なのかといえば、あれは恋愛進行中に書いた作品だからだ、と(笑)。その点、小西さんの視点ははっきりしている。つまり文藝というものは、偉大な個性が出てきたときに光るんだ、というわけです。俳諧が始まって百年たてば、自然に芭蕉が出てくるとうものじゃない、と。



それにしても、朝日新聞の記事のなかでは、きっと加藤周一や大江健三郎のコラムというのは輝いてみえるのでしょう。それは輝いて見えるというよりも、ひょっとして社説等が、読むのも億劫な内容でしかないからなのじゃないかと私などは愚考するわけです。今度朝日新聞の古新聞をもらってきたら、読まずにいた加藤周一さんのコラムをあらためて読んでみることにします。


ちなみに吉田秀和氏は1913年生まれ。
そして、加藤周一氏は1919年生まれ。

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