和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「久しぶりね」屏風。

2021-04-25 | 枝葉末節
杉本秀太郎著「絵 隠された意味」(平凡社)。
はい。楽しめます。どんな風に楽しめるのか?
うん。その雰囲気は引用するに限ります。

屏風絵で、喜多川相説『芙蓉・菊』をとりあげた箇所を引用。

「・・・古くさい草花図や円山四条派のおっとりした、
至極おだやかな風景がかかっていることはめったにない。・・・

そもそも床の間というものに注意することがない。まして、
紙も黄ばんだ、なんだかうすぎたない草花図の枕屏風ごときに
気をうばわれるいわれがあるだろうか。・・・」(p82)

「・・・かわいそうに、と思いながら屏風をながめている気分は、
こういう世であればこそはじめて許されるふしぎな気分である。」

こうして、短文の最後に屏風を説明しておりました。

「この屏風には、左扇に芙蓉、白菊、芒、
右扇に白菊、萩、芒が描かれているが、
左右を交互にながめていると、草花が互いに
左右から中央の空地にむかって手をさしのべ、
久しぶりね、とまず言いかわし、心の奥では
密語をたくらんでいるように思えてくる。

こういう花々の願望を形にあらわすのに、
画家は芒の葉を巧みに用いている。

琳派を装飾的と形容するのはいいが、
装飾とは心の表現であることを忘れてはいけない。」
(p84)

はい。この屏風に呼び名をつけたくなってきました。
『「久しぶりね」屏風』と、名づけてはどうでしょう。
そうすると、紙も黄ばんだ屏風の、芒の葉が
こころなし揺れるような、そんな気がしてくる(笑)。

はい。この短文の途中には、こうもありました。

「屏風というものが日常生活の道具、調度品として、
われわれの感情生活にかかわっていた時代は、
この枕屏風が渋紙に包まれたまま暗所で長い眠りに
就いていたあいだに、すっかり過ぎ去ってしまった。」

その屏風の眠りを、目覚めさせてくれる感性が、
杉本秀太郎著「絵 隠された意味」にあります。
うん。そんなことを思って、楽しんでおります。

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