杉本秀太郎著「絵 隠された意味」(平凡社)。
はい。楽しめます。どんな風に楽しめるのか?
うん。その雰囲気は引用するに限ります。
屏風絵で、喜多川相説『芙蓉・菊』をとりあげた箇所を引用。
「・・・古くさい草花図や円山四条派のおっとりした、
至極おだやかな風景がかかっていることはめったにない。・・・
そもそも床の間というものに注意することがない。まして、
紙も黄ばんだ、なんだかうすぎたない草花図の枕屏風ごときに
気をうばわれるいわれがあるだろうか。・・・」(p82)
「・・・かわいそうに、と思いながら屏風をながめている気分は、
こういう世であればこそはじめて許されるふしぎな気分である。」
こうして、短文の最後に屏風を説明しておりました。
「この屏風には、左扇に芙蓉、白菊、芒、
右扇に白菊、萩、芒が描かれているが、
左右を交互にながめていると、草花が互いに
左右から中央の空地にむかって手をさしのべ、
久しぶりね、とまず言いかわし、心の奥では
密語をたくらんでいるように思えてくる。
こういう花々の願望を形にあらわすのに、
画家は芒の葉を巧みに用いている。
琳派を装飾的と形容するのはいいが、
装飾とは心の表現であることを忘れてはいけない。」
(p84)
はい。この屏風に呼び名をつけたくなってきました。
『「久しぶりね」屏風』と、名づけてはどうでしょう。
そうすると、紙も黄ばんだ屏風の、芒の葉が
こころなし揺れるような、そんな気がしてくる(笑)。
はい。この短文の途中には、こうもありました。
「屏風というものが日常生活の道具、調度品として、
われわれの感情生活にかかわっていた時代は、
この枕屏風が渋紙に包まれたまま暗所で長い眠りに
就いていたあいだに、すっかり過ぎ去ってしまった。」
その屏風の眠りを、目覚めさせてくれる感性が、
杉本秀太郎著「絵 隠された意味」にあります。
うん。そんなことを思って、楽しんでおります。
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