『街道をゆく』。その須田剋太の挿絵を見ています。
うん。カタログを手許へと置きながら、
この魅力はいったい何かと思いながら。
余分な線が描きこまれたデッサンのような挿画。
まるで地面と歴史からの補助線がのびたようで。
まるで眼前の電線のように張り巡されたようで。
それに較べると、安野光雅画伯の『街道をゆく』の装画では、
落ち着きさが気になり、万事落ち着かない私には不釣り合い。
うん。これを私の好みの問題にしてしまったらそれまでですが、
こういう始末に困る魅力を、司馬さんは語ってくれております。
モンゴル高原に、司馬さんが須田さんといっしょに行った時の
ことを語った箇所があるのでした。
「・・須田さんが、半ば朽ちたタラップを降りつつ、
草原を見はるかしたのをおぼえています。
『 パリよりもすごい 』
とつぶやかれたのは、おかしくもあり、感動的でもありました。
私としてはお誘いした甲斐があったと思い、心満ちた気分でした。」
( p478~479 「司馬遼太郎が考えたこと 14」新潮文庫 )
ここで、須田画伯が、モンゴル高原とパリとをひきあいに出した。
そのことに、司馬さんは触れながら正岡子規をひきあいに出します。
「 二律背反とまで行かないにせよ、
なんだか変で、それでいて張りのあるイメージなのです。
例をあげると、子規の
『 柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺 』のような張りであります。
相異なる事物(この場合、柿と鐘)が、平然と一ツ世界に同居しますと、
ときに磁力のように、たがいにはねのけたり、吸着したりします。
そのことによってふしぎな音や光を発したりもします。
芸術的効果というべきものであります。
須田さんの絵画(とくに『街道をゆく』の装画)は、
ほとんど無作為にしてそのようでありました。
・・・・そうでなければ画面の緊張というのは生み出されません。
緊張とは、造形上の矛盾を、二つの相反する力が、
克服しようとして漲(みなぎ)ってくる場合のことを言います。
それにしても、人工で詰まったパリと、非人工の美ともいうべき
モンゴル草原をとっさに同じ括弧(かっこ)のなかに入れて
比較する須田さんのおかしさ・・・・・ 」( p479~480 )
はい。この言葉を頼りに、また須田剋太画伯の
『街道をゆく』の装画を、ひらいてみることに。