和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

なんだか変で、それでいて。

2023-06-15 | 絵・言葉
『街道をゆく』。その須田剋太の挿絵を見ています。

うん。カタログを手許へと置きながら、
この魅力はいったい何かと思いながら。
余分な線が描きこまれたデッサンのような挿画。
まるで地面と歴史からの補助線がのびたようで。
まるで眼前の電線のように張り巡されたようで。

それに較べると、安野光雅画伯の『街道をゆく』の装画では、
落ち着きさが気になり、万事落ち着かない私には不釣り合い。

うん。これを私の好みの問題にしてしまったらそれまでですが、
こういう始末に困る魅力を、司馬さんは語ってくれております。

モンゴル高原に、司馬さんが須田さんといっしょに行った時の
ことを語った箇所があるのでした。

「・・須田さんが、半ば朽ちたタラップを降りつつ、
 草原を見はるかしたのをおぼえています。

 『 パリよりもすごい 』

 とつぶやかれたのは、おかしくもあり、感動的でもありました。
 私としてはお誘いした甲斐があったと思い、心満ちた気分でした。」

     ( p478~479 「司馬遼太郎が考えたこと 14」新潮文庫 )

ここで、須田画伯が、モンゴル高原とパリとをひきあいに出した。
そのことに、司馬さんは触れながら正岡子規をひきあいに出します。

「 二律背反とまで行かないにせよ、
  なんだか変で、それでいて張りのあるイメージなのです。

  例をあげると、子規の
 『 柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺 』のような張りであります。

  相異なる事物(この場合、柿と鐘)が、平然と一ツ世界に同居しますと、
  ときに磁力のように、たがいにはねのけたり、吸着したりします。

  そのことによってふしぎな音や光を発したりもします。
  芸術的効果というべきものであります。

  須田さんの絵画(とくに『街道をゆく』の装画)は、
  ほとんど無作為にしてそのようでありました。

  ・・・・そうでなければ画面の緊張というのは生み出されません。
  緊張とは、造形上の矛盾を、二つの相反する力が、
  克服しようとして漲(みなぎ)ってくる場合のことを言います。

  それにしても、人工で詰まったパリと、非人工の美ともいうべき
  モンゴル草原をとっさに同じ括弧(かっこ)のなかに入れて
  比較する須田さんのおかしさ・・・・・     」( p479~480 )


はい。この言葉を頼りに、また須田剋太画伯の
『街道をゆく』の装画を、ひらいてみることに。 
                           


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本と草むしり。

2023-06-13 | 本棚並べ
晴耕雨読じゃないけれど、
雨が降るこの時期、雑草がみるみるうちに伸びますね(笑)。

私みたいな怠け者は、畑をきれいにするなどと大それたことは考えません。
とりあえず、草刈り機で刈って、とりあえず見た目がきれいならよしとします。

まったくもって、本読みも同様な始末。
そういえば、本と草刈りとを結びつける指摘がありました。

「・・万葉学の澤瀉久孝先生が、私の学生の時分に、
 万葉集の研究をすると言っても、

   すぐに誰も解釈のつかなかった、読みの通らなかった
    難解な歌に喰らいつくのは、これは愚の骨頂であって、

 学問というものは足許の草むしりから始めなさい、

 とにかくまったく誰もが異存のない、・・・・
 そこから学問が始まると、そう教わったのであります・・・   」

  ( p18~19 谷沢永一著「読書人の立場」桜楓社・1977年 )

という箇所があり、『愚の骨頂』で出来上がった自分が思い浮かびます。
ちなみに、この本には、本の資料集めについても指摘されておりました。
はい。なるほどなるほどと思い、最後にはこちらも紹介しておきます。

「 ・・・高い本は絶対に買わない。・・・・
  貧学生といたしましては、出来るだけ零細な、
  あまり人の目につかないような資料を、
  安く気長に集めて必要な一通りの量に持って行く。

  だから、これは欲しいと思っても高いものは 涙をのんであきらめる。
  20数年間その方針に徹して参ったわけであります。・・   」(p14)


それにつけても、雑草を目の前にして
『 足許の草むしり 』が気になる梅雨のこの季節ではあります。
 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こういう自由は捨てた方がよい。

2023-06-12 | 先達たち
論文を読むにはどうすればいいんだろうなあ?
などと、ガラにもなく思っていたら、そういえばと、
清水幾太郎著「論文の書き方」(岩波新書・1959年)が思い浮かぶ。

はい。その第一章は『 短文から始めよう 』でした。
うん。第一章だけでも読みかえしてみる。
「文章の修業」なんて言葉が登場します。

「 自由な感想を自由な長さで書くという方法は、
  あまり文章の修業には役立たない。

  むしろ、初めは、こういう自由は捨てた方がよい。

  要するに、文章の修業は、
  書物という相手のある短文から始めた方がよい。
  というのが私の考えである。

  自由な感想ではなく、書物という相手があるということ、
  それから、自由な長さではなく、5枚とか、10枚とかいう
  程度の短文であるということ、この2つが大切である。  」(p9)


ちなみに、岩波新書といえば、
清水幾太郎著「論文の書き方」が1959年で、その10年後
梅棹忠夫著「知的生産の技術」が1969年に出版されていました。

うん。10年後の『技術』と関係のありそうな箇所が気になります。

「ブローダー・クリスティアンセンの『散文入門』の本文は、
 ゲーテの言葉で始まっている。

 『 すべての芸術に先立って手仕事がなければならない。 』

 この言葉は文章の修業にも当て嵌まる、
 とブローダー・クリスティアンセンは考える。

 芸術は他人に教えることが出来ないであろう。
 しかし、手仕事のルールは、他人に教えることが出来るし、
 誰でも学ぶことが出来る。

 ・・・手仕事のルールは教えることも、学ぶことも出来るであろう。
 そして、こういう手仕事なら、学校教育に含ませることが可能でもあり、
 必要でもあろう。私はそう欲の深いことを言っているつもりはないのだ。」
                        ( p91 )

清水幾太郎が『手仕事のルール』と語った10年後に
梅棹忠夫が、『知的生産の技術』を岩波新書で出したのでした。

うん。『ルール』と『技術』。
10年前に、『知的生産の技術』への道筋が語られていたわけです。

ということで、すっかり忘れていた清水幾太郎著「論文の書き方」を
初読のようにして読みかえす頃合いになった気がしてきました。





コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草は嫌でも繁りはびこる。

2023-06-10 | 正法眼蔵
平川祐弘氏は1931年7月11日生まれ。現在91歳。

産経新聞2023年6月6日正論欄に、その平川氏の文がありました。
そのオピニオンの最後の方を引用。

「 ・・・世界を広く見渡して、こう述べたとき、
  教室ですぐ反応した内モンゴル出身の留学生がいた。

  ・・・あれから30年、そのテレングト・アイトル氏が
  大著『 超越への親密性――もう一つの日本文学の読み方 』を
  北海道学園大学出版会から出した。比較文化を日本語で雄弁に論じる

  ・・・アイトル教授は敵味方の戦没者に対する
  日本人の『 怨親平等 』の心にふれる。

  ・・・仙台市にある善応寺の『 蒙古の碑 』の献句碑には、
  大陸にはおよそ見られない。こんな句もある。

    蒙古之碑囲み花咲き花が散る。

  もし今後、新しい『 江南軍 』が九州南西へ襲来したらどうするか。
  
  文学・俳句は現実・歴史を超え、より超越的なものを求めると教授はいう。
  戦士の散華をいとおしむ里言葉の句を読むうちに、
  有事の際は敵味方の差別なく平等に死者を葬りたい。
  私はそう感じた。  」


うん。ここでテレングト・アイトル氏の大著を読めばよいのでしょうが、
それはそれ、私はいつ読むのやら。

ここは、葉を繁らせるように、思いを馳せます。

献句碑の『 蒙古之碑囲み花咲き花が散る 』から
わたしに思い浮かんできたのはというと、

道元の現成公案にある言葉でした。

「 華は愛惜(あいじゃく)にちり、
  草は棄嫌(きけん)におふるのみなり。 」

はい。増谷文雄氏の現代語訳では

「  花は惜しんでも散りゆき、
   草は嫌でも繁りはびこるものと知る。 」

      ( p41 講談社学術文庫「正法眼蔵(一)2004年 」

『 超越への親密性――もう一つの日本文学の読み方 』を
きちんと根をはるようにして読み、当ブログで紹介できますように。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉の『葉』と『根』。

2023-06-09 | 本棚並べ
ネット検索して古本を買うのですが、
読んだ本のなかに、ある本からの引用があったりする。
その引用箇所が気になって、注をたよりに、
芋づる式に、読みたい本がひろがってゆくということがあります。

それも、これも、簡単にネットで古本を注文できる
という有難さがあってこそのこと。

ネットでは、でも表層的なことも起こるようです。
田中泰延著「読みたいことを、書けばいい」ダイヤモンド社・2019年。

ここで、『調べる』ことに注意を喚起した言葉がありました。
ライターゼミの課題を出した際に、

ある人は『 つっこんで調べたつもり 』で、
Amazonで数冊、「よくわかる・・」とか
「・・謎を解く」という新書を買って書いてくる人がいる。

田中氏は指摘しております。

 『 これでは調べたことにはならない。
   調べるというところまで至っていない。 』

つづきます。

 『 ネットの情報は、また聞きのまた聞きが
   文字になっていると思って間違いない。

   ムックや新書の類も、たとえ専門家が監修していても、
   ほとんど新事実は載っていない。・・・

   ならばどうすればよいか。
   一次資料に当たらなければ話にならないのである。 」(~p152)

この箇所は、見出しが『 一次資料に当たる 』となっていました。
その文の最後も引用しておくことに。

「  言葉とは、文字通り『 葉 』である。   
   好きなことを好きに書いた葉を繁らせるためには、
  『 根 』が生えていなければならない。
   それが一次資料である。           」(p157)


もっとも、著者は、一次資料をもとめて
国立国会図書館に通ったそうでした。
万事横着な私は、ネットで古本を注文し満足しております。

それにしても、『 一次資料に当たる 』という指摘は忘れがたい。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

素朴な元気のようなもの。

2023-06-08 | 絵・言葉
司馬遼太郎著「微光のなかの宇宙 私の美術観」(中公文庫・1991年)。
はい。注文してあったこの古本が届く。
目次のはじまりは『裸眼で』
目次のおわりには『出離といえるような』。

はい、はじまりとおわりとを読んでみる。
司馬さんは昭和29年から同33年ごろまで、
「 私は、20代のおわりから30代の前半まで、
  絵を見て感想を書くことが勤めていた新聞社でのしごとだった。」(p15)

とあります。その勤めがおわってからのことが語られておりました。
自戒をこめてなのでしょう。こんなエピソードを紹介されています。

「 戦前からの古い画家で、戦後、パリ画壇の様式変遷史を
  そのままたどった人がいた。ついに≪最先端≫の抽象画に入ったものの、
  あたらしい形象を創りだすことができず、

  医大の研究室から電子顕微鏡による動植物の細胞写真をもらってきて
  はほとんどそのまま模写し、構図化していたりした。ただ形がおもしろい
  というだけで芸術の唯一の力である精神などは存在しなかった。
  
  ・・・あらためて思わせられたのは、画論というのは
  それを開創したその画家だけに通用するもので、
  他人の論理や他の社会が生んだ様式の追随者になるというのは、
  その人の芸術だけでなく人生をも無意味にしてしまうのではないか
  と激しくおもった。・・

  もはや仕事で絵を見る必要がなくなったときから、
  大げさにいうと自分をとりもどした。

  奇妙なことに――まったく別なことだが――右の(上の)期間、
  
  文学雑誌もいわば仕事としてたんねんに読んでいたつもりだったが、
  捕虜の身から解放されたような気がして、同時に怠けるようになった。

  ・・・時機が終るのと、小説を書きはじめるのと
  おなじ日だといいたいほどにかさなっていた。
  もはや私自身を拘束するのは自身以外になくて、
  文壇などは考えなかった。・・・・・

  自由を持続するには自分なりの理論めかしいものと、
  素朴な元気のようなものが必要だったが、

  右(上)の4年間の息ぐるしさのおかげで、
  ざっとしたものをごく自然にもつことができた。 」(~p29)


うん。とりあえず、私にできそうなことは、
司馬さんにとっての、小説と絵との結びつきに思いを馳せることでした。

『裸眼で』の最後を忘れないために引用しておくことに。

「 ・・むろん、解放をおそれる画家や画壇勢力もある。
  それはそれでよく、そうあることも自由でなければ、
  ほんとうに物を創りだしたり、それを見たりする者の自由はない。

  ・・物が沈黙のなかで創られる以上、創られてからも、
  ひたすらに見すえられることに堪え、平然と
  無視される勇気を本来内蔵しているべきものなのである。

  繰りかえしいうようだが、19世紀以後の美術は理論の虚喝が多すぎた。
  私自身、あやうくその魔法にからめとられかけ、やっと逃げだしたものの、
  自分だけの裸眼で驚きを見つけてゆくことについては、
  遅々としている。    」(p38~39)


 この本の目次の最後にある須田剋太画伯との旅は、
 『 自分だけの裸眼で驚きを見つけてゆく 』の『自分だけ』から
 解き放たれるような声が聞こえてくるような。そんな気がするんです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評で新刊を買う。

2023-06-06 | 書評欄拝見
産経新聞を購読してます。といっても、テレビ欄中心(笑)。

6月2日(日曜日)の産経読書欄に、酒井信が
福田和也著「保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである」(河出書房新社)
の書評を載せておりました。

はい。私は、どちらの方の本も読んだことはありません。
それでも、この書評がよかったので、新刊を注文することに。

うん。酒井氏の書評だけで、私は満腹感がありました。
短い書評に、元気が出そうな言葉のてんこ盛り。
ここは、書評の紹介にします。

「 ・・・・・時代と対峙し、自己の価値観を
  批評として切り出す時に、ユーモアを忘れないこと。

  不景気な時代に、景気の悪い生き方をしないこと。

  福田恆存(つねあり)は『 伝統にたいする心構え 』で、
  文化とは生き方であり、狂気と異常から身を守る術だと述べている。

  ・・・・『 日常の精神の安寧 』に関わる共同体主義だと言える。

  ・・日本の保守思想は、日常の安寧を『文化』として尊ぶ点で、
  思いの外、臨床心理学と近い関係にある。・・        」

ちなみに、書評の最後はというと、

 「 ・・『 日常の精神の安寧 』を尊ぶ福田らしい
  『 生きた文学 』で、彼の弟子であることを誇らしく思う。 」


このキラキラする言葉の断片を、さあ、どう組み立てればよいか
わからないままに、それではと、新刊を注文することに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

画と文の旅のセッション。

2023-06-05 | 絵・言葉
図録「『司馬遼太郎が愛した世界』展」に
 中塚宏行氏の短い文(p148)がありました。

「  司馬遼太郎は須田剋太を次のように語っている。

 『 まことに稀有な人と出会ってしまったような感じがした。
   以後、このひとと旅をし、やがてそれが
   作品になってあらわれてくるという二重の愉しみに
   ひきずられるようにして、旅をかさねるようになった。 』(241頁)

 とあるように、『街道をゆく』のなかには、
 常識をわきまえた大人である司馬遼太郎が、
 須田剋太の子供のような行動や言動、姿、形を観察して、

 それを生き生きと描写している箇所が随所に出てきている。
 その語りは文章にほのぼのとしたユーモアの味を添えている。

 そして続く。

『 ≪街道をゆく≫は私にとって義務ではなくなり、そのつど
  須田剋太という人格と作品に出会えるということのために、
  山襞に入りこんだり、谷間を押しわけたり、
  寒村の軒のひさしの下に佇んだり旅をつづけてきた。』(241頁)

  ※ 司馬遼太郎「微光のなかの宇宙 私の美術観』中公文庫1997年 」


うん。中塚宏行氏が教えてくれている『街道をゆく』の楽しみ方とは、
どうやら、司馬遼太郎と須田剋太の場所をかえての旅のセッションを
居ながらにして愉しめるところにあるようだと、ひとり頷いてみます。

とすると、『街道をゆく』を読む醍醐味を堪能するのならば、
司馬さんを読みながら、須田剋太の挿絵集を脇に置く愉しみ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何より驚いたことは。

2023-06-04 | 絵・言葉
本の話は、人のを読むのも、自分で書くのも、
どちらも楽しい。はい。楽しめるタイプです。

図録「『司馬遼太郎が愛した世界』展」に、
司馬遼太郎著「微光のなかの宇宙 私の美術観」中公文庫からの
引用がありました。八木一夫氏のオブジェ作品『ザムザ氏の散歩』
をとりあげた箇所が短く引用されておりました。

「 司馬遼太郎は八木一夫について次のように語っている。

 『 若いころの八木に、私はつよく文学者を感じ、八木が
   いるかぎりうかつに小説など書けないと思ったことがある』(202頁)

 『 私は当時、柳宗悦を読みすぎていたせいか、
   焼物における用のことばかりを喋り、結果として
   走泥社の方向を理解する側に立っていないというふうでもあった。

   そのくせ一方ではかれの≪ザムザ氏の散歩≫に
   はげしい衝撃をうけており、そういうものをうみおとしたまま
   風狂に笑っている八木一夫という人物につよい関心をもち、
   できればかれの精神と思想を手ざわりで知りたいとおもっていた。 』
                      (190-191頁)   」

図録の130ページから数ページにわたって、八木一夫氏の
オブジェ作品の写真掲載があったところに、その言葉がありました。

うん。オブジェ作品か。ちっとも興味がわかなかったけれど、
何だか知りたくなり、古本で文庫「微光のなかの宇宙」を注文。

そして、図録には、こんな箇所もあります(p122)。

「 私は、20代のおわりから30代の前半まで、
  絵を見て感想を書くことが、勤めていた新聞社でのしごとだった。

  絵を見るというより、正確には、本を買いこんできて
  絵画理論を頭につめこむことを自分に強いた。

  この4年ほどのあいだ、一度も絵を見て
  楽しんだこともなければ、感動したこともない。

  もはや仕事で絵を見る必要がなくなったときから、
  大げさにいうと自分をとりもどした。何より驚いたことは、
  絵を見て自由に感動できるようになったことである。

  19世紀以後の美術は理論の虚喝が多すぎた。
  私自身、あやうくその魔法にからめとられかけ、
  やっと逃げだした 』。・・・・        」

うん。この「微光のなかの宇宙」に須田剋太も登場してるらしい。
はい。やっと私にも、読み頃をむかえたような気分で古本を注文。
はい。まだ届きません。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

だれかがいつか、そこを通る。

2023-06-03 | 短文紹介
何だか思うんですが、新刊で買った本は読まずに、
安く買った古本は、これが読んでいるんですよね。
これは何なのだろう。と思うわけなんです。

新刊単行本値段で、古本は10冊ほど買えるのでついまとめ買い。
そうすると、古本を1冊読んで、あとの古本を読まないとしても、
何だか価格的な罪悪感とでもいいましょうか? そいつがない。

古本を10冊ならべて、豪華にパラパラとめくって、
そのうちの数冊を読めれば、これはこれで当たり。
新刊ならば、読みたいと思って買ったはずなのに、
何だか読めなかったりすることが多かった私です。

それはそれとして、最近、古本で買って読んだ本に

田中泰延著『読みたいことを、書けばいい。』ダイヤモンド社・2019年
その後半をパラパラとめくっていると、こんな箇所。

「 そもそも、ネット時代は、
  書きたい人が多くて、読みたい人が少ないので・・ 」(p236)

はい。この本の題名もそうなんですが、この文句も分かりやすい。
ということで、引用をつづけてみます。

「 あなたは世界のどこかに、
  小さな穴を掘るように、
  小さな旗を立てるように、書けばいい。

  すると、だれかがいつか、そこを通る。

  書くことは世界を狭くすることだ。
  しかし、その小さななにかが、

  あくまで結果として、あなたの世界を広くしてくれる。 」(p234~235)                                                  


「  そんなとき、わたしは、
  『 文字がここへ連れて来た 』と思う。 」(p242)


うん。また引用ばかりになっちゃった。
最後の引用はこの箇所。

「 自分が読みたくて、自分のために調べる。
  それを書き記すことが人生をおもしろくしてくれるし、
  自分の思い込みから解放してくれる。

  ・・・・・・
  学ぶということ以上の幸せなんてないと、わたしは思う。 」(p247)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

図録の愉しみ。

2023-06-02 | 絵・言葉
図録「『司馬遼太郎が愛した世界』展」を古本で購入。
はい。買ってよかった一冊。

図録の最後にはこうありました。

 編集――NHK/NHKプロモーション/朝日新聞社
 編集協力―神奈川近代文学館
 製作―――求龍堂
 発行 ・・・・・・・・・

平成11年~12年にかけて東京・熊本・広島・山口
横浜・大阪・名古屋・京都・神奈川と各会場での展覧会の図録。

 後援が、文化庁で
 監修が、井上ひさし・安野光雅・青木彰・木村重信

たとえば、『街道をゆく』のページでは、須田画伯の
あれ、こんな挿絵があったのかという選択眼がひかります。

各ページは、余白をゆったりとった詩集のように配列の妙が伝わります。
何よりも、ひらくこちらが、ゆったりとした気分にひたれます。
まるで、時間をかけて配列された美術展での各美術品の空間に
招き入れられたような感触が味わえました。

うん。時にはひらいてみたくなる図録です。
忘れないうちに、本棚に立てておくことに。

まったく、司馬さんの小説なんてちっとも読んでいないのにね。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老典座は大笑いし。

2023-06-01 | 短文紹介
司馬遼太郎著「街道をゆく19 中国・江南のみち」(朝日新聞社ワイド版)
の目次をひらくと、その最後は『天童山』とあります。
そこに、須田剋太画伯との会話がありました。

「 『道元も、このようにして海から甬江に入ってきたのですね』
 道元好きの須田画伯は、鎌倉時代の日本の航洋船に乗って
 三江口をめざしているような表情で言われた。

  『 あすは、いよいよ天童山ですね 』
 とも念を押された。画伯は・・昭和20年代に道元の思想を読む
 ことによって独自の抽象画論を構築されたひとである。

 それだけに、道元の思想的成立の大きな契機をなした
 当時の天童山――とくにそこに住した如浄の禅風の故地――
 には、当然ながら関心がつよい。 」( p372 )

「天童山は、鎌倉の道元のころから伽藍が巨大で、
 他の高楼、殿舎が多かった。・・・

 建物の造形は装飾性がすくなく、簡潔で、1922年の来訪者である
 常磐大定博士も、このことに感じ入り、
 『 我が禅院を彷彿せしめる 』といっている。 」( p377 )

『天童山』の最後のページに、また須田画伯を登場させておりました。

「・・・・須田画伯は、生家にもどった童子のようであった。

 一楼があり、階段をのぼりつめると、
 西洋のベルのようなチューリップ型の梵鐘があった。
 鳴らすには、撞木で撞くのではなく、
 長い柄のついた木槌のようなもので鐘を打つのである。

 『 撞きませんか 』と、中国側の人がいったとき、

 いつもみずから前へ出ることをしない画伯が、めずらしく大木槌を持ち、
 餅つきのようにふりかぶったと思うと、激しく打った。

 鐘はぶじ鳴ったが、画伯はひびきわたる梵音響流(ぼんのんこうる)
 のなかで、いつまでも噛みつきそうな貌(かお)をしていた。 」(p380)

こうして、画伯の姿でしめくくられたおりました。

もっとも、その前に、司馬さんは道元をちゃんと語っておりました。
そこも引用しないと、中途半端な感じでしょうか。
それは、四川省からの類推から語られておりました。
はい。最後にその箇所を引用しておかなければ。

「天王殿の前で、黄衣の老僧に出逢った。副住職の永通法師である。
 40年あまりこの寺にいるという。うまれをきくと、
 
 『 四川省 』と、みじかく言った。
 私は、道元のことを思いあわせた。

 道元が、天童山に入る許可がおりぬまま、寧波港に停泊中の船で
 起居していたとき、一人の老僧が、陽ざかりの道を歩いてはるか
 阿育王山から椎茸を買いにきた。・・・・

 道元24歳、老僧61歳であった。阿育王山で雲水のためにかれは
 料理をする典座(てんぞ)という役をつとめている。
 
 故郷は、西蜀(四川省)である。その故郷を離れて40年になるという。
 若い道元は、40年も修行してまだ料理番をしているのか、と驚き、
 なぜ坐禅修行に専念されないのです、とたずねた。老典座は大笑いし、

 『 外国のお若い方、あなたは本当の学問や修行が
   何であるか、まだおわかりになっていないようだ 』 といった。
   ・・・・

  道元が天童山に入って早々、この老典座がたずねてきてくれたのである。

 『 私も齢をとったから、故郷の西蜀(せいしょく)に帰る。
   うわさに、あなたがこの天童山にいるときいてやってきたのだ 』

 と、いった。道元は感激し、船中での問答をさらにくりかえすと、老典座は、

 『 料理や掃除のなかにも学問や修行がある。それどころか、全世界の
   現象のすべてが真理であり、かつ学問や修行の対象である 』

 といった。道元は、いわば途(みち)ですれちがった程度の
 知りあいであるこの老典座について後年感謝をくりかえし、

 『 山僧(註・自分のこと)いささか文字を知り、
   弁道を了ずることは、すなわち彼の典座の大恩なり。』(典座教訓)

 と言っている。黄衣の永道法師が四川の人であるといい、
 かつ40年修行した、ということで・・・
 
 老典座に偶然符号するように思えたのである。   」( p378~380 )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする