和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

隆起と津波と。

2024-09-13 | 安房
能登地震での海岸線の隆起の写真が印象深い。
じつは、房総半島も隆起しております。
けれど、隆起を説明する、むずかしさ。
例えば、お寺の階段の何段目まで津波が到達した記録があった。
という、事実を踏まえ、現在の海岸からの標高を示し注意を喚起する。
はい。役場の看板にその注意喚起の記載が残っておりました。

そこには、以前の隆起した高さを引いておくという視点がない。
その間違いを指摘しても、どうもピントこないらしく
話はそこで終わってしまうのでした。

うん。能登地震の隆起の話から、房総半島の隆起の話に
つなげていけば、簡単な話のなかで理解が深まる気がします。
その点で、いきなり東日本大震災の津波のイメージは禁物なのでした。
ローカルな意味では、房総半島と能登半島は身近な感じがいたします。

いよいよ、房総半島の隆起の話が理解しやすく話しやすい頃となりました。
まずは、能登半島の海岸隆起の写真を示して、
関東大震災の房総半島の隆起の資料をしめす。
それから、房総半島の関東大震災より前の元禄地震の津波へと話題を
もっていけば、元禄地震の実際の津波の高さが分かってもらえそうです。

はい。私は学者じゃなくって、一般の素人防災士。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安房の関東大震災余話。

2024-09-12 | 安房
「安房郡の関東大震災」余話として10回並べたのでした。
最初は

① 「安房震災誌」にあった言葉『海の時代』と『牛乳の国』から
  房総半島の2枚の絵を紹介。青木繁『海の幸』と坂本繁二郎『うすれ日』。
  これが6月30日のブログにあげてありました。

② 御真影に関連して田尻久子著「橙書店にて」と「防災士教本」

③ 「安房震災誌」の千歳村の震災まぎわ「念仏を唱え」ていたことから、
  震災の安房での追悼会。石井光太著「遺体」へ。

➃ 梅原猛・瀬戸内寂聴『生ききる。」(2011年7月10日)

⑤ 「震災復興 後藤新平の120日」
  政池仁著「内村鑑三伝」

⑥ 「内村鑑三伝」から
  曽野綾子著「揺れる大地に立って」(2011年4月)と
  内村鑑三「後世への最大遺物」

⑦ 「帝都復興秘録」の孫引き

⑧ 保田町の鋸山

⑨ 南三原村民一同建立の「震災記念碑」(大正13年9月1日建立)
  「南三原千歳村耕地整理記念碑」

⑩ 「安房震災誌」に載る「安房郡震災被害状況図」が
  のちの各町村史に転載されていることを紹介
  三芳村史(昭和59年)・富浦町史(昭和63年)
  丸山町史(平成元年)・和田町史(平成6年・通史編下巻)


はい。1時間に満たない1年1回の講座の中で、
削られてゆくしかなかったこれら余話の方が、
ブログに書きこみして、楽しかったのでした。
また、余話の視点から浮ぶテーマがあります。
たとえば、地震には、常に津浪が結びつけられて語られ、
何の疑いも抱かないわけなのですが、流言蜚語のなかに、
津波が入っておりました(安房郡の関東大震災場合には)。
これは、語り考えて伝えておきたいテーマとしてあります。
うん。これについて、何か語れたらと思っております。

ただ思いつきをブログに書き込んでゆくことと、
改めて整理しテーマが思い浮かんでくることは、
それは、まったくの別物なのだと思い知ります。

ここからテーマが生きる段階へと踏み込む気分。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とりあえず参考本。

2024-09-10 | 地震
ブログへ講座参考本として列挙した箇所があったので、
とりあえず、肩慣らしで、それを並べておくことに。
講座「安房郡の関東大震災」のための参考本でした。

① 「館山市史」(昭和46年)
② 君塚文雄編「写真集明治大正昭和 館山」(国書刊行会昭和56年)
③ 千葉県立安房農学校 創立五十周年記念誌」(昭和50年)
➃ 「千葉県安房郡誌」(編纂兼発行所千葉県安房郡教育会・大正15年6月)
⑤ 産経新聞7月1日の特集記事「能登半島地震半年」 
⑥ 武村雅之著「シリーズ日本の歴史災害5 手記で読む関東大震災」(2005年)
  武村雅之著「地震と防災」(中公新書・2008年)
⑦ 武村雅之著「関東大震災がつくった東京」(2023年)
  武村雅之著「未曾有の大災害と地震学」(2009年)
  「三芳村史」(昭和59年9月)
⑧ 武村雅之著「関東大震災 大東京圏の揺れを知る」(2003年)
⑨ 長谷川櫂著「震災歌集」(2011年4月25日)
  鶴見祐輔著「決定版正伝 後藤新平」8 (2006年)
⑩ 前田宣明編著「石原純が残した記録 保田震災記」(保田文庫2018年)
⑪ 武村雅之著「関東大震災」(2003年)
  貝塚爽平著「富士山はなぜそこにあるのか」(平成2年)褶曲帯の記述
⑫ 千葉県安房高等学校「創立八十年史」「創立百年史」和田金治氏の回想
⑬ 千葉県立安房南高等学校「創立百年史」(平成20年2月)
⑭ 安田耕一著「舎久と道久保」(昭和51年・非売品)
⑮ 郡制の廃止。 
⑯ 「大正大震災の回顧と其の復興」上下巻(昭和8年)
⑰ 吉村昭著「関東大震災」
⑱ 吉村昭著「三陸海岸大津波」
  森健著「『つなみ』の子どもたち」
⑲ 農文協「日本農書全集66 災害と復興1 」(1994年)
⑳ 鎌田浩毅著「日本の地下で何が起きているか」(2017年)
  鎌田浩毅著「揺れる大地を賢く生きる」(2022年)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石碑と紙碑と。

2024-09-09 | 安房
うん。今年は1月から、「安房郡の関東大震災」というテーマで
あれこれと思い浮かぶことをブログに記しておりました。

それが、8月28日に1時間講座としてひらいたのですが、
時間の配分も悪くって、うまく発表できませんでした。
何だか、このままに終わらせては中途半端を免れない。

ということで、もう一度、自分のブログを読み直してみて、
あらためて、紙面にまとめて、残しておきたいと思います。

はい。そんなことが思い浮かびました。
うん。その方向ですすめていくことに。

あらためて、私に思い浮かぶのはというと、
下三原龍神社にある石碑「震災記念碑」と、
安房郡役所発行の「安房震災誌」とでした。
はい。石碑と紙碑と。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短文の出だし。

2024-09-08 | 詩歌
安野光雅著「絵本 歌の旅」は、短文の連なりなのに、
私には、これがなかなか読み通せないのでした。

はい。こういうときは、どうするか。
とりあえずは、一通り読んだ気になりさえすればよいことに、
ここには、短文の出だしを、ちょっと気になる箇所から列挙。

「 NHK・FM『日曜喫茶室』の番組でのこと、
  小沢昭一が、唱歌をうたって泣くんだ、といいはじめた。 」(p4)

うん。そういえば、『日曜喫茶室』を楽しく聞いていた記憶があります。

「 留守番電話に声が残っていた。
 『 それでは一曲うたいます 』と言ったかと思うと、
 『 灯りをつけましょぼんぼりに・・ 』とうたうのである。
  そんなことをするのは〇〇以外にない。 」 (p8)

はい。留守電に声を吹き込むのはギコチなくなりますが、
でも、歌なら。一度試してみたくなるじゃありませんか。

「 文語文は、鴎外とか諭吉とか中江兆民など、
  大先輩の仕事で、われわれが使うものとは違うと思っていた。 」(p14)

ここは、 『春の小川』と題する短文なのですが、
文中に、『我は海の子』がまず登場しております。
うん。気になるので、それを引用。

「 文語文には、口語文にない音の響きがある。
  ときには、口語で言えば面はゆいばかりの真情も、
  文語のリズムにのせれば吐露することもできる。
  たとえば、『我は海の子』というところを、
  口語文で言えといわれたら、どのように訳すだろうか。
  わたしにはできない。 」(p14)

汽車と題する短文のはじまりは

「年寄りが、懐かしそうに話すのを何度も聞いたことがある。
 むかし鉄道が開通し、津和野にはじめて汽車が来たとき、
 ずいぶん遠くから、弁当をもって人が見に来た。
 煙草いっぷく、のむかのまぬうちに、汽車はもう見えなくなる。
 なんとも速い、その速さには驚いたなどと、
 こもごも言い合ったということだ。 」(p16)

う~ん。まだ最初の方しか引用していないのに
もう私は、この引用で満腹感。最後にこの箇所でおわります。

「 昔、デモシカ先生という言葉があった。
  終戦のころ、仕事がないし、一方、
  先生をやる人手もないというふしぎな時代に、
  わたしが田舎の加見村小学校の代用教員になったのは、
  昭和22年のことだった。石田勝美というその学校の校長に
  面接の機会を得、『 ピアノは弾けますか 』と言われ、
  ハイと言わなければ採用されないと思い、
  大嘘を言ってしまった。 」(p22)

はい。この本に収められた安野さんの短文の
出だしだけ並べていると、もうそれだけで満足満腹。
そして、安野光雅の絵をめくると歌が聞こえてくる。
まったくもって、こまった一冊です(笑)。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キノコ取リニ行キマシタカ。

2024-09-07 | 前書・後書。
安野光雅・藤原正彦著「世にも美しい日本語入門」(ちくまプリマ―新書)。
はい。今回この新書をひらいて、そこから購入したのが
安野光雅著「絵本歌の旅」(講談社)だったのでした。
それから、もう一冊注文した本がありました。

それは、新書の初めの方にあった安野さんの言葉で注文しました。
まずは、その安野さんの言葉を引用。

「 私はむかしから、『戦没農民兵士の手紙』という岩波新書の
  一冊を大切にしています。今は手に入りません。
  図書館などにあるでしょう。文章は拙(つたな)いが、
  それだけに読んでいて涙がでます。その中に残っている。
  飯盛正さんから弟の孝志(たかし)君にあてた手紙の
  一部分をあげてみます。

 『 ブタノ子ガ タクサン生レテ居ルンダッテネ。
  ヤギハイナイデスネ。ウサギハ大キクナッタデショウネ。
  タカシハ キノコ取リニ行キマシタカ。
  今ハ雪ノシタ(キノコの名)ガ盛ンデスネ。 』   」(p21)

注文したら、今は新刊で手に入りました。
昨夜届いたのには「 2023年8月18日 第22刷発行 」とあります。

あとがきをひらくと、そのはじまりには、こうありました。

「私たちがこの手紙を集める運動をおこしたのは昭和34年の秋10月・・
   ・・・・
 仏壇の上の鴨居にかけられた、軍装姿も凛々しい兵隊の写真、
 私たちは農家のあちこちで、何度そうした写真を見かけ、
 やっぱりこの家も・・と、何度思わされ、
 生きて帰れたわが身と思いくらべ、複雑な感情を抱かされて
 来たことだったろうか。写真が私たちに何かを語りかけている。
 私たちはその訴えを聞かねばならぬ、何度そのような
 思いに駆られて来たことだったろうか。・・・・・・・ 」(p221)

 このあとがきの最後には
「   1961年6月    岩手県農村文化懇談会  」とありました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『 美しき天然 』

2024-09-06 | 詩歌
ちょいと気になったので古本で買うことにしたのが、
安野光雅著「絵本 歌の旅」(講談社・新装版2014年)。

見開きの右は安野さんの文、左は安野さんの絵。
そして、数ページごとに、紹介した歌詞が並ぶ憎い構成。

はじまりの歌は『 美しき天然 』でした。そこから文を引用。

「 昔、活動写真時代の伴奏音楽、サーカスの呼び込み、
  いまも街頭広告団のクラリネットでたびたび耳にする。
  言わばながくジンタの曲と誤解されてきたが、
  わたしは小沢昭一のうたう〈美しき天然〉によって
  認識を新たにし、長年の不明を恥じた。・・・   」(p4)

う~ん。これは1ページ1ページごとの安野さんの文を味わえる楽しみ。
ゆっくりと、噛みしめて味わえる一冊のような気がしてきました。
ということで、買えてよかった。

うん。あと一ヵ所引用しておくことに。
そこには小学五年生の安野光雅さんが走り抜けておりました。

「震災のあと行っていないが、そのむかし神戸駅のすぐ前に
 湊川(みなとがわ)神社があった(今もあると思う)。

 そして市電が走っていた。田舎者の安野少年が、
 脇目もふらず駅前の大通りを走り抜け、湊川神社に
 行こうとして危うく市電にはねられそうになった。
 少年は小学五年生で、神戸の親戚で、夏をすごし、
 津和野へ帰ろうとして神戸駅まで送ってもらった日のことである。」(p32)

このページの題は『 桜井の決別 』となっておりました。
はい。その都度の短い文は読むのに時間がかかりそうです。
ちゃんと最後まで読めますように。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏休みの宿題。

2024-09-05 | 詩歌
安野光雅・藤原正彦対談「世にも美しい日本語入門」(ちくまプリマー新書)
古本で購入したこの新書をパラパラとひらいています。

う~ん。「夏休みの宿題」という言葉がある。
そこを引用。

 
安野】 「即興詩人」を夏休みの宿題にするなんて、すごいですね。
   もしそれを読破できたら、もう大変な収穫ですよ。

   池田弥三郎さんがどこかの女子大に行かれたおり、
   『 入学試験は「即興詩人」の中から出す 』
   と言って話題になったことがあります。
     ・・・・・・・
   山田風太郎さんもこの本を
   『 無人島へ持って行く一冊の本 』と書かれていました。
   それを読んで、嬉しくなって
   『 私も無人島に持って行く本だと思っていたので
     嬉しかったです。返事はいりません。  』
   と、書いて葉書を出しました。
   山田さんはその葉書を捨てないでいてくださって、
   後の回顧展が開かれた時、私の葉書が陳列されていました。
                       (p24)

  う~ん。森鴎外の「即興詩人」は、読んだことがないのでした。
  読んだことがない本が、夏休みの宿題だったり、入学試験問題だったり、
  さらには、無人島に持ってゆく一冊だったりと、はたしてそれが、
  どのように繋がるのかと、未読の私にはムニャムニャ感を覚えます。

そう思っていると、この新書の唱歌の箇所には、こうあるのでした。


藤原】  ・・・そうですね。文語体は入門としていいですね。
    唱歌とか童謡には文語体が山ほどあります。
    いきなり森鴎外ではなく。
    まず唱歌と童謡でならして。

安野】 『われは海の子』という意味は、口語では言えないですね。
    舞台に上がったような気持ちで、高揚した気分になれば言える。

藤原】 童謡とか唱歌を失ったせいか、最近の子どもは歌を歌わない。
   われわれの子どもの頃は、学校の行き帰りに歌を歌ったりしましたが、
   いまでは道を歩く子ども達が誰一人歌っていません。

   ・・・・・
   明治から大正、昭和の初めにかけて、モラエスというポルトガルの
   作家が徳島に住んでいました。
   彼は日本人は歌ばかり歌っているというんですね。
   大工はトンカチを叩きながら歌う。
   お母さんは洗濯をしながら歌う。
   行商人は歌を歌いながらやってくる。
   子ども達は学校の行き帰り、歌を歌っている。
   こんな歌ばかり歌っている国民はいないとびっくりしている。

   それが今では、街から歌声が消えてしまいました。・・・・
   日本人には無類の歌好きという遺伝子があるから、
   世界語となったカラオケを発明したのでしょう。 (~p91)


はい。この新書。身近に置いてさっそくパラパラひらいてみます。
すっかり忘れてた、夏休みの宿題帳をひらく子供のような気持で。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

図書館蔵書処分本

2024-09-03 | 本棚並べ
注文してあった『世にも美しい日本語入門』が届く。
いちばん安かった、図書館処分本を注文したのでした。
68円+280円(送料)=384円なり。

図書館の蔵書だったので、透明なシートがぴたりと
表紙に貼りついているのですが、めくると未読感がありあり。
「ちくまプリマ―新書」の栞もはさまっておりました。

図書館の蔵書だったので、その図書館名がありましたが、
ほかは、新品同様です。はい。古本を注文するとこんなこともある。

はい。もう私の蔵書なので、まえの図書館名も紹介しておきます。
『千葉敬愛短期大学蔵書』とあります。初版の日付が2006年ですから、
今年からならもう18年前の図書館蔵書ということになるのでしょうか。

古本としての巡りあわせに感謝して、処分本かどうか、確認してみると、
最後のページに、小さく〇の中に済の字がある赤のハンコが押されていて、
どうやら、それが処分本の証なのかなと思えました。

はい。それ以外は新品同様で、なんだか汚すのが申し訳ないような
そんなきれいさです。とりあえず、そのまま本棚に置くことにして。

古本384円で、今日一日がなんだか楽しくなります。
今日は土砂降りだったり、雨がやんだりしています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うしろの正面 どなた。

2024-09-02 | 詩歌
パラパラ読みをしたあとに、何日かして、
気になって思い浮かべる箇所があったりします。

高橋美智子著「うしろの正面」(柳原書店)の
題名にもなった、わらべ歌の箇所がそれでした。
「坊さん坊さん」となっております。
そのはじまりは

「京都の冬、とりわけ1月から2月の寒さは格別である。」
とはじまっております。

 坊さん 坊さん どこいくの
 あの山越えて お使いに
 わたしもいっしょに 連れてんか
 お前が来ると じゃまになる

 カンカン坊主 クソ坊主
 うしろの正面 どなた

こうして歌詞と曲譜とを引用したあとをそのまま引用しておきたくなります。

「・・・子供たちが数人寄れば、往来の真ん中でもどこでも、
 あたりかまわず大声をはりあげる愛唱歌であった。

 『カンカン坊主』のところでは、坊さんに悪いなァと、
 ちょっとうしろめたさを感じながら、かえって、
 そんな気持ちをはじきとばすように、
 一だんと声をはりあげたものである。

 これまで、カンカン坊主の意味を深く考えてみたことはなかったが、
 これは空也上人に始まる『鉢たたき』のことを、京わらべたちが
 うたったものではなかろうか。鉦をたたき、念仏を唱えて歩く、
 空也堂の僧たちの風変わりな寒中修行は、芭蕉をはじめ
 有名な俳人たちが句に読んでいるくらい、昔は盛んであったとか。

 立春を過ぎると、身を切られるような寒風托鉢も終わる。
 だが、薄日のもれる空から風花がちらつく京の町に、春はまだ遠い。」

ほんとは、短いので全文を引用したくなるのですが、
なんせ、引用ばかりのブログなので、ここまでとします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵巻の読解と文学体験

2024-09-01 | 前書・後書。
気になる古本があったので買ってありました(1200円なり)。
揚暁捷著「鬼のいる光景」(角川選書・平成14年)。
副題が「『長谷雄草紙』に見る中世」とあります。

はい。本棚から取りだし序章をひらく。
うん。序章だけならとお気楽にひらく。

なんでも、『和漢朗詠集』にはいっている平安前期の
文章博士紀長谷雄(きのはせお)の詩が引用されはじまっております。

「長谷雄個人の文集や詩集はまとまった形では一巻も伝わらないなか、
 この詩だけは、作詩の模範例として詩学書に収められ、
 後世の人々に愛誦された。・・・」(p6)

そうして数ページあとに、こうあります。

「 一方では、朗詠とは、漢詩の一部分を取り出して吟唱し、
  それをまとまりのある文学の世界から切り離すことを特徴とする。

  人々に繰り返し唄われる佳句は、それが盛んに伝わるほどに、
  句と最初に詠まれた詩との繫がりが忘れ去られ、そこからは
  やがて独立した文学的イメージを作り出すことになる。
  長谷雄の句も例外ではなかった。 」(p8)

 「 この奇怪でどことなく愉快な、平安文人と鬼との話は、
   ストーリー全体のプロットがそのままに一巻の絵巻となった。・・

  絵巻という表現の形式を得て、長谷雄と鬼にまつわるこの説話は、
  新たな精彩を放ち、文字だけによって記されるものでは及ばない
  豊かな表現の世界を形作った。
  朗詠集の注釈と絵巻の詞書と・・・・  」(p12)

 「 ともかく絵巻『長谷雄草紙』は、
   注釈にも取り上げられた一つの説話にスポットを当て、
   これを新たな表現手段によって再現したといえよう。
   注釈と絵巻との間には、直線的な継承関係が認められないにせよ、
   
   この両者にあり方に注目することにより、
   漢詩、朗詠、そして絵巻という、多彩な表現の世界の
   繫がりを感じ取ることができ・・・   」

 「 絵巻「長谷雄草紙」が制作されたころ、
   この第一の鑑賞者だと想定される限られた階層の人々は、
   このような文学・文化活動の成果をすべて共通した
   教養として身に付けていたはずである。

   この絵巻は、けっきょくのところそのような
   鑑賞者を満足させることから出発した。
   漢詩、朗詠、そして注釈といった表現の世界に精通し、
   そのうえ、絵という表現形態でしかもたらしえない
   新たな世界の創出にこそ、絵巻作者の本領があった。

   その意味で、今日の読者としてこのような複数の
   文学的世界を互いに参照させながら絵巻の読解に立ち向かえることは、
   一つの素晴らしい文学体験になるはずである。 」(p14)


はい。今日は序章を読んで満腹。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする