急に秋らしい清涼な風が吹き出しました。空には上の写真のような雲が広がっています。家の庭から眺めていると先月の始め頃に急に病死した福島の友人のことが思い出されます。
仙台の大学で彼と机を並べたのが専門課程の1957 年と1958年。卒業と同時に彼は父が経営する精密鋳物会社の仕事をするために福島へ行ってしまいます。それから15年間くらいはお互いに多忙で会うこともありませんでした。ところがある時の同級会の折、彼がヨットの話をしていました。猪苗代湖で大きなキャビンのクルーザーでセイリングしているのです。
そして花春カップというクルーザーレースへ3回ほど招待してくれたのです。花春カップとは猪苗代湖のそばの大きな酒造会社、花春が主宰するレースなのです。
彼のヨットはヤマハ29という楽しい構造のクルーザーです。船体の真ん中の甲板に操縦席があります。その後ろのキャビンへ降りてゆくと大きなパーティ向きの部屋があり、簡単な炊事用具がついています。船尾が大きく湾曲して張り出していて、そこに大きなガラス窓が横並びについているのです。シャンペンやビールを飲みながら、美しい猪苗代湖が風波を立てている様子が眺められのです。
レースでは、彼のヨットは遅い船なので、いつも終りの方を走ります。前の方を列を作って競い合いながらセイリングしている他のヨットの夢幻的な光景を見ながら悠々と走ります。
遅れてゴールしても、船体ごとにハンディキャップがついているのでレース結果は何時も2位か3位でした。
残雪の磐梯山を眺めながらの花春カップは終生忘れられない思い出になりました。
花春カップの後は福島の彼の家に寄り、奥様や息子さん達と一緒に夕食をご馳走になったこともあります。
それから又何年かが過ぎ去りました。今度は私が霞ヶ浦にクルーザーを係留していました。以前、猪苗代湖でお世話になったことを思い出して彼を招待しました。一緒に仙台の大学時代の同級生も招待しました。7人が集まりました。
彼は福島から大きな荷物を背負ってやって来ました。
かなり激しいセイリングの後のパーティの時、彼がその大荷物を解き始めました。ぶ厚い断熱布の中から出てきたのはギンギンに冷えたシャンペン3本でした。その上よく冷えたシャンペングラスも、人数分の7個も出て来たのです。高級なシャンペンです。男ばかり7人のキャビンの中が途端に華やかになったものです。
こんなセイリングの会を4回ほどしました。何時も熱心な彼は福島からシャンペンを担いでやって来るのです。
毎回、パーティの次の日は蓮田のなかの「山中のうなぎ」へ昼食を食べに行きます。うなぎが美味しいと言ってましたが、霞ヶ浦でとれた白魚の刺身にはかなり感動していました。
毎年秋になると私のヨットに来るので、彼は自分専用のデッキ・シューズを私の船に預けていました。
今年もそろそろヨットに来てくれると思い、先月その白いデッキ・シューズを取り出して、すぐに履けるように並べて置きました。
そのデッキ・シューズを揃えて置いた次の週に、彼の急な病死の連絡があったのです。
彼は友情に篤く、素直な性格で実に気持ちの良い男でした。
他の急用と重なり福島でのお葬式には行けませんでした。
ここ1ケ月ほどの間、私は彼との別れを少しずつしながら心の整理をして来ました。月が変わるころ、このような文章を書いて一区切りしようとも思っていました。
彼のためにせめて花の写真を送ろうと下に2枚掲載いたします。家内が撮った写真です。家内も彼の奥様や御母上と福島で一度お会いしたときの事を思い出しています。
ご冥福をお祈りしています。
そうして彼は下の写真のような青山のかなたへと次第に旅立って行くのでしょう。
友人が死ぬと淋しくなります。涼しい秋風が身にしみます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
藤山杜人