後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ある感傷旅行・・・23年間遊ばせてもらった霞ヶ浦との別れの旅

2011年10月10日 | 日記・エッセイ・コラム

霞ヶ浦でヨット遊びを23年6ケ月させて貰いました。

この湖はいつも優しく私を迎え、楽しく遊ばせてくれました。今月の下旬にヨットをTKさんへお譲りしてヨットの趣味を終了いたします。

今日は最後の整備をしてから船を出し、ゆっくり、ゆっくり巡航しながらいろいろな事を思い出しました。そして霞ヶ浦へ静かに別れの言葉を言ってきました。

いろいろな人々と一緒にセイリングした時の情景が脳裏に去来して懐かしさで胸がいっぱいになりました。その折に撮った写真をお送りいたします。

008_2 025_2 042

ヨットは25年前に小型のディンギーから始めました。始めの2年ほどは江の島や葉山のマリーナから沖に出ました。

そして23年6ケ月前の春に琵琶湖の雄琴から小型クルーザー・Yamaha19を買い、霞ヶ浦マリーナへ陸送してきました。

霞ヶ浦マリーナは当時、「筑波水郷汽船株式会社」という古い名前の会社が経営していました。そのマリーナは経営者が変わり、「京成マリーナ」となり最近は「ラクスマリーナ」という名前になっています。

私はすぐに茨城県の県庁の管理している係留場所へ船を移動し、そこに22年係留していました。

丁度、13年前に現在のJoyrack 26を買い、現在にいたっています。

今日は23年6ケ月前から1年半の間係留していた当時の霞ヶ浦マリーナの桟橋へ行ってみました。当時は日本の高度経済成長の時だったのでクルーザーヨットがこの桟橋にビッシリと係留されていました。

長い経済不況のせいで現在はご覧のようにガランとしています。隔世の感に心が痛みます。世の中の様変りの速さに無常感が体をつつみます。

それも人生の一こまなのです。未練をサッパリと切り捨て、軽い気持ちで常磐高速道路を飛ばして帰って来ました。

皆様は長い間続けていた趣味をどのようにしてお止めになるのでしょうか?

039


この美しい日本に生まれた幸運・・・あなたは時々感謝してますか?

2011年10月10日 | インポート

日本の風景は美しいと思います。自然のままの白く光る雪をいただいた山並みや波が砕ける海岸の広がりも素晴らしいものです。

しかし農村の人々が作った稲田の広がりと、その向こうにある山並みが組合った景観に私の心を強く打ちます。それは自然と人間の絆を暗示し、何故か深い感動を覚えるのです。農村の人々をつい尊敬したくなります。そんな気持ちを、秋の甲斐駒山麓、そして人々のなりわい・・・私は農村の人々を尊敬します という記事に書いてみました。

自然と人々の両方へ感謝する。その感謝こそが大切なのです。自分が日本に生まれ育ち、間もなく居なくなるという長い一生が幸福だったと感じさせます。生涯を色鮮やかに飾ってくれます。

特に里山にある私の山の小屋へ行くたびにこの感謝の気持ちが蘇ります。深い幸福感に包まれます。自分が幸福になるために遠方の小屋まで通うのです。

小屋の庭には何時も小川が流れています。春夏秋冬いつも枯れることがなく心地よい音をたてています。岩魚も棲んでいます。その小川を眺めるだけで幸せなのです。その小川の写真をしめします。

005_2

この小川に小さな橋をつけたり、デッキをつけたりしていますが水は絶対に汚さないようにしています。一切のゴミは東京へ持ち帰ります。

しかし小屋でつかう水だけは頂いています。手製の水汲場から昔風の柄杓で汲み上げて使います。その水汲み場には時々岩魚が泳いでいます。

008

何故この清流を私は大切にしているのでしょうか?

この小川の下流には下の写真のような稲田があります。

025

実は庭の小川はこの稲を育てる水なのです。しかし下の農村の人が私の小屋に来て小川の大切なこと注意しに来たことがありません。私がその大切な事を知っていると信じているのです。

稲田のところから小川に沿って山道を登ってくれば誰にでも分かる事なのです。

この山小屋の庭を流れる清流を見る度に農村の人々の寛容さが嬉しく思います。

この水は何百年も「武川米」の稲を育てて来た水なのです。

農村の人々と自然のかかわり合いには人間の知恵が込められています。長い歴史があります。そのような事を考えながら飽きもせずに庭の清流を眺めて日が暮れて行きます。秋の山里の夕暮れはアッという間に暗くなってしまいます。そうしてその日も流れ行く日々の一日になりました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

藤山杜人