後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

秋深い甲斐駒山麓の山小屋へ行ってきました・・・写真をお楽しみ下さい

2011年10月08日 | 写真

昨日と今日、一泊の旅でした。甲斐駒山麓は寒いくらいの秋の風が吹いていました。しかし空気が乾燥していて心地よい風でした。山小屋周辺の写真です。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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第二次大戦前のアジア諸国は欧米の植民地だった・・・暗い歴史を忘れないようにしよう!

2011年10月08日 | 日記・エッセイ・コラム

明治維新以来、日本は富国強兵政策を取って来ました。自分の国が植民地になるのを防ぐためです。しかし勢い余って、朝鮮や台湾や満州を日本の植民地にしてしまったのです。欧米の悪い政策を真似したのです。なにかやりきれない気分になるのは私だけでしょうか?

@満州へ追いやられた朝鮮族

1981年、中国の北京と瀋陽へ集中講義のために行った。東北工学院のK教授は朝鮮族で日本語が上手である。自宅へ夕食に招んでくれた。聞くともなく聞いていると朝鮮から中国・満州へ移住した経緯を話してくれた。

日本が朝鮮を武力併合した後で、肥沃な農地を買い上げられて満州へ移住させられたという。新農地の開拓が終わってやっと一息ついたときに日本人がまた農地を売れと言う。作物からの収入もまだ十分でなく困窮していたので、二束三文でも現金が欲しい。苦労して開拓した農地を売って、北満州へと移住する。買った日本人は作物が採れるようになった土地を「満蒙開拓団」へ転売したという。満州開拓を朝鮮族から見るとこのようなものだった。その故で現在の中国東北地方には朝鮮族自治区があちこちに散在している。自治区では朝鮮民族の文化もそのままで、日常は朝鮮語を使っている。

   @アジア諸国は1945年まで欧米の植民地だった

日本が朝鮮や満州を植民地にしようとしていた時代は欧米の植民地に取り囲まれていた。インド・パキスタン・バングラデッシュはイギリス植民地、ビルマやマレーシア、ボルネオの一部もイギリス植民地、ラオス、カンボジア、ベトナムはフランス植民地、インドネシアはオランダの植民地、マカオと東チモールはポルトガル植民地、フィリッピンはアメリカ植民地、シンガポールと香港もイギリス植民地であった。下の地図がその様子をしめしている。

独立国は僅かに日本と中国とタイの3国だけである。

このブログで何度も取り上げた話題に、農村の困窮と強大な軍備の関係がある。今にして考えれば狂気の日本であった。でもその狂気の原因の一つはアジアが欧米の手に落ちていた事実を指摘せざるを得ない。下手をすると日本も欧米の植民地になってしまう。考えると物凄い弱肉強食の時代だった。

   @日本の敗戦が植民地独立のきっかけを作ったと言うのは止めよう!

戦後、香港とマカオ以外の植民地は一斉に独立した。よく見識のない日本人がこれらの国々へ行って自慢する。「君たちは日本のお陰で独立できたのだ」、と。しかしこれは言ってはいけない禁句である。日本が占領した諸国で過酷な植民地政策をしいた。従ってアジア諸国は決して日本の悪行を忘れない。

現在、中国、ベトナム、インドネシア、タイなどに日本の会社が工場を作って利潤をあげている。よほど慎重に、そして礼儀正しい会社運営をしないと日本軍占領時代の悪夢を思い出させてしまう。戦後生まれの日本人がアジアで経済活動をする場合は戦前に日本軍のした色々な圧政を忘れてはいけない。先方は礼儀正しくその話題を避けているのだ。老人の我々も忘れかけている。時々このような文章を書いて忘れないようにしているのです。

(終り)地図の出典:http://homepage3.nifty.com/asia-kenbunroku/

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人

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