後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ロマンティッシュ・シュトラーセの町々(2)高い城壁に囲まれた赤屋根のNordlingen

2011年10月04日 | 写真

ドイツの南部は中世の文化を大切にしています。面倒な問題が起きると、Das ist Tradition !(それが伝統だ!グタグタ言うな!)と言って前例通りに実行してしまいます。時代の変化や社会事情の変化をまったく無視するのです。Das ist Tradition !という言い方は「水戸黄門の印篭」のような効果があります。私も面白半分でよく使いました。日本人がこの台詞を言うとドイツ人がア然とした顔をします。それを見て笑いあいます。なごやかな雰囲気になります。

そのようなドイツの南部では町全体が高い堅牢な石造りの城壁で囲んであります。町や村を城壁で守るのが中世の常識だったのです。城壁の外に広がる畑の外側は深い森がえんえんと続き、狼や山賊が住んでいたのです。夕方になると農民は畑の仕事を終え城壁の内側に入ります。そして城門を堅く閉じるのです。夜は決して城門を開けません。旅人のふりをした賊が襲って来るからです。

一番上の写真がNordlingenの町です。町の真ん中に立っている鐘楼から見た風景です。赤い屋根の切れ目に少しだけ城壁が写っています。その向こう側は林になっています。林の外側に新市街が少し見えます。

この町も車でたびたび通過しました。

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通過する時は下の写真のような中世の狭い城門を徐行しながら通ります。

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町の中心地には市役所がありその地下は必ずビアホールになっています。広場にもカフェがあり屋外のテーブルで人々がくつろいでいます。下の写真のように車を適当な場所に止め、コーヒーを飲んで一休みしたものでした。駐車禁止などど無粋な看板がないのでゆっくりくつろげます。

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私は現在でも近い場所なら車で観光旅行を時々します。そうすると日本では何処へ行っても、「駐車禁止」の看板が溢れれています。ゆっくり観光なんかする気分になれません。とにかく自由に駐車出来ないので観光が楽しくないのです。そんな時には南ドイツののんびりした田舎の町や村の旅が無性に懐かしく思い出します。

つまらない老人の話のお相手をして頂き有難う御座いました。今日はこれで終りにいたします。(続く)


昭和記念公園はコスモス祭りをしています

2011年10月04日 | 日記・エッセイ・コラム

  朝から快晴で爽快な気分です。いつも車ばかりに乗っているので今日は徒歩と電車を組み合わせて昭和記念公園のコスモスの写真を撮りに行ってきました。

少し満開を過ぎたようです。お出掛けの方は今週中の方が良いと思います。コスモス祭りをして居ました。

下の写真をお楽しみ頂ければ嬉しく存じます。

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旧甲州街道、小佛峠への急坂で考えたこと(2)狂気の沙汰、真珠湾攻撃

2011年10月04日 | 日記・エッセイ・コラム

一人で山道を登る。静かに風が杉林を渡ってゆきます。平和です。時折、登山者が、こんにちはと声をかけて通り過ぎていきます。その静かさの中で何の脈絡も無く突然昔の新聞で見た日本軍の真珠湾攻撃の写真を思い出しました。アメリカに戦いを挑めば敗けることが分かっていていきなり、アメリカのハワイにある海軍基地を爆撃したのです。狂気の沙汰です。今から考えるとこれほど人間の愚かさを明らかにする行為は想像も出来ません。

しかし当時の日本人は全国民上げて狂喜したのです。第一次大戦以後、日本は中国に侵入し、しまいには満州国まで作っていました。英米がひどく怒り、日本をいろいろな方法で圧迫し続けていたのです。それに対する反発がドイツ・イタリアとの三国軍事同盟へつながります。ドイツのポーランド侵攻、ロシアへの快進撃に刺激を受けて日本人が狂ってしまったのです。長年の英米による嫌がらせに対して日本人が爆発したのです。それが真珠湾攻撃だったのです。300万人の日本人が戦死しました。

ヨーロッパではヒットラーが500万人のユダヤ人やジプシー民族を集団殺戮し、ロシアでは1000万人の若者を殺したのです。

現在は平和な日本にもそのような狂気の時代があったのです。人間の恐ろしさに足が止まりそうです。しばし立ち止まって良い香りの杉林を眺めていました。

それからは戦争のことを考えるのを止めました。それよりも影信山までの尾根道の心地よさを想像しながらゆっくり登って行きました。

なぜか一人で山に来ると第二次大戦のことを思い出します。まだ子供で徴兵には遭いませんでしたが、眼前で仙台市が一夜にして燃え落ちる光景を見てしまったのです。戦中、戦後の混乱した社会を生きたのです。どうしても戦争のことが忘れられません。

当時の新聞の写真では日本の攻撃機から撮った写真だけです。攻撃機が数機、雷撃用の長い爆弾を翼の下に抱えて、カッコ良く斜めに飛んでいます。それは戦争を美化するような光景でした。

雷撃用の長い爆薬の入った筒の後部には海面を推進するためのスクリューが付いてるのです。その様子を下の写真で示します。

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当時の日本の新聞には黒煙を上げた太平洋艦隊の列が写っています。絵空事とのような光景です。美しい光景のようにも見えます。

しかし下界では修羅場になっています。そのような戦争の悲劇的な様子を撮った写真を下に示します。出典は不明ですが明らかにアメリカ海軍が真珠湾攻撃の間に撮った写真です。沈みゆく軍艦から人間を救助しようと一隻のボートが近づいて行きます。戦場の生々しさを写した写真です。もう日本民族は永遠にこのような愚かな事をしないと信じています。民族の経験は子々孫々へ伝承すると信じています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

藤山杜人

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