後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

寒くなって来ました・・・薪ストーブを自宅で使ってみませんか?

2011年10月25日 | 日記・エッセイ・コラム

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最近はは引退した高年齢者がどんどん増えている。

そして、いろいろ多様な趣味が盛んになる。すると現役中の人々へも影響し、若い人々も趣味の重要性に目覚める。引退後に備えて種々の趣味を少しずつ始める人も増える。 

例えば、趣味の一つとして「薪ストーブの趣味」が若い人々の間にも最近流行っている。そこで今回は薪ストーブについて書いてみたいと思う。 

筆者は、1973年に山梨県北杜市の山中に小屋を作って以来、薪ストーブを40年位使ってきた。

しかし5年ほど前に一時止めてしまった時期があった。

煙いし、灰は飛び散るし、薪つくりが億劫になって来たからである。

しかし、やっぱり薪ストーブの木の燃える香りが懐かしくて3年前から再び始めてしまった。

カタログを調べて簡素な構造の薪ストーブをネットで注文して新潟県から取り寄せて使っている。下の写真が現在使っている薪ストーブだ。

以前使っていた薪ストーブは知人の会社で特に制作してもらったものであった。頑丈で大きなものだったので20年間も使ってきた。しかし、鉄板製であったため、長い間の使用中に鉄板が少し変形し、煙が洩れるようになった。

そこでそれを止めて、札幌から買って来た下の写真と同じなつくりのものを数年使っていた。

従って、下の写真は3台目の薪ストーブである

ところが最近若い人々に間で流行っているのはドッシリと重い鋳鉄製のものが多い。鋳鉄製で前面に耐火ガラスが嵌め込んだものが10万円から30万円で売られている。上の写真は新潟県のホンマ製作所のもので10万円から20万円のものである。 

薪ストーブの趣味は、従来は別荘に限るという考え方があった。

しかし最近は都会の自宅でも使えるようになっている。排煙処理装置がついて煙が出ない。出るのは無害な水蒸気と炭酸ガスだけである。 都会では焚き火や煙の排気は禁止されているので排煙処理装置が絶対に必要になっている。

薪ストーブを設置する時に注意すべきは煙突の直径である。薪ストーブ用の煙突は普通の煙突よりかなり太くて、直径16Cmのものが多い。太い煙突を高く上げるほど良く燃える。 

薪そのものは都会地の大型ホームセンターでも売っているので問題は無い。

自宅に趣味専用の部屋を作る人々が増加しているようだ。その趣味の部屋の中にこの薪ストーブを設置するのが良い。

ホンマ製作所:http://www.honma-seisakusyo.co.jp/cn_1/index.html

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ミレーの落ち穂拾い、その落ち穂をわざと落として置いた人の話

2011年10月25日 | 日記・エッセイ・コラム

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上に示したのはミレーの「落ち穂拾い」という絵で、誰でも知っています。「晩鐘」と「種まく人」の3枚は特に有名で、「種まく人」は山梨県立美術館にあるので原画も見ることが出来ます。

この「落ち穂拾い」の内容について私は73歳になるまですっかり間違った理解をしていました。

勤勉で節約を美徳とする農民が畑に落ちた麦の一粒まで大切に拾い集めている図と思い込んで居たのです。

ところが、そうではないのです。小作人は落ち穂を拾い食べることを地主から許さられていたのです。全収穫量の1割以下の落ち穂なら小作人が食べても良いことになっていたようです。こんな哀れ小作人へ同情して隣の自作農もわざと落ち穂をそのままにして小作人へ与えていた場合もありました。

2009年10月21日の読売新聞の10ページ目の「時代の証言」に、上智大学の学長をしたヨゼフ・ピタウさんの幼少の頃のことが書いてあります。

ピタウさんはイタリヤの農家に生まれました。父は信仰が厚く、周囲の貧しい人々のために自分の畑の落ち穂をそのままにして置いたそうです。さらに実った小麦の一部を刈り取らずに貧しい人々へ与えていました。母もお菓子を作ると必ず病人やお年寄りへ届けたのです。届ける役はピタウ少年とその一人の姉と5人の弟の役目でした。

ピタウ少年はそのような家庭に育ち、7歳の時から村の教会の神父さんのお手伝いを始めます。そして9歳のとき神父になる決心をしたのです。

1928年生まれの彼が宣教のために日本の土を踏んだのは1952年、24歳の時でした。

彼はイタリヤの農村の地主と哀れな小作人の関係を見て暮していました。日本へ来ても封建制を歴史に持つ日本人の考えがよく分かります。彼の宣教活動を支えて居たのは貧者に優しい父の思い出、母の無限の優しさ、そして村の神父さんの愛情だったのかも知れません。ピタウさんの上記の記事の中には、幼少の頃を楽しさが行間に溢れています。決してカトリックは良い宗派ですよなどという宣伝が一言半句も出て来ません。

ピタウ少年の父のように優しい人が、貧しい小作人の為に落ち穂をそのままにして置く。それを拾い集める小作人の様子を描いた絵が「落ち穂拾い」なのかも知れません。地主が貧しい小作人へ拾わせるために稲穂の落ちこぼれをそのままにして置く。そんな風習は日本にもあったかも知れません。

ミレーの「晩鐘」は貧しい農民の信仰の厚さを描いた美しい情景画です。ピタウ少年の育ったイタリアの農村もそのような場所だったのでしょう。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 藤山杜人