後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

今日は26年間のヨットの趣味の卒業の日・・愛艇と最後の別れをして来ました

2011年10月29日 | 日記・エッセイ・コラム

49歳とかなり年をとってから江ノ島や葉山で小型ヨットを始めました。2年半で小型ヨットからクルーザーに乗り換え、10年、さらに少し大きいクルーザーに乗り換えて13年半です。通算26年間のヨットの趣味を今日キチンと止めました。かなり打ちこんでいたヨット趣味でしたが75歳になると体が言うことを聞いてくれません。

本当にヨボヨボになる前に早目に幕を閉じることにしました。

5月ころに後を継いでくれるTKさんが現れました。若々しい方です。一緒に3回のセイリングをして私のクルーザーの癖や性格を丁寧にお伝えしました。そして約束通り、10月29日の今日、正式に「譲渡証明書」をお渡しし、船体と法定備品など全てを引き継ぎました。

老齢で運動能力が無くなってヨットの趣味を止めることは悲しいものです。

今日はヨットのいろいろな備品の説明をTKさんへ説明しました。そしてこのクルーザーと過ごした忘れられない場面を走馬灯のように思い出していました。風を帆に受けて疾走する経験を何度もしました。突風にヒールし白い三角波に囲まれて、家内がおびえメインセイルを二人で必死に下ろし慌てて帰港したこと、深い霧の中で「五里霧中だ」と冗談を言いながらゆるゆるセイリングしたことなど・・・夕方からデッキの上で冷えたビールも飲みました。友人とキャビンの中でシャンパンを飲んだこともあります。家内や家族とキャビンに何度も泊りました。

一通りの説明が済んでから、TKさんをラクス・マリーナへ案内し、ハーバーマスターの佐藤敏郎さんへご紹介しました。私が23年半、いろいろとお世話になった方です。ヨットの故障を何度も気持ち良く直してくれた親切な方です。23年半もお世話になったお礼を丁寧に述べ、後を引き継ぐTKさんを宜しくお願いしますと頼みました。

これで佐藤さんとはもう会うこともないのです。悲しいです。

ヨットの趣味を卒業してまた新しい世界へ旅立つ決心が出来ました。そして5月以来、友人のように付き合ってきたTKさんと別れようとしました。と、その時、TKさんがフランスのシャンパンを取り出し、お会いした記念にと差し出しました。なんと有り難いプレゼントなのでしょう!単純な私は高級なシャンパンを見た途端に元気が出てきました。なお上記で、TKさんと書きました方はTadnobleとうハンドル・ネームで、秋の空を眺め、先月急死した友人のことを想う と題する記事へコメントを投稿して下さっている方のことです。

常磐高速道路を鼻歌まじりで飛ばしてときどき鼻をすすりながら帰ってきました。そんな一日でした。

26年間打ち込んだヨットの趣味を止めることは悲しいことでもありますが、何か深い充実感を覚えます。怖い思い。辛いセイリング。根気の要るセールや備品の修理。バッテリーの管理の苦労。水漏れの穴の修理。その全てを乗り越え、無事にヨットの趣味を卒業出来たのです。そのせいで充実感があるのかも知れません。

下にはもう見ることも無い愛艇の写真と係留地の風景写真です。

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多くの人々が協力したからヒットラーのユダヤ人大量殺戮が可能だった・・・忘れないようにしよう!

2011年10月29日 | 日記・エッセイ・コラム

ホロコーストは東ヨーロッパとドイツ占領地域のロシアで主に起きた

ヒットラーの行ったユダヤ人の大量殺戮はホロコーストと呼ばれ、西洋文化の歴史で最大の汚点です。それは世界中の人々が知っています。

600万人とも言われるユダヤ人の大部分は東ヨーロパとソ連西部地域から狩り集められたのです。この大量殺戮は、そこに住んでいたキリスト教徒の協力があったればこそ可能だったと考えるのが自然です。ヒットラー個人にだけ罪を負わせるのは行き過ぎと考えるのが公平な見方でしょう。

一体、東ヨーロッパやソ連のドイツ占領地域では何が起きたのでしょうか?少し冷静に、そして客観的に考えてみたいと思います。

我々日本人は東ヨーロッパ諸国の歴史や文化にあまり興味がありません。明治維新以来の富国強兵の為に役に立たない国々であった為です。大日本帝国の軍隊組織は英国、フランス、ドイツを参考にし作られました。軍艦も戦闘機もこれらのイギリスなどの西ヨーロッパの国々から輸入したのです。チェコの機関銃以外、東ヨーロッパから輸入したものはありませんでした。

東ヨーロッパ諸国は第二次大戦後、ソ連の衛星国になってしまい、情報は途絶えてしまいました。

1945年から1989年のゴルバチョフによる情報開示まで東ヨーロッパは情報の暗黒地帯だったのです。従って、私は何故、アウシュヴィッツ強制収容所がポーランドに存在したか?その理由が理解出来ませんでした。東ヨーロッパ事情に興味が無かったからです。この知的怠慢を私は非常に恥かしく思っています。

最近、ポーランドの悲劇を少し調べて見て分かりました。ポーランドには一番多くユダヤ人が住んでいたのです。270万人以上です。ヒットラーがユダヤ人絶滅戦略の為には、まずポーランドのユダヤ人を殺すのが一番効率の良い方法です。

そしてソ連のドイツ占領地域やハンガリーやチェコスロヴァキアなどに多くのユダヤ人が住んでいたのです。

他の地方のユダヤ人は数も少なく、集める労力がかかり過ぎます。従って結果的に殺戮率も少なくて終りました。

それに比べて、ポーランドのユダヤ人は99%殺されたのです。

ヒットラーによって殺されたユダヤ人は600万人と言われています。その出身国を以下に示します。ポーランド、ソ連、ハンガリーがず抜けて多いことにご注目下さい。

その原因はユダヤ人の人口が東ヨーロッパからウクライナ、ベラルーシ、ロシアに多かったからです。

キリスト教徒によるユダヤ人の歴史的迫害とホロコーストは同じ根で繋がっている

西ヨーロッパ諸国ではキリスト教徒による歴史的な迫害が続いたので東のヨーロッパ地方へ逃げて、移住していったのです。

しかし、そこでもヒットラーの殺戮が始まると、その地域のキリスト教徒もユダヤ人の逮捕と収容に協力したのです。人間とは権力に弱く、その上、他民族を支配、抹殺したいという本能を持っている悲しい存在なのです。

・・・・・・・・「ドイツ人に殺されたユダヤ人 の出身地」・・・・・・・・・・・

ドイツ: 165,000 、オーストリア: 65,000 、フランスおよびベルギー: 32,000 、オランダ: 10,000以上 、ギリシャ: 60,000 、ユーゴスラヴィア: 60,000 、チェコスロヴァキア: 140,000以上、ハンガリー: 500,000 、ソ連: 2,200,000 、ポーランド: 2,700,000

この他も合計すると1100万人前後(ユダヤ人600万人、非ユダヤ人500万人)となる。(数字の出典:Wikipediaの「ホロコースト」の項目より)

日本には66年間戦争がありませんでした。皆が戦争のことを忘れ、その悲惨さも忘れようとしています。しかしユダヤ人の大量殺戮を忘れてはいけません。

ヒトラーとその協力者が600万人ものユダヤ人を理由も無く殺したのです。そのドイツと日本は軍事同盟を組んで共に第二次世界大戦を戦ったのです。

ホロコーストに関しては日本人は完全に無罪です

ところで、ユダヤ人の大量殺戮に日本人は責任が一切ありません。むしろユダヤ人を満州へ移民させ救おうとしたのです。それはこのブログでも紹介した、奇想天外!関東軍のユダヤ人の大規模救済計画ー河豚計画 です。現在のユダヤ人の間では有名な話になっているそうです。この記事をクリックしてご覧頂ければ嬉しく思います。

さてヒットラーに協力した人々が東ヨーロッパに沢山居たのです。

従ってユダヤ人の殺戮の背景には、長い間連綿として続いて来たユダヤ教徒とキリスト教徒の宗教的敵対関係が存在していたのです。そのように理解するのがごく自然な理解の仕方と信じています。悲しい事です。宗教の対立で殺し合うことこそ愚かなことはありません。

幸いにも佛教国だった日本の歴史には、宗教の対立でこれほど大規模な殺戮はありません。日本人が西洋人より優しい文化、柔らかい文化を持っていると思うのは間違いでしょうか?

しかし日本人も西洋人と同じだった時代もあったのです。

日本人が権力に弱く、その上、他民族を支配、抹殺したいという欲望を再び持たないようにお祈りいたします。

二度と日清、日露、シナ事変、満州事変、太平洋戦争の時代のような事が日本民族に来ないようにお祈りいたします。

皆様のご意見を頂ければ嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

藤山杜人