後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

北海道への旅へのいざない(4)麦畑に突如出来た昭和新山と有珠山

2011年10月30日 | 旅行記

北海道の洞爺湖の傍に昭和新山があります。

昭和18年から20年の2年間で17回もの火山爆発が起き、平らな麦畑に突如火山が出来たのです。土地の郵便局長だった三松正夫さんが火山一帯を購入し、私有地にしました。毎日、観測し、火山の成長を観測したことで世界中の地質学者の間で有名になりました。彼が描いた「ミマツ・ダイヤグラム」は、その火山の成長ぶりを図面で示したものです。現在、昭和新山の麓に「三松正夫記念館」があります。

昭和新山の麓から有珠山の頂上までロープウェイがあり、それに乗ると昭和新山を見降ろすことが出来ます。洞爺湖も見えます。

今回は有珠山へロープウエイで登りました。昭和新山の写真の下に有珠山の写真を示します。有珠山は昭和新山の向かい側にある高い火山です。昭和新山よりは古い山ですが、それでも比較的新しい火山です。

それにしてもこのような巨大な火山が2年間で出来、それを人間がまじかに見ていたという事は驚きです。奇蹟の山と呼ばれる所以でもあります。地質学の上での驚異的な観察結果です。このようにして日本中の火山が出来ていったのです。感慨深いものがあります。

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織田美保子さんの遺稿集「風を愛したひと」の書評(2)結婚しようとしている男性、夫婦生活をしている夫が

2011年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

織田美保子さんは27年前の1984年に39歳で亡くなりました。夫の寧人さんはすぐに遺稿集を出版し、27年経過した現在でもこの本を多くの方々に読んで頂きたいと思っています。私も是非、一人でも多くの方々に読んで頂きたいと思います。

その理由は幾つかありますが、今日はその中から一つの理由を書きます。

「結婚して夫婦生活を始めた男性はどのように妻に接すべきか?」。この疑問に対して具体的に幾つかのことが書いてあります。それは織田美保子さんが夫へ要求しているのではありません。夫との愛情に満足し、幸多い生活をしているのです。そしてどういう時、幸せと感じたかを書いているのです。

世の中の男性はその文章を考えれば、妻をより幸せにする為にどうすれば良いかが理解出来るのです。いきなり具体的なことを書いてすみません。例えば夫婦で寝ているとき妻は手を伸ばして夫の体に触りながら寝ると幸せなのです。その手を振り払ってはいけません。そのような事が随筆風にさりげなく書いてあります。

夫の寧人さんと職場で知り合い結婚するまでのいきさつが短編小説風に書いてあります。寧人さんの男らしさに魅かれて結婚したようです。私は数日、「男らしさ」とはどういうことかを考えています。

「夫婦」と題したミニ随筆では街で偶然みた老夫婦が乗るべきバスを探して走っている様子を水彩画のようにスケッチしています。そしてその老夫婦の姿に自分達の日常生活を重ねて、少しだけ書いています。夫の趣味は若い時から鉄道写真を撮ることだったことが理解できます。妻はそれを受け入れ、協力しているのです。

自分達の夫婦生活から、一歩はなれて遠くから眺めて折々の感想をミニ随筆として書いています。「夫は妻を愛しなさい」とか「妻へ優しく接しなさい」という言葉は出て来ません。そのような直接的な表現が無いだけに男性のすべきこと一層明快に分かるのです。

「出城」と題するミニ随筆では城跡の大きな石を見ながら息子との楽しげな会話が書いてあります。息子へ対する切々たる愛情が感じられます。

さりげない書き方は苦しい病床から眺めたお医者さんや看護師さんたちへも変わりません。誰をも好意的にみているのです。その事実に感動します。

遺稿集「風に愛されたひと」にはお見舞いに来た多くの友人へのお礼状や友人からの手紙も掲載されています。織田美保子さんの周りに集まってくる人々は全て良い人です。善い人です。

けっして綺麗事だけが書いてあるのではありません。ガン病棟の生々しい現実も書いてあります。しかしなにか潔よい(いさぎよい)書き方です。

私は、「ああ、この方はガンに勝っている」と感じました。その勝利の支えには、夫や娘、息子、そして多くの友人がなっているのです。ですからこそ結婚しようとしている男性、夫婦生活をしている夫が読むべき書と思います。そのように信じています。

今日はこれからミサへ行きます。織田美保子さんのご冥福を心から祈ってきます。

下の花の写真は織田美保子さんへお供えする写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人

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