人間は自分の住んで居る所が世界の中心で、一番良い国と思っています。
昔の中国では、その他の国は夷狄と言い、野蛮な人とさげすんでいました。
ところが現在でもそんな傾向があるものです。別に狭量な人でなくても外国に住んだ経験の無い人は心の底にこの思いが根をはっていものです。
欧米人がアジア人をさげすむのは決して文明開花が遅れているからだけではありません。本能的に辺境に住む夷狄と感じているからなのです。
私はドイツに住んでいた経験があるのでこの夷狄という感じ方を体で理解しているつもりです。
ヨーロッパ人が夷狄と感じているのはジンギスカンの侵入以来、アジア人、トルコ人、ペルシャ(イラン、イラクなど)人などです。そして時々はロシアも夷狄に入れて感じている人々がいるのです。昔からロシア人はその事を知っています。それはナポレオンの侵入、そしてヒットラーのロシア人殺戮とからめて理解しているのです。
ところで、ソ連とアメリカの冷戦が厳しかった1990年までは、ソ連圏はすべて夷狄の国々のように感じられて居た傾向がありました。少なくとも西ドイツに住んでいた私には東ヨーロッパの国々は野蛮な共産党独裁の暗黒の地のように見えました。立ち入り禁止の恐ろしい野蛮国のように感じていたのです。
それは日本人の行ってはいけない敵国であり、辺境の地なのです。
そんな国の一つにハンガリーがありました。ところが大変驚いた事にそのハンガリーにゆうゆうと住んで居る日本人がいたのです。盛田常夫さんです。2、3度、東京でお会いしてハンガリーのお話をお聞きしました。昨日の記事の、ドナウの四季 2011年秋号(ハンガリー在留邦人誌)の目次と盛田 常夫さんの巻頭言をお送りします をご覧下さい。
何故こんな辺境の国に住んでいるに日本人の為の季刊誌を紹介したのでしょうか?それは私の驚きを皆様へお伝えしたかったからです。そして私の間違った考えを修正したかったからです。
まず「こんな夷狄の国にも日本人が住んで居る!!!」という狭量な私の驚きをお伝えしたかったのです。
勿論、私の感じ方は決定的に間違っています。ハンガリーはハプスブルグ家華やかしける時代にオーストリーと並んでヨーロッパ文化の中心だったのです。ウイーンとブダベストは近世ヨーロッパの花の都でした。それは理屈では理解しています。
何故、私はハンガリーを暗黒の地と感じているのでしょうか?
昨日、ハッと解ったのです。それは1960のアメリカ留学以来、れんめんと受けた教育のせいです。共産主義は悪魔の考えだという教育を陰に陽に受けて来たからです。正しい判断の出来なかった私は別の意味で共産主義の犠牲者だったのです。死ぬ前にこの大きな間違いに気づいた幸運に感謝しています。
さて話は飛びますが私がよく見るテレビ番組に世界の辺境の地へお嫁に行って幸福な家庭を作っている日本人の女性を紹介する番組があります。
女性は偉大だと感動します。どんな貧しい、厳しい、さいはての地に行っても家族を作り、その中心に座っているのです。善い家庭をつくるとその地方の人々が日本人を尊敬します。なにせ日本人といえばその女性しか知らないのですから当然です。
男性でも偉い人が世界のはてに住んでいます。そしてその地方の農業や工芸の開発に大きな貢献をしています。徒手空拳でその国の社会開発に貢献しているのですから尊敬されるます。それは理屈にあっています。
私の驚きは女性です。善い家庭を作っているだけで日本人すべてが尊敬されている事に驚いています。
そして日本からテレビ局の人が訪問して話を聞くと、彼等は国籍は別にして一番日本人らしい日本人なのです。
話が長くなりましたので止めます。お疲れになったと存じますので、先日昭和記念公園で撮ったコスモスの写真をお送りします。眺めて一休みなさって下されば嬉しく思います。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人