いきなり酔っ払いの話で恐縮です。私は酔っぱらって随分と失敗をしました。人生の終り頃になって反省しています。
反省しながら戦後の日本の酒の飲み方の変遷などを思い出しています。
経済の高度成長期の終焉までは夜の街々に酔っ払いが随分と居たものです。夜の電車に乗ると酔っ払いが沢山乗っていて会社の話を大声でしていたものです。酒が飲めないと出世しないとも言われていました。飲めない人が真剣に悩んでいました。以前の日本は酒を飲むことが善い事だという風潮さえありました。兎に角、お酒に大変寛容な社会でした。
しかし現在の日本では家で独り静かに酒を飲むのが善いという文化に変わってしまったのです。しかし時々はお付き合いとして外のレストランで飲む事もあります。その折の飲み方や作法は特に決まっていません。自分の好きなものを自由に選んで、1、2杯を気楽に飲みます。以前はお客が注文したものと同じと言うのが作法でした。でもそんな作法なども消えてしまいました。気楽に自分の好きなものを少しだけ飲みます。多く飲んで酔っ払ってはいけません。
ところが国によっては酒の飲み方の作法をうるさく言う所もあるのです。
@南ドイツのワインの飲み方
最近の日本では世界中のワインが輸入され気楽に飲めるようになりました。しかし以前は輸入ワインが非常に貴重であったのです。
1969年、ドイツに住んだ時は「貴重な」という先入観もあってワインを良く飲んだのです。貴重な物を財産として自分の体に蓄積するような気分です。こんな感じ方は現在の日本人には理解できないでしょう。
南ドイツの中世の田舎町でのことです。
よくガストフという古い食堂に入りました。木目が美しい内装で、中は暗いのが普通です。すぐに帽子、コートを脱ぎ、入り口近くの帽子掛けに掛けます。「グリュ-スゴット!」(神のお加護を!)と主人へ声を掛けて、案内されて座ります。
日本の学校のドイツ語の時間では、「グリュ-スゴット!」などという挨拶は習ったことがありません。南ドイツの方言なのです。
奥の左手のテーブルは男だけの地元常連客のテーブルであり、座ってはいけませ。それは中世からの伝統です。
田舎の店ではコートの脱ぎ方、挨拶の仕方、その後の仕草を、人々がジーッと見ています。作法通りにしないと露骨に嫌な顔をするのです。
アメリカ人観光客は地元の作法に無頓着なので、どうしても嫌われてしまうのです。
ワインを注文します。渋みの効いた地元のワインです。行く度に注文の銘柄を変え味を比較しました。次第にドイツワインの深みが分かるようになります。ドイツワインだけを飲んでいるとフランスワインは不味いと感じるようになるのが不思議です。
あるとき2週間の全国旅行へ出ました。フンボルト財団の主催した団体旅行で、参加者は色々な国の人々15人位でした。旅行中の全ての宿は伝統的な民宿で地下室にケーラーというワインの貯蔵倉を持っています。夕食時には必ず年代物のワインの栓を2,3本抜きます。栓を抜くのは民宿のご主人。重々しい顔でラベルの年代を読み、コルクを抜くのです。始めに一杯だけグラスに注ぎ、その一杯を「主客」が一口飲むのです。しばし考えて、「美味い。少しドライだがそこはかとない葡萄の甘味もあり結構じゃないですか」などと誉めるのが決まった作法なのです。
主人が満足げに全員のワイングラスに注いで飲み始めます。
ワインに使った葡萄の品種やその年の天候などが主人から説明があります。それが終われば儀式が終わり、後は自由です。
この始めの部分はあくまでも伝統的な作法です。間違っても少し味が良くないなどと言ってはいけないのです。
決まった作法とは知らない日本人が自分の好みの味ではないと言ったために主人と大激論になった話を時々聞いたものです。
その後、自分が主客になったときの為に「美味い!深い味だ!」などと言うドイツ語を覚えました。儀式が終われば、味の批判や評価をどんなにしても良いのです。
古い中世の文化が残っている南ドイツではワインの飲み方にも伝統的な儀式が出てくるのです。
@アメリカでのバーボンの飲み方
アメリカに1998年から2年間単身で在住した時は良く外の店にお酒を呑みに行きました。アメリカでは酒は楽しく飲めば良いので儀式は一切ありません。ビールは瓶や缶のまま飲みグラスは使いません。
いかにもアメリカらしい酒場には磨き上げた厚い板のカウンターがあるのが普通です。カウンターに座ったらまずコインを出して、バーボンダブルなどと注文します。近所にそんなバーがあったので、よく行きました。
男主人がカンターの端から私の手元へグラスをスウッと滑らせてくれます。丁度手元で見事に止まります。その勢いで、ついバーボンを一気に飲み干します。あれは売上を上げる主人の手なのです。
何回か調子良くグラスを空けると、お金を払わないのにグラスがスウッと手元に滑ってくる。男主人のおごりである。これも気分の良いものです。
この店には暫く通いましたが、バーボンのストレートは胃を壊すのでやめました。
その後は日本人が板前をしている寿司店へよく行くようになりました。よく見かける白人の男が寿司を手でつまみながら、熱燗を手酌で楽しんでいます。見事な仕草でです。
色々な話をしました。
私が「アメリカには酒を飲むときの特に作法が無いのでは?」と言いうと、「大部分のアメリカ人は無頓着です。でもあったほうが美味しく飲めるのです。味だけではありません。その国の文化がしみじみと想像出来るのが楽しいのです。」と彼が言います。
彼は本で読んだというヨーロッパ諸国、中国、韓国などの酒の飲むときの作法を丁寧に教えてくれました。
色々な国々には種々のお酒があり、それぞれのお酒の飲み方にも違った作法があるのです。
郷に入れば郷に従うように飲み方もその地方の方法を遵守すべきです。それは礼儀の基本でもあるのです。
しかし要注意の場合もあります。中国では宴会のとき乾杯の応酬が何度もあり、「飲み干すのが礼儀」と言います。よく聞いてみると、それは始めの一杯だけのことなのです。乾杯の応酬の仕草だけで良いそうです。これを間違ってフラフラになっている日本人をよく見かけたものです。でもそんな時代ももう遠い昔になりました。酒の飲み方の作法も時代とともに変わります。南ドイツでも面倒な儀式は消えたでしょうか?あれから40年近くなります。
現在の日本はすっかりアメリカのようになりました。自由に、自分の好みのもの飲むのです。
秋の夜長は独り静かに酒を飲みましょう。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人