今回から新しい随筆シリーズを2つ同時に始めようと思っています。「日本人が失った貴重な財産」と、「日本人が持った貴重な財産」という2つの主題を持った随筆シリーズです。失うものがあれば得るものがあるというのがこの世の原理原則です。悲しむべき事が起きれば必ず喜ぶべき事が起きるのです。
今回は、失った貴重な財産(1)として、崇高な自己犠牲の精神と会社への忠誠心の消滅を取り上げます。1990年の頃のバブル経済の崩壊以来、急速に消えて行きました。
一昨夜、大学の金属工学科を昭和33年に一緒に卒業した30名の同級会が奥湯河原でありました。52年間、2、3年おきに続いた同級会です。熱海、湯河原、箱根、松島、秋保温泉、作並温泉などで開催して来ました。何故52年も続いたのでしょうか?
理由はいろいろでしょうが、重要なものとして「自己犠牲の精神」と「会社への忠誠心」があったと思います。会社への忠誠心は「金属工業への忠誠心」という意味も強いのです。
専門職にある者の崇高な精神は、その専門教育と会社での専門職の人事管理体制によって支えられてきました。
私達、74.75、76歳の男性は旧制の小学校に入学し、新制の中学、高校、大学を卒業しました。しかし高校はいずれも旧制の中学校が名前を変えただけで先生は旧制のままでした。大学も元の帝国大学が新制の大学になったもので教授も助教授も旧帝国大学で育ち、勅令で任命されたいわゆる勅任官です。
特に仙台の大学の金属工学科は、磁石の発明で世界的に有名な本田光太郎博士が作った研究所が隣にありました。講義のたびに、「君達はエリートなのだ。誇りをもった優秀な技師として金属工業へ一生を捧げなさい」と何度も言われました。説教だけでなく大学の研究室の実験設備は素晴らしいものでした。戦後の物資の無い時代に育った我々は実験装置の立派さに感激しました。その上、研究室に1人1人与えられた机の立派さに驚いたものです。教授達も我々を一人の紳士として扱い、決して乱暴な言葉を使いませんでした。卒業後は大手5社の鉄鋼会社、三菱、住友、石川島などの重工業会社、軽金属の会社、トヨタやニッサンの自働車のエンジン製作工場、などの技師として就職して行きました。伊藤忠などの鉄鋼貿易部門に就職した人もいました。(30名の卒業の中で私だけが大学に残りましが)。
これらの大会社では旧帝国大学卒の技師は他の大学の卒業生とは区別して、特別な人事管理をしていました。勿論、大学による差別は次第に弱くなってはいきましたが、しかしその精神文化は大会社には1990年頃まで色濃く残っていたのです。大学卒の差別的な人事管理の裏返しとして会社側はこれらの人へ会社への忠誠心を強く要求しました。技師の徹夜の現場勤務と転勤辞令への絶対服従などがその一例です。
この技師としての自己犠牲の精神と会社への忠誠心が1990年頃を境にして急速に消滅してしまったのです。
1990年以来、日本は10年以上も経済不況に陥ります。政府や官僚組織が不況脱却のためにあらゆる政策や施策を推進しましたが、全然効果がありませんでした。精神が壊れるとどんな景気対策も無力なのです。
「エリートとしての自己犠牲の精神」の消滅。そして、「会社や組織へ対する忠誠心」の消滅。これこそが日本人が失った大きな財産です。しかしそのお陰で素晴らしい財産を手に入れることになったのです。続編に書きます。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人