後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

新緑の輝き、遊びの船、それを映す水面のゆらぎ

2010年05月22日 | 写真

何故か分かりませんが、この写真をジッと見ていたら平和な気持ちになりました。この下の記事で軍隊や戦争の事を書いたので心が騒いだのです。皆様も平和を感じて頂いたら嬉しく思います。一昨日、霞ヶ浦で撮った写真です。

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国家の崩壊(3)本音で言うと、日本は隷属国、ドイツは独立国

2010年05月22日 | 日記・エッセイ・コラム

同じ敗戦国で、大規模な米軍基地が存在していても、ドイツは独立国と見られています。しかし日本はアメリカの隷属国と見られます。その原因はドイツは軍隊を持ち、18歳以上の男子は兵役につく義務が原則としてあるのです。憲法に書いてあるのです。他国に武力侵略はしないが自国へ侵入する敵国を撃破するために軍隊を保有すると憲法に明記してあるのです。アメリカ軍の支援が無くても自国を守るというのがドイツ人が軍隊を持つ理由なのです。

湾岸戦争では出兵をしませんでしたが、その後、NATO同盟国の出兵する外国へ、即刻派兵して来ました。ベトナム戦争へは参戦しませんでしたが、ボートピープルを救助する船舶を常時海上に置いたのです。ドイツの軍隊の特長はNATO同盟軍の全体の弱点である陸軍を強化しています。海軍と空軍はイギリスとフランスに任せるという編成になっています。

自分の国は、アメリカ軍の支援が無くても自分の軍隊で守る。当然の考えを国民が持っているのです。ドイツにある米軍基地はアメリカが使うためにあるのです。ドイツ人はあてにしていないようです。付け加えると、ドイツの憲法も第二次大戦後、占領してきた米軍が与えたものです。この点は日本と同様です。しかし、その後、ドイツは憲法を48回も改正して来たのです。

このドイツに比較して、私は日本をアメリカの隷属国と書きました。日本独自の文化を持った立派な民族ですが、自国の防衛をアメリカへ依存しているのです。自国に侵入して来た敵国をアメリカの海兵隊で追いだして貰おうとしている国なのです。こういう国を隷属国と定義するのです。他の国々から見ると日本は誇りを捨てて経済的繁栄のみを追求している国と見えます。それでも良い。あるいはその方が良いという人々が多いからこうなったのです。

戦争反対は誰でも願う言葉です。しかし、侵略国へ武力を使いませんという事を言ってはいけないのです。それは国家の基本的な権利です。それを放棄すれば独立国ではなくなるのです。

鳩山さんがまずすべき事は憲法を改正し、日本軍を再編成し、自分だけで侵入する敵国を打ち破る体制を作るべきでした。その後でアメリカと交渉して基地の削減を提案するべきでした。全くお笑いのような非常識ぶりを発揮したので国民へ大きな失望を与えてしまったのです。日本人への信用を失ったのです。

前回の「国家の崩壊(2)」へ対して、やっくんさんという方と、元航空自衛隊に勤務していた、ゆきさんという方から頂いたコメントを転載して終りと致します。

=======やっくんさんからのコメント=====

隷属というと日本は米国の下僕のように聞こえますが、果たしてそうでしょうか。確かに国防の問題は日米安保条約により米国に負うことが大であることは厳然たる事実です。経済活動も米国基準になりつつあります。しかしながら、日本が古代から独自に営々として築き上げてきたものまで米国にあれこれ言われる筋合いはありません。
確かに先の戦争で敗戦国になり、米国の援助なしではここまでの経済大国にはならなかったでしょう。でも、ここまで日本を有数の経済国にしたのは日本人そのものです。外交が下手、米国に言いたいことも言えない、米国から市場開放を求められればハイハイと開放する。そういうことばかりやってきたツケが普天間問題にも現れているのだと思います。米国にとって日本はコントロールしやすい国と思われているかもしれませんが、私は隷属とまで言い切ることは疑問に思います。

========ゆきさんからのコメント=======

藤山杜人様
真の独立とは何かを考えてしまいました。
日本人は何かを忘れたのだと思います。何かとは[日本人としてのモラル、愛国心]じゃないかなと考えます。
皆の憧れの永世中立国スイスも、一見、平和の模範のような国に見えます。
しかし敵国が侵入すれば、自国を守る為には全国民が立ち上がる国なのです。全家族が自宅に小銃を持ってるとも聞きます。
そこのところを見習うべきではないかと考える次第です。敬具

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別れる・・・惜別の記、その四

2010年05月22日 | インポート

5月2日の日曜日に教会へ行ったら、10年間頼りにして来た、山本量太郎神父様が6月1日から関口教会へ転任という発表がありました。そろそろ転任と思ってはいたのですが、目の前が暗くなりました。分かっていても、それがいざ起きてみると人間は右往左往するのです。

この5月の間に、自分の悲しい心の動きを整理して本当に別れても大丈夫なようにしようと思いました。そこでこのブログに4つの惜別の記事を書くことにしました。

(1)あなたの主任司祭はイエス様です!・・・動揺する群衆を一瞬にして静かにする

(2)自分の信仰の為にブログを書き続けています 

(3)キリスト教の排他性を打破しようとしたヨハネ・パウロ2世の勇気

そして4番目の惜別の記事がこの記事です。山本神父様は私が1971年に洗礼を受けたときに代父になって頂いた方のご子息です。私より10歳以上お若いかたです。しかし聡明で、その上信仰心が圧倒的に強い方です。彼に甘えて、このブログではカトリックと関係の無いプロテスタント宗派の事や佛教や神道のことも自由に書いて来ました。

山本神父様から教えて頂いた事は沢山あります。その中から今日は一つの事だけを書いて感謝の意を表します。それは他の宗派との交流と協力の重要性でした。前回掲載した、(3)キリスト教の排他性を打破しようとしたヨハネ・パウロ2世の勇気 はヨハネ・パウロの事を書きましたが、実は山本神父のことを書いたのです。ヨハネ・パウロを山本神父と置き換えて、お読み頂きたいのです。ローマ法王と小教区の主任司祭を同列に並べるのは不敬罪とお思いになるかも知れません。しかしキリスト教には不敬罪は存在しません。ローマ法王も、枢機卿も、大司教も神父も一般信者もみんな等しくイエス様の弟子なのです。上も下もありません。ただお互いに愛しあいなさいと言い残して、イエス様は天に登り、神の右の座に着いたのです。

山本神父さんの他宗派との交流の一例は小金井市にある11の宗派の違う教会の合同礼拝式の開催です。それは非常に感動的な礼拝式でした。

それを見て、私は色々な教会を訪問してみました。そして、その訪問記をこのブログに掲載してきました。プロテスタント派の世田谷教会、小金井貫井南町教会、日本キリスト教団小金井教会です。その上、聖ニコライが明治維新の前に伝えたロシア正教とその後身の日本正教会も訪問しました。みな牧師様から直接お話しを聞いて来ました。

礼拝式の雰囲気と式次代はみな違いますが、どの宗派の人々もイエス様の弟子だという確信が持てました。そうしてその結果、不思議なことですが私のカトリックへの帰依や信仰が強くなったのです。

カトリックは全世界に強大な組織が出来ています。これを見て軍隊組織と同じという人がいます。しかし軍隊と基本的に違うのは階級による上下関係が無いのです。お互いを大切にし、労わり合うという愛の絆で結ばれた組織なのです。

他宗派との交流したために分かったのです。遅すぎたようですが。これも山本神父様のお陰です。関口教会でもイエス様の弟子としてますます大きなお仕事をされますようにお祈りして、惜別の記とさせて頂きます。(終り)

今日はこのような個人的な惜別の記事をお読み頂きまして有難う御座います。

下に気分をお安め頂けるような帆舟の写真をお送り致します。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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今日は快晴、霞ヶ浦でヨット遊びをして来ました

2010年05月21日 | 写真

変わり映えのしない写真ですがお送りします。快晴で東風が心地よく、久しぶりに沖まで出てきました。ゆったりしたセイリングをしながら1960年から2年間オハイオ州立大学の博士コースで机を並べたアメリカ人の名前を思い出しながら懐かしい思いを楽しんできました。ジョージ・オートン、ジム・バテル、ジェリー・ワース、ディック・ホワイト、デイル・ピーター、モニー・プール、エイチピー、ジェリー・マンシーネ、ライオ・マーシュ、などなど。皆20歳台の若々しい青年でした。あれから茫々50年。皆、年をとって老人になったに違いありません。

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国家の崩壊(2)日本はアメリカの隷属国家だ!この不愉快な現実

2010年05月21日 | 日記・エッセイ・コラム

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この美しい東京を首都とする日本は1945年以来、完全な意味で独立した国家ではありません。この不愉快な現実へ目をつぶり、甘い幻想でアメリカと対峙しようとした鳩山さんの政治家としての本質的な欠陥こそが、今回の普天間騒動の原因です。

私が日本を独立国ではないと言っているのは卑屈な気持ちで主張しているのではありません。日本の置かれている現実を直視せよと主張したいのです。

一国の独立の度合いは色々な尺度から考えるとかなり明快に評価できます。独立の程度で国々のランキングをつける事も難しくありません。

独立性の強い順に並べます:イラン、シリア、リビア、などのアメリカへ敵対するイスラム圏の諸国、北朝鮮、ミャンマーなどの軍事独裁国家、中国、ロシア、パキスタン、(インド)、ブラジル、アルゼンチン、ベネズエラなどの本質的に反米的性質を持つ諸国。

ヨーロッパで独立性の強い国はポーランド、バルチック3国などのロシアへ敵対する国々。

その他の国々は程度の差があるがアメリカやロシア、あるいは中国の勢力圏にある国なのです。そのような中間的な存在にある国は軍事的に独自で自国を防衛出来ません。従って外交の独立性も弱いのです。唯一、経済活動だけは独自に、自由にできるのです。これが経済のグローバル化をもたらしています。

このように軍事力の独立性、外交の独立性、経済活動の独立性だけを考えても日本のランキングは随分と下の方にあります。アジアでは北朝鮮、ミャンマー、中国、などが真の意味で独立国家です。一番アメリカと深く繋がってその勢力圏に組み込まれている国は韓国と日本です。

ついでに言えば、NATO軍事同盟のヨーロッパ諸国の中で、独立性の高い国はイギリスとフランスです。ドイツにはアメリカの大きな軍事基地がありアメリカと深く繋がっています。東ヨーロッパはロシアの勢力圏です。しかしロシアへ激しく対立し、NATO軍事同盟に加入しているポーランドとバルチック3国は独立国家の色合いが強いようです。特殊な国ですが、スイスは独立性が高い国です。

日本は世界の国々の中でも独立国家としての性格が非常に弱い国の一つです。例えて言えばベラルーシやウクライナがロシアの勢力圏にあるように日本と韓国はアメリカの勢力圏の中に組み込まれているのです。

昔、私はアメリカに4年間在住し、ドイツに2年弱在住していました。彼等は一国の実力を決して経済力だけで比較しません。軍事力や外交手腕を総合して一つの国の実力と見なします。もう少し追加すれば、「マンガやアニメも含めた文化力」も総合的に考えます。

鳩山さんもそうですが、多くの日本人は自分の国の実力を間違って評価しているようです。経済力だけで日本を高く評価し過ぎています。その考えは外国では通用しません。

皆様のご意見を頂ければ嬉しく思います。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人


独立国、北朝鮮が潜水艦で韓国の小型軍艦を撃沈

2010年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

今日、韓国の小型軍艦が沈んだ原因の国際的原因究明の結果が、正式に発表されました。北朝鮮の小型潜水艦が韓国の軍艦を北の領海近辺で、魚雷を発射して撃沈したという発表でした。下にアメリカの小型潜水艦の写真を示します。出典はWikipideaの「潜水艦」の項目の写真です。

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これを見ると北朝鮮が独自に、そして自由気ままに軍事力を使っています。外交交渉の上でもアメリカや中国に対立して核兵器開発の自由を手中に収めつつあります。このように自国だけの判断で、軍事力の行使が出来、外交交渉でも大国に屈しない国があるのです。こういう国を真の独立国家と言います。このグローバル化が進んだ今日でも北朝鮮のような冒険主義に満ちた独立国家が存在しているのです。この事実は、アメリカの勢力圏に組み込まれている日本人にとって驚異であると同時に、非常に大きな脅威です。

戦前の日本も似たような独立国家でした。自由勝手に、朝鮮を併合し、満州国を作り、それに反対するアメリカを撲滅するために真珠湾攻撃をしたのです。北朝鮮が破れかぶれになって核弾頭をつんだミサイルを同時に何発も韓国と日本の都市へ撃ち込む可能性があります。それを避ける為に、はたして鳩山さんは何か外交政策を展開するつもりなのでしょうか?彼の起こした普天間騒動を見ると、私は諦めています。皆様はどのようにお考えでしょうか?心配ではありませんか?(終り)


キリスト教の排他性を打破しようとしたヨハネ・パウロ2世の勇気

2010年05月20日 | うんちく・小ネタ

周りの人々へ時々、「私はキリスト教の信者です」と言います。すると親しい人の中には、「私は宗教は嫌いです!宗教は戦争の原因になるから嫌いです!」とニベも無く言う人がいます。「そうですか。そうですね。」と答えて話題を変えます。キリスト教の欧米諸国が宗教の理由で数多くの戦争と殺戮をして来た歴史上の事実は否定出来ません。

昨年11月の読売新聞の「時代の証言者」という連載記事でヨゼフ・ピタウさんの話が二十数回続きました。日本人はキリスト教は宗派の対立が激しすぎると非難します。キリスト教の排他性が原因で対立が起きますとも非難します。この非難に対して明快な答を与えています。

11月17日の「時代の証言者」にはこう書いてあります。

(1)ヨハネ・パウロ2世はキリスト教の全ての宗派を再び融合・統一する努力をした。

例えば聖ピエトロ寺院での祭祀にはイギリス教会(聖公会など)のカンタベリー大主教と東方の正教会のコンスタンティノポリス総主教と一緒に司祭しました。

東方の正教会とはギリシャ正教、そしてロシア正教、日本正教会などを含みます。

2000年前のイエス様のころはこれらの別々の宗派は存在しなかったのです。その状態へ戻し、正しいあり方に復帰しようとする運動をエキュメニズム(教会一致促進運動)と言います。ヨハネ・パウロ2世は、別々の宗派の存在がキリスト教としてあるべき状態でないという強い信念を持っていたのです。

(2)キリスト教が犯した排他的な殺戮の大罪を認め、謝罪し、神に許しの祈りを何度もした。

十字軍のイエスラレム奪還の為の遠征と殺戮、それも正教徒も殺戮した大罪。ガレリオ・ガレリイなどの科学者の裁判、魔女狩りと種々の異端裁判、宗教戦争などなど日本人の常識から見て明らかな大罪をローマ法王として始めて公式に認めたのです。

その上、その大罪の許しを神へ祈ったのです。特に2000年(キリスト生誕2000年の大聖年)の3月の許しを求める祈りは壮絶だったそうです。体力が衰え倒れそうな体で長時間、ひざまずいて祈ったそうです。(2005年に亡くなりました)。

日本人の常識ではキリスト教が戦争の原因になっているとしか見えません。

しかし洗礼を受けて信者になってみると違う理解になります;

「人間はどんな理由でも戦争をする。他民族を殺戮する本能を持っているからそうするのです」、

そして「キリスト教が原因ではないのです。ただ戦争の口実にキリスト教の名を利用するだけです」と理解できます。

ですからヨハネ・パウロ2世の神に許しを求めた内容は2つに分けられと自分は考えています。十戒の一つの殺人を大量にした罪。その殺人の正当性を主張するために、それを禁じていたイエス・キリストの名前を勝手に使った大罪。この二つを一緒にして神の許しを祈ったのだと、私個人は理解しています。

ローマ法王のヨハネ・パウロ2世の日本へ来た時の話などは続編に書きます。此処までお読み下さった方々へ感謝いたします。(続く)

下の写真は1920年にポーランドで生まれ、12歳の時のローマ法王の写真です。(2005年4月2日、84歳で旅立ちました。)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 藤山杜人

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居酒屋、「あぶりや三日月亭」を絶賛する

2010年05月19日 | インポート

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002_2 居酒屋は駅前商店街に沢山あります。しかし住宅街にはありません。それが最近、「あぶりや三日月亭」という店が近所に開店しました。

好奇心満々で早速行ってきました。

焼き鳥は上質な鶏の肉を串刺しにし醤油味か塩味でじっくり焼き上げてものとつみれの2種類だけです。

それが絶品なのです。既に噂が広がっているのか外には焼き鳥を買うお客が行列をしています。

私はカウンターで焼き鳥を肴に、生ビールのジョッキを傾けています。

驚いたのは美味しさだけではありません。

板前さんをはじめ従業員の接客態度が洗練されていて心地良いのです。店には夕食を食べに来た家族連もいます。お酒を飲みに来たお客もいます

相手の動きに合わせて素早く対応します。過不足なくスマートにサービスをするのです。

板前さんはフランス料理と日本料理の両方の修業をしたそうです。自分で作った料理を酒の肴として出してくれるのです。それが絶妙な味です。すっかり嬉しくなり熱燗を注文しました。

高清水という秋田の酒です。辛口で、懐かしい昔の日本酒の味がします。

理想的な居酒屋があるとすれば、それはこの店です。そんな感想を言いました。目の前の板前さんが嬉しそうに笑います。「そうです。この店のオーナーが自分が考えている理想的な居酒屋を作ったのです」と答えます。

あぶりものには、種々の魚の干物もあります。夕食を食べに来る家族連れの為に定食もいろいろあります。兎に角、絶賛したくなるような居酒屋です。料理が美味で接客態度が洗練されているのです。ほんの少しだけ高価ですが、絶対にそれだけの満足が得られます。是非一度お出かけ下さい。

営業時間は午後5時からです。家族連れで行くときは是非電話で予約をしたほうが良いと思います。

場所は小金井郵便局のある「北大通り」を西にむかい、京王ストア前の「本町団地入口交差点」を左に曲がり、50m程行った、本町小学校西交差点にあります。駐車場もあります。郵便番号184-0004小金井市本町5-28-10、電話:042-316-4105 です。


野火止塚の不可思議さ・・・昔の人々のロマン

2010年05月19日 | 写真

埼玉県の新座市に野火止という地名があります。何かいわくありげな地名です。そこに平林寺を建てる時、水が必要になり玉川上水から分岐して野火止用水を堀ったのです。江戸時代の初期のことです。下には現在の野火止用水から分岐した平林寺掘の現在の様子です。

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この平林寺掘の西側の林の中に野火止塚があります。平林寺が出来るずっと以前からありました。このような小高い塚があちこちに有ったそうです。何の目的でこのような塚を作ったかは全く分かりません。昔の人々の考えが分かりません。しかしこの塚の上に登って夕日を楽しんだり、満月を見上げたりしていた人々も多かったと想像できます。平原に散在する林の風景も楽しんだに違いありません。野火を見張ることもしたでしょう。なにかロマンチックな存在なので、平林寺へ行くたびに見ては考え込んでしまいます。

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人間が手を入れない自然の雑木林の素晴らしさ

2010年05月19日 | 写真

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普通見ることの出来る森や林は人間が植林した人工林です。材木が貴重な時代が何百年も続いたのです。人間の入れる山々は全て植林をしました。下枝を払い、下草を刈って手入れを欠かせませんでした。同じ木を等間隔で植えたので整然としています。そのような森や林は美しいものです。

一方、広大な平林寺の境内には手つかずの武蔵野の林があります。全くの自然林です。色々な木が混じって活き活きと成長しています。現在の天皇陛下も皇太子の頃にこの自然林を観察しに来たそうです。ここに示した写真が自然林なのです。人間の歩く道だけが中を通っています。

下枝を切ったり、林の中の雑草、雑木を刈り取ったりしていません。全てが自然のままの調和が保たれています。その様子を丁寧に観察すると何故か素晴らしい存在のような気がしてきます。樹木も伸び放題に成長しています。普通には見られないクヌギやエゴノキの大木が空に向かって新緑の梢を伸ばしています。

昔の武蔵野はきっとこのような森や林があったのでしょう。武蔵野にかぎらず、全国に自然林があったのでしょう。しかしそれらは消えてしまいました。

武蔵野の自然林を保存しているところはもう一か所あります。神代植物公園です。

自然な林の素晴らしさをこの写真でお届け出来れば嬉しく思います。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人


このブログを読んだ人には幸運がやってくる・・・保証は出来かねますが

2010年05月18日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログを読んだ人には幸運がやってくる。そんな事は私には保証できません。しかし、何時もそのように願いながら、祈りながら書き続けています。

一つだけ例を上げます。1990年頃にオハイオ州の「人生の悲劇対処法講習会」で習ったことです。離婚した人は、その原因を論理的に考えると、相手を憎み、その結果自分を傷つけるのです。それを一切しないで、自然現象のようにあるがままに受け入れるのです。谷川の水のように流せば良いのです。それは難しいことです。しかし、自然の風景をみていると自然に出来るようになります。

何でもそうですが、悲劇が起きた時は、その原因を考えないのが良いのです。下の竹藪の写真でも見て、「何故、竹はこんなにまっすぐ伸びるのだろう?それにしても、この竹薮には美味しい筍が出るに相違ない。来年のために竹薮の中の農家へ注文しておこうか?」などと考えるのが幸福になる方法なのです。

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このブログには美しい花々や自然の風景写真を沢山掲載してあります。それを見て楽しんでいると不幸が遠う退いて行くようにと祈りつつ載せています。

竹薮の写真は今日撮りました。平林寺の総門の向かいにありました。お読み頂きまして有難うございます。(終わり)


風かおる新緑の平林寺を散策してきました

2010年05月18日 | 写真

平林寺は川越城主の松平信綱公によって江戸時代初期に川越と江戸の中間にある現在の新座市に造られました。境内が33万坪と広大で、その半分くらいが自由に散策出来るようになっています。

四季折々、散策に良い所ですが、今は新緑の林の中を皐月の風が吹きぬけていて気持ちの良い散歩が楽しめます。

場所は新座市役所の向かいです。JR武蔵野線や西武線の新座駅から市役所へのバスの便があります。交通不便な所です。お出かけの前に充分、往復の交通を調べておきましょう。車の駐車場は1日500円で正門の筋向いに広いのがあります。

武蔵野の自然な雑木林を楽しむには絶好の所です。弁当持参でハイキングのようなお楽しみ方もできます。お寺の裏の広い林の中のベンチでは、飲食は自由ですが自動販売機などは一切ありません。ゴミは全て持って帰ります。今日は家内と新緑を見ながらベンチに座って、オニギリの昼食を食べて来ました。

先程撮って来た写真をお送りします。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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国家の崩壊(1)鳩山首相の普天間基地へ対する行動が意味するもの

2010年05月18日 | 日記・エッセイ・コラム

日本という国家と私の関係はどういう関係なのでしょうか?外国の人々は日本という国を信用しているのでしょうか?国家には個人と同じように人格というものがあるのでしょうか?鳩山さんは日本が国家としてアメリカと交わした契約を破棄しても良いと思っているのでしょうか?これらの質問へ対して私は分かり易い解答を用意してあります。それを書く前に我々高齢者の国家観をまず説明しておきます。昔の日本国はすべてのものの上に厳然として存在していたのです。国民は国家に隷属し、国は崇高な人格を持っていると信じていたのです。丁度、下の甲斐駒の写真のように人々を見下ろす存在でした。このような国家観では国家には品格というものがあったのです。少なくとも深層心理として日本人の心の底にあったのです。

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勿論いつの時代にも 例外的な日本人は居ました。革命を起こそうとしていた共産主義者も居ました。日本から逃げ出して外国で自分の人生を切り開いた人々も居たのです。

(1)日本という国家と私の関係はどういう関係なのでしょうか?

私に住みよい場所と環境を国家が提供してくれるのを希望しています。そんな漠然とした関係です。

(2)外国の人々は日本という国を信用しているのでしょうか?

国家としては信用していませんが、個人的には信用されている日本人もいます。

中国政府が「日本の軍閥が中国を武力侵略したのであって日本人民は悪くない」とよく言います。しかし、それは政治的なウソですね。軍閥はみな日本人だったのですから。こんな政治的発言を本気に受け止めてはいけません。

(3)国家には個人と同じように人格というものがあるのでしょうか?

国家にも立派な品格のようなものが有った方が良いと思っていた時代が存在しました。少なくともそのように希望していた人々が多かったのです。戦中、戦後、そして高度成長期までは。

(4)鳩山さんは日本が国家としてアメリカと交わした契約を破棄しても良いと思っているのでしょうか?

そうです。本心では良いと思っているのです。何代も続いた総理大臣が営々と努力して作った国際間の契約よりも鳩山個人の考えを優先して良いと信じているのです。国家の作った契約を破棄することは古い国家観の崩壊を意味します。

実は最近の日本人は国家をそれ程厳然たる存在とは思っていません。国家よりも個人が上に存在しているのです。その風潮をよく知っている鳩山さんは人々の気持ちに合わせて行動をしているのです。日本国内だけを考えて基地問題に取り組むのが鳩山さんのやり方です。これで全てが理解が出来ます。そして全ての政治的発言を社交的な会話と思っているのです。ですから5月に決着しなくても辞めません。

このような首相を持った国民の利害得失については続編で書いて行きます。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人