後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

菅直人内閣不信任案が大差で否決されました・・・反対283票対152票で

2011年06月02日 | 日記・エッセイ・コラム

とても見っともない政権抗争でしたが、菅直人内閣不信任案が大差で否決されました。反対283票対152票でした。結果は良かったのですが、このような醜い光景は見たくありませんでした。外国へ対して恥ずかしいと思います。

今朝、掲載した記事(大災害復興中に不信任案を提出する政権亡者たちの悪徳ぶり)へ対いして、「ちひろ」さんからとGAKUさんから以下のような良識的なコメントを頂きましたので、ここでご紹介致します。「ちひろ」さん、GAKUさん有難う御座いました。

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藤山杜人さま、こんにちわ。
「その通り!」と拍手させていただきます。
私も家族もご近所の方もみんな「なんでこんな時に不信任決議案を出すのか・・・菅さんは自民党政治の後始末をしているのに」と思っています。
今は被災地の復興を一刻も早く、そして原発事故で避難されている人々のこれからを早く解決してあげる事など等、政権争いしている場合ではないと腹立たしく思いながら、テレビ中継を見ているところです。   
投稿 ちひろ

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菅さんにとって代われば我こそは山積みする全ての問題をたちどころに解決して見せましょう。
万が一にも解決できなかったら不信任を支持した我々全員は見事に腹を切ってご覧に入れます。
小沢さんも谷垣さんもお約束なさるのでしょうね。

黒い腹など切らずとも全員辞職して福島原発周辺でボランテアとして復興に励んでいただきましょう。

天下分け目の本日午後の衆院本会議は如何なりますか注目です。
未曾有の災害といわれるこのときにこのような醜い政争を繰り返す日本に明るい未来は無いような気がいたします。   投稿 GAKU

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こんな風景を見ながらモネーの絵画を思い出す

2011年06月02日 | 写真

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昨日、昭和記念公園の一面に広がる上の写真のようなヒナゲシ畑の中の小道を、あっちへ行ったりこっちへ来たりしながら、しきりにモネーの下のような絵画を思い出していました。そのような散歩もよいものです。皆様はヒナゲシの野を見て、どのような事を思い出しますでしょうか?

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文科省の放射線量測定は地上数mから20m高さの値・・・地面の測定値とは違う!

2011年06月02日 | 日記・エッセイ・コラム

文部科学省の各地で行っている放射線量の測定は地上数mから20mという高い所での測定値です。

例えば、東京・新宿の測定は、地上18m、東京都健康安全研究センター屋上に設置されたモニタリングポストの数値です。水戸市では地上3.45メートルで測っているし、群馬では地上20メートル、千葉では7メートルと高いところで測定しています。
 なぜ、高いところで測ったものが多くなっているのか。それは外国での原爆の爆発実験による大気汚染を監視するために作られたモニタリング・ポストだからです。
 その事実は、文科省の防災環境対策室でも認めて、「1950~60年代に大気核実験をきっかけにモニタリングを始めた経緯がある」と説明しています。今回の福島原発の事故の影響を測定する為に作ったのではないのです。

高い所の空中の放射線量と、地面に接した空中の放射線量は違います。

特に福島原発では、3月12日から15日にかけて、4つの原発が大爆発して、多量の放射性粉末を空中へ飛散させてたのです。それが福島県の各地と茨城県水戸市近辺に降り積もったのです。

ですから福島県各地や水戸市の空中放射線量は地面の放射線量の影響を受けている筈です。地面の土を取って測定すればかなり高い値になる筈です。

そして人間にとって危険なのは庭の土の汚染なのです。屋根に積もった放射性粉末が雨水で庭に落ち、そこに蓄積する可能性が大きいのです。

多くの家々の庭の土1kgあたりの放射線強さを連続的に測定した結果を何方かご存知ありませんでしょうか?

庭の土は子供が泥遊びをしますし、子供の服の汚れとともに家の中へ入って来るから危険なのです。

地面の放射線量の測定値でないから文科省の測定はゴマカシだとか、役に立たないという人が居ます。それは大変な間違いです。

下に再度示しますが、毎日、毎日、同じ場所で、同じ方法で測定した値は科学的に重要な意味を持っています。すなはち、各地の放射線量の日時の経過による減少傾向は、原発事故が収束に向かっていると明快に示しています。

その上、各地の測定値がその日の風向きや雨の影響を受けていない事実は、その放射線量は地面に堆積した放射線粉末の影響を受けている事を示しています。

従って、今後は庭の土、校庭の土、田畑の土、牧草地の土の放射線強さを系統的に、そして根気よく測定する事が非常に重要になって来ます。その測定器は「放射線量測定器」を検索するといろいろあります。大体1台6万円から20万円くらいです。

土の汚染を連続的に測定すると、避難を解除して帰宅出来る地域も判明してくると思います。

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「東北・関東甲信越の放射線量の4月中の変化と5月29日の測定値の比較」

放射線量の測定値を4月1日と4日と5日について示します。放射線の強さの単位はマイクロ・シーベルト/hour です。そして太字は4月22日の値と昨日の5月29日の値です。

正常値は0.02から0.06と考えられています。都市名の太字は正常値以上の都市です。

青森市0.026:026:0.026  0.026:0.027 

盛岡市0.028:0.025:0.025  0.023:0.022

仙台市0.093:0.077:0.081  0・073:0.076

福島市2.80:2.32:2.34: 1.71:1.42 

いわき市0.62:0.0.55:0.50  0.28:0.23

山形市0.063:0.060:0.060  0・051:0.049

宇都宮市0.092:0.082:0.080  0.065:0.060 

水戸市0.195:0.169:0.163  0.122:0.097 

さいたま市0.080:0.071:0.070  0.058:0.055

東京・新宿0.101:0.089:0・089  0.073:0.062 

千葉・市原市0.075:0.063:0.061  0.049:0.046 

長野市0.049:0.043:0.043  0.043:0.043

静岡市0.042:0.038:0.036  0.037:0.038 

 などとなっています。

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大災害復興中に不信任案を提出する政権亡者たちの悪徳ぶり

2011年06月02日 | 日記・エッセイ・コラム

政治家には徳がないと思っいる人々が多くいます。政治家という人をハナから信用していないのです。私は違います。政治という泥水の中で必死に国の将来を考えて努力している人が居ると信じています。

しかし今回の内閣不信任案提出と、それに賛同する議員へ対して怒りと軽蔑以外の何ものも感じません。

賛成する全員が少しでも権力にありつこうとしています。蟻が甘い蜜に盲目的に這い寄るようにゾロゾロと賛成するのです。

被災地の人々は権力闘争よりも一刻も早い政府の支援を待っているのです。政治家が権力闘争に時間を割くべき事態でないのです。あきれて、ものが言えません。

一番悪いのは同じ民主党の小沢氏とその一派です。同じ政党の仲間の転覆を願って行動しています。大義名分も人間としての徳も一切ありません。ただ、ただ自分達が権力の中心に立ちたいだけです。

その上悪いのは谷垣氏一派の自民党と公明党です。自民党が政権をとっても現在以上の迅速な復旧政策が出来ないのは明らかです。いや過去の因習や伝統を重んじる古い体質の自民党では政策決定や執行が一層遅くなります。

原発事故も過去の自民党の原発推進政策の悪い結果の一つなのです。その反省も無く、菅直人氏の事故収拾対策が遅いと非難しているのです。話になりません。

今回の騒動で唯一つ救われたのは社民党と共産党の欠席の決定です。こんな醜い権力闘争には加わりませんという意味に解釈できます。もしそうなら社民党と共産党は被災地の人々の感情にいささかでも同情しているのです。

今朝のテレビで国際的な取材活動をしている記者が言ってました。「外国人は被災地の人々の冷静さと精神力の強さに感動しています。しかし日本の政治だけは最低です。外国人は日本の政治家の不見識ぶりに呆れかえっています」と。

内閣不信任案が可決されれば総選挙になります。早くても2ケ月が空白になります。選挙期間中は多くの国民が選挙運動に加わり、大震災復興のことを忘れてしまいます。折角、日本は一つ、心を合わせて復興しようとしている最中に国民全体が政権闘争に巻き込まれるのです。

暗澹たる気持ちです。小沢氏や自民党や公明党は人々がこの大切な時に総選挙を願っているとでも思っているのでしょうか?いや国民が願っていないことは重々承知の上で権力闘争をしているのです。権力が蜜なのです。政治家にはほとほとガッカリしました。

そして、しばし、時間をおいて、心を平静にしてから祈ります。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人


小説家、馬場 駿のドラマチックな生の軌跡

2011年06月01日 | 日記・エッセイ・コラム

小説家、馬場駿と一緒に飲んだのは35年くらい前。深い森の奥の山荘の中、燃えさかる暖炉の前で、彼の兄をまじえて3人で飲んだ。彼らが手作りした暖炉は甲斐駒の御影石が埋め込んであった。歯切れの良い言葉で喋る馬場駿の才気が輝く、華やかな一夜であった。

彼はまだ小説を書いていなくて、当然馬場駿という筆名も持っていなかった。しかし彼の才能と情熱で何時かは大きな仕事をすると私は信じていた。

あの夜以来一度も会っていない。しかしその後、彼は伊東市に移り住んで岩漿文学会を創立し、小説も書き出した。処女出版は馬場駿の筆名で「小説大田道灌」を出している。その書評はこのブログでも2007年11月に掲載している。馬場駿著「小説大田道灌」を検索すると関連の情報が出て来る。

その彼が13年間も務めていた岩漿文学会の代表と編集長の役を後進へ譲ることになった。最近、郵送されて来た。「岩漿」第19号には、彼がこの文学会を創立したころの経緯や、この文学会の歴史について書いている。そしてその他に何故彼が馬場駿という筆名を持っているかという感動的な小文を書いている。

小説家、馬場 駿のドラマチックな生の軌跡がいきいきと描いてある文なので以下に転載することにした。転載を許可してくれた彼へ感謝しつつ。

=======「筆名は心の師」、木内光夫============

二十年以上も前、仔細あって所謂都落ちし、伊豆の地で志とはかけ離れた生活を悶々として送っていたときのことだ。生涯の師と仰ぐ馬場駿氏が単身、私の勤務先の観光ホテルを訪れた。このとき師は、かつて私が在籍していた会社を資本金数十億円にまで大きくし、社長付常務取締役として八面六臂の活躍をしていた。秘書も不知のお忍び旅行だという。師は私と妻を夕餉に誘い、その場で泣かんばかりにして私の現状を嘆き憂えた。こんなところで何をしているのだと。

この師との出会いは劇的だった。この会社の横濱支社へ応募した際、私は身内の身元保証を得られなかった。三十五六まで夢を追い、赤貧洗うが如しのアルバイト生活を送っていた私の、言ってみれば身から出た錆。私は不採用という結果に甘んじるしかなかった。ところが後日、会社が突然再面接を申し入れてきた。当時会社顧問だった師が支社長へ指示をしたのだ。高校任意退学、文部省大検一回全科目合格、通信教育四年で大学の法科卒、以後法曹を目指して職業的には浪々。師は弾かれた履歴書群の中から私の一枚を拾い上げたのだ。一転私は採用、本来経済力が必要な保証人も、母が「私が産んだ」という証明をもってこれに代えて可、となった。調査はしたよと破顔一笑の師。M銀行支店長だったという師はある日、「僕は東大卒、京大卒いろいろ部下をもったが、君のようなタイプは初めてだ」と肩を叩いてくれた。その言葉の含意は今も不明だが、私は心でその言葉を受け止めた。

心の師が翌朝ホテルを去る際に至言をくれる。「大都会で金や地位欲しさに暗闘しているよりも、疲れ果てた人を癒す仕事の方が数段上かもしれないな。ゆうべは言い過ぎた。悪かった」。文通はその後も続いたが、師は難病に罹り終に帰らぬ人となった。私はホテルサービスという仕事から卑屈な想いを取り去った。師に認められた自分を思い出し、その事を支えにあらゆる屈辱に耐えた。処女出版「小説大田道灌」の筆名は馬場駿。自伝ではないが師に肯定された私の過去が入る連載小説「孤往記」も。あと一冊は筆名馬場駿でと、今は小説「疎石と虫」と向かい合う。(終り)


今日の散歩・・・梅雨空の昭和記念公園

2011年06月01日 | 写真

兎に角、広い公園です。寒いくらいの梅雨空の下を6km以上歩いて来ました。

緑の木々が茂り、芝生の広場があり、子供専用の遊び場もあります。日本庭園もあります。プールも大きな池もあります。平日なので子供が居なく、淋しいくらい静かでした。空気が新鮮で気分が良くなります。梅雨空なので暗いに写真になりましたが、新鮮な空気をご想像しながらお楽しみ下さい。

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大震災・大津波へは仏教もキリスト教も全然役に立たない、いや役に立った!

2011年06月01日 | 日記・エッセイ・コラム

信心すれば災いが来ない。神社・仏閣へ参拝し家内安全を祈れば平穏な生活が続く。カトリックの日本人もミサの間にマリア様へ家内安全と平和な暮らしをお願いして祈る。

しかし突然、大地震、大津波が起き、3万人近い人々の命が奪われたのです。家も、漁船も、田畑もすべて洗い流されてしまったのです。跡にはガレキの山が茫々と広がり、粉雪だけが舞い降りているのです。それはそれは寒々した光景です。

それまで先祖代々、仏様を信心し、念仏を唱え祈り続けて来たのに、全然役に立たなかったのです。仏教も耶蘇教も全然役に立たなかったのです。天災地変に対してこんなにも無力だったのです。神をうらみ、仏を信じなくなるのは当然です。バカバカしくて宗教なんか考えたくもありません。私は一瞬そのような気分になりました。

しかし私は一方では、非常に感動しました。日本人は立派な仏教徒だったのです。お釈迦様の教えにしたがってあらゆる執着心から逃れていたのです。最愛の家族を失い、財産を根こそぎ流されてしまっても静かにしています。修羅場のなかでも秩序を守ったのです。悲しみに打ちひしがれても顔には出しません。微笑みさえ浮かべます。それは徹底した無常感の向こう側に見える微笑みです。

感動したのは世界中の人々です。あらゆる宗教や国境を越えて感動したのです。

下の写真では人々がお寺へお賽銭を上げて家内安全を祈りに行く光景です。ありふれた光景です。しかしこのような事で人々は「家内安全」だけでなく深いお釈迦様の教えにふれて居たのです。

1549年にザビエルが日本に伝えた耶蘇教も同じことです。450年以上も「主の平和」と祈り続けた来たのに東日本には平和どころか大津波が襲い修羅場になってしまったのです。イエス様は残酷過ぎます。

しかしキリスト教の各地の教会は直ちに被災地の救援活動を始めました。ボランティアが全国から被災地復旧へ馳せ参じました。これは別にキリスト教には関係ありません。明治維新以来、日本に広がった西洋の博愛精神はイエス様の「汝の隣人を愛せ」という教えに基づいています。赤十字活動もイエス様の十字架を赤く塗って旗印にしているのです。そんな事はどうでも良いのですが。

3月11日の大震災の後、始めての日曜日にミサへ行きました。神父様が、「大震災で亡くなられた全ての人々へ神様の慈しみがありますように。限り無い慈しみが有りますように」と真剣に祈っていました。それを聞いて私は少し元気になりました。

「大震災・大津波へは仏教もキリスト教も全然役に立たない、いや役に立った!」、この問題は議論するのではなく心の中で静かに考える問題なのです。そして祈るのです。

きょうの祈りを下に書きます。そして、ご一緒にお祈りして頂ければ嬉しく思います。

亡くなった全ての人々を、お釈迦様が浄土へお迎えくださいますように!

そして亡くなった全ての人々の上に神様の限り無いいつくしみがありますように。

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