おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

荒川選手金メダルに、格差社会への思いを馳せる

2006-02-24 22:55:33 | 世間世界
 実際の競技の不振どころか、素行まで問題になっている日本選手団。
 ようやく荒川さんの金メダルで、何とかその影に隠れて、日本に帰って来ることが出来そうな雰囲気です。もしメダルが取れなかったら、選考会以来の不始末への批判が、またぞろ吹き出しそうだった、協会関係者もほっと一息というところでしょうか。
 マスコミも「荒川」「荒川」で、「すばらしい」「すばらしい」の大合唱。この前まで持ち上げていた選手の名を、ころっと忘れたかのようです。そのついでにTVでは、NHKをはじめ、民放テレビ局も、表彰式での君が代を繰り返し流す、流す、流す・・・。国家的威信をかけてなど、という言葉を忘れてはしゃいでいた、若い選手たちへのあてつけみたいにも見えてきます。
 それにしても、今回の日本選手の不振。あるラジオでは、北海道の長引く不況が大きな原因だとも。企業そのものの存立が危うい現在、たしかに冬季スポーツ競技からの相次ぐ企業の撤退は、選手層を薄くし、育成に手が回らないようです。特に冬季スポーツは、期間も装具も、また練習する場所なども海外遠征を中心に、莫大な経費のかかるスポーツです。
 個人が負担できる限度もあるようで、一人前の選手に育つまでには、家族はもとより、企業、関係者の献身的な物理的・精神的な支援体制も並一通りではなさそうです。今回の荒川さんの金メダルの影に、心身共に支援した方々の喜びの思いが伝わってきます。
 かつて日本のスポーツ選手育成は、高校・大学等の教育団体と企業・クラブ等の団体との競合、時には協力という体制で行っていました。それが、体操競技、水泳など、クラブスポーツでの指導が中心となり、他の競技へも波及しています。冬季スポーツも、高校・大学からスポンサー(企業)へと支援体制、指導体制へと移ってきたように思います。
 その企業が育成・支援から撤退すれば、選手層が薄くなるのは当然です。また、ジャンプ競技やスピードスケートなどは、将来がプロ化することなど望み薄ですから、早々と撤退するのでしょうか。そうした中で、フィギュア・スケートは、華やかなプロの世界も存在し、将来的にもそれで生活が成り立つスポーツだといえましょう。早くプロになって、これまでの金銭的な恩返しをしたいという選手もいるそうです。
 しかし、一方で、その育成は、小さい頃からの英才教育がその中心です。また指導費、リンク代、衣装代、遠征費など、どれ高額な投資が必要なスポーツです。最近は、どのスポーツでも英才教育で、ゴルフにしても卓球にしても、親がそのために支出する金額は莫大な金額です。今回も、一説に5千万、6千万以上のお金を持ち出していくことになるそうです。ここまでくると、スポーツも金次第、となりかねません。
 オリンピックの派遣費はどうなっているのか、定かではありませんが、全額が国庫からの持ち出しではないでしょう。また、選手として選ばれるに至るまでの経費は、ほとんどが個人負担でしょうか。いよいよスポーツ界も、貧乏人には手の出せる世界ではなくなりつつあるようです。
 たとえ見知らぬ、秘めたスポーツ的才能を有した子どもがいても、その才能を発揮できずに埋もれてしまうことも、多々あることでしょう。それをしかたがないことと考えるか、秘めた才能を引き出す、国家的なプロジェクトが必要だと考える人もいるでしょう。しかし、後者は、一時の社会主義国、現在の北朝鮮・中国など行っていることでしょうが、それでは、今の日本ではかえって問題が起きそうです。 それにしても、じわじわと忍び寄る経済格差が、スポーツ界での「勝ち組」「負け組」という格差にならないようにしたいものです。さらに、その「勝ち組」が君が代斉唱の放送のように、時の政治姿勢などにうまく利用されないように、監視する必要もまたありそうです。
 今や、静香フィーバーはとどまるところをしりません。本格的な景気回復の起爆剤とでもいうような。LD騒動やガセネタ民主騒動を忘れさせるような動きなのでしょうか。右も左も国会も企業も、国民の憂さ晴らしのはけ口として、今回の金メダル獲得を劇場スタイルで仕組んでいるとしたら・・・。空恐ろしい気がします。
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