教基法の公聴会。TM。文科省がやらせ発言要請。
教基法が大詰めになってきた、この時期になって。
いじめ、偽装単位問題が話題になっているうち。
大学入試の改善や今の教育課程の問題も、
いい加減に終わって、早くも採決。
そんな時、改正に賛成の立場から、やらせ発言を要請。
県教委の人選も依頼。3人の発言推薦者を決定、
文科省から提示された内容にそって発言。一人は欠席。
TMなる会のいかがわしさは昔から。
都合のいい発言者を事前に用意し、発言させる。
推薦の段階から、セレクト。
発言希望者を発言人数分、抽選で選ぶべきなのに。
事前に発言趣旨を把握し選ぶ、といううわさもこれまでしばしば。
これで、公聴会もやったことで、
国会での採決の手順を踏む。そのための形式なのでしょうね。
それにしても、戦後の教育を支えてきた教基法を変える
大事な公聴会(一部発言者とはいえ)がやらせではどうにもならない。
その程度の認識なのか、国会は。
文科省は、いよいよ念願の中央文部官僚による、国家統制を実現できる、
このことで、ホントに浮き足だっているようだ。
あらゆる手段による教員攻撃・組合攻撃をもとに、
組合(日教組)つぶしを成し遂げた。
こうして「不当な支配」(彼らの不当な支配とは組合支配の学校づくり)
を徹底的に排除できた彼ら。
今度は自分たちの意図する教師作り、生徒作りに乗り出していく。
ここに、戦後60年の悲願。これが叶う時がやっと来たのだ。
我が世の春とはこのこと。
今日の個人主義の弊害の「原点」が、教育基本法にある。
「私」から「公」へと主張。愛国心を入れることに執着。
少数のエリートと大勢の大衆とそのまとめとしての
「滅私奉公」「日の丸・君が代」。
天皇を頂点とする、戦前の国家主義ではない、
天皇は飾り物にした新たな国家主義が誕生していく。
その精神支柱は、天皇制にではなく、「国家」そのものへの忠誠心である。
仮にこうした施策に異議を唱える天皇・皇太子がいたら、
退位させてもかまわないくらいの貫徹ぶりではないか。
まさか政府・与党のいう「公」は「公明党」=創価学会のこと?
これへの忠誠心ではないことだけを願う。
今後の日本は、地獄への道を進むだけだから。
昔の道ではなく、新たな地獄への道だ。
教基法が大詰めになってきた、この時期になって。
いじめ、偽装単位問題が話題になっているうち。
大学入試の改善や今の教育課程の問題も、
いい加減に終わって、早くも採決。
そんな時、改正に賛成の立場から、やらせ発言を要請。
県教委の人選も依頼。3人の発言推薦者を決定、
文科省から提示された内容にそって発言。一人は欠席。
TMなる会のいかがわしさは昔から。
都合のいい発言者を事前に用意し、発言させる。
推薦の段階から、セレクト。
発言希望者を発言人数分、抽選で選ぶべきなのに。
事前に発言趣旨を把握し選ぶ、といううわさもこれまでしばしば。
これで、公聴会もやったことで、
国会での採決の手順を踏む。そのための形式なのでしょうね。
それにしても、戦後の教育を支えてきた教基法を変える
大事な公聴会(一部発言者とはいえ)がやらせではどうにもならない。
その程度の認識なのか、国会は。
文科省は、いよいよ念願の中央文部官僚による、国家統制を実現できる、
このことで、ホントに浮き足だっているようだ。
あらゆる手段による教員攻撃・組合攻撃をもとに、
組合(日教組)つぶしを成し遂げた。
こうして「不当な支配」(彼らの不当な支配とは組合支配の学校づくり)
を徹底的に排除できた彼ら。
今度は自分たちの意図する教師作り、生徒作りに乗り出していく。
ここに、戦後60年の悲願。これが叶う時がやっと来たのだ。
我が世の春とはこのこと。
今日の個人主義の弊害の「原点」が、教育基本法にある。
「私」から「公」へと主張。愛国心を入れることに執着。
少数のエリートと大勢の大衆とそのまとめとしての
「滅私奉公」「日の丸・君が代」。
天皇を頂点とする、戦前の国家主義ではない、
天皇は飾り物にした新たな国家主義が誕生していく。
その精神支柱は、天皇制にではなく、「国家」そのものへの忠誠心である。
仮にこうした施策に異議を唱える天皇・皇太子がいたら、
退位させてもかまわないくらいの貫徹ぶりではないか。
まさか政府・与党のいう「公」は「公明党」=創価学会のこと?
これへの忠誠心ではないことだけを願う。
今後の日本は、地獄への道を進むだけだから。
昔の道ではなく、新たな地獄への道だ。