おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

いじめは子どもの世界だけではない

2006-11-04 18:07:47 | つぶやき
いじめ。子どもの世界では、よくある話。
「よくある」ということ自体が、不謹慎な言い方だと言われそうな風潮。
でも、死ぬまで追い込むのは、そうそうない話ではある。

いじめを未然に防ぐことは、難しい。
せめて兆しをキャッチし、大事にならないうちに的確な対応。
東京都では、教師の言動がいじめにつながったときには、厳重に処分。
見て見ぬふりをしても、いじめに気づいて上司に報告しなかったら、
職務怠慢で処分。こういう厳しい方向を打ち出した。

これで、いじめがなくなれば幸い。
先生の目が光っている。「いじめはないか」「悪い子はいないか」
にらみを利かす学校体制。
かえって、いじめがますます陰湿になっていきはしないか、と余計な心配。

いじめに負けない子どもを育てる。これこそ「生きる力」を育む学校。
なんていう方針は、無責任すぎか。

でも、最近の子ども。大事に育てられてきて、
待っていても、自然と親たちが気を配って、
欲しいモノを手に入れられる環境。
自分の努力をさし置いて他人の力に依存しがち・・・。
自分で、逞しく生きる力が欠けている、
「うたれ弱い」子どもが増えているような気が。
もともと、今の「学習指導要領」。
「真に生きる力を培う」が大きな目標だったはずなのに。完全に失敗した!

いじめを肯定するわけではないが、
どうも、いじめ根絶運動が、他人の生命を大切にする発想とは切り離され、
ついには管理的な発想、学校の教育力の低下を意味しているような気がする。

いじめは、昔からあった。
仲間はずれ、シカト、からかい、
まさかそれが死に至らしめる行為とは、いじめる側には加害者意識がない。
福岡のケースでも、いじめ自殺のあとも、
別の子をいじめていた、同じ集団が。

なかには、親がいじめた子どもに危害を加える、学校に殴り込む・・・。
それでも、いじめはなくならない。
管理強化で根絶される、とは思えないのだ。

自殺は、生きている・生き残っている側への
非難、恨みの気持ちが、全くなくはないだろう。
親への感謝、先立つ不幸、許しの気持ち、罪の意識が含まれていても。
「なぜ自分だけが死ななければならないのか」

その結果、残された子ども、いじめていた子どもの心もまた傷つけられる。
というと、そんなバカな!
大切な生命を自ら失わざるを得なくなった、
子どもの立場・傷ついた心は、無視していいのか。
それが分かっていないのか、といじめられ死を選んだ子ども(親)は糾弾する。

社会が、まさに弱肉強食の修羅界に陥り、
すべてが数値による管理と競争原理。
力の強い者、学力の高い者、経済的に豊かな者がちやほやされる世の中。
そこから落ちこぼれた者は、より落ちこぼれた者を傷つけ、自己満足する。
他人を羨み、嫉妬し、け落とす。勝てば官軍!

実は、子どもの世界だけではない。
今や社会全体に蔓延している価値観。
足立区。学力テストの上位の学校には予算を増し、
ダメなところは減らす。
予算規模は決まっているのだから、そうならざるを得ない。
ここまで来たのか公教育は。

学力テスト上位へ。そのためのテスト、補習、模擬テスト。反復訓練。
究極の、カンニング奨励。出来ない子には、当日欠席の勧め。
何しろ金が絡むのだから、必死になってのテスト対策。
足立区の経済事情、家庭環境、地域環境・・・。一切無視しての教育施策。
これがアベさんの教育改革路線。イギリスのサッチャーさんの真似事。
そのイギリスが、反動で大変なことを知っていて、なおかつやろうとする。

今、子どもや親や地域を巻き込んで、
壮大な「いじめ」路線が行われようとしているのだ。
何人か犠牲者がでてくるのではないか。
子どもではなく、教師・学校運営者の側から。
コメント
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