今朝の「朝日」。
高校の必修漏れ次々発覚!と。本社調査で明らかに!
そして、もっときちんと調べよとの記事。
さかのぼって卒業生の分も調査、とも。
私学攻撃や教師攻撃につながる内容も掲載。
まるで、文科省の手先と化している。
なにしろ文科省。今回の教基法改「正」を機に、
これまで都道府県教育委員会に実権を握られていた
文部行政をいよいよ戦前のように
自分たちの思うままに牛耳っていくつもり。
その狙いの一つは、戦後の民主的な教育行政の要として存在した
各教育委員会の有名無実化の画策。
これこそ諸悪の根源だった!とでも言いたいような雰囲気。
教育委員会。公選制が任命制に変わって、
首長の意のままの人選のもとで、上意下達の組織になってはきている。
が、まだまだ市区町村。
教育経験者、学識者が委員となって、教育行政が行われてきている。
「つくる会」教科書の採択や日の丸・君が代強制で、
教育委員会の存在が問われることも最近は多くなってきた。
そういう弱点を持ちながらも、現在の教育基本法の精神・内容にそって、
教育行政・運営が行われている。
この制度を根本的になくそうというのが、文科省の意図。
今回のキャンペーンも、その一環とも言えそうだ。
さらに教師攻撃の材料。
東京都のイシハラ知事は、
「受験という実績で点数を稼ぐことに先生が腐心したら、
本当の教育者とは言えない。
そういう教育者を放置したのは文科省の責任じゃないの」と発言。
一面、たしかにその通りである。
しかし、今、東京都立高校ではどうなっているか。
進学重点校はどうなっているか。
その教師たちはどうなっているか。
教育委員会自ら、私立に負けるな!公立復権!
と大学受験の結果を重視し、
旧帝大・国立大学の合格者
難関有名私立大学の合格者
の数値目標数をチャックし、競争を煽っているようだ。
それを教育委員会で報告させ、あれこれ注文をつける、
この委員らは、皆、知事が任命した「有識者」と称する方々。
これで、ご自分の責任はないのか。
多くの先生は、こういう受験戦争を煽る立場ではなく、
じっくり子どもたちとかかわって、
確かな学力をつけさせ、生き方を学ぶ中で、
それぞれの子どもたちに豊かな進路を保障してやりたい
と思っているはず。好んで受験指導ばかりをしているのではないと思う。
一方、こうした受験を読者に迎合し、部数伸ばしのために
積極的に高校別の合格者を掲載している新聞社系週刊誌。
新聞と週刊誌とは編集体制が違うから、俺たちには責任がない!
これが今朝の朝日の記者・編集部の立場なのだろう。
きちんと批判してみたらどうだ!こうした合格数煽り立て記事に対して。
「サンデー毎日」から始まったように思うが、
今や1月から3月まで毎週のように書き立てて煽っている。
このことに対して、社内では批判の声はないのか!
それはまだいい方だ!最も大事な視点が欠けている。
「学習指導要領」の法的拘束性の疑義について全く触れていないのだ!
ずいぶん前、家永教科書裁判では、このことが一番の争点となった。
このとき、朝日では積極的に家永裁判の記事を掲載し、
学習指導要領はあくまでも大綱的基準であり、
学校を画一的に縛るものではないと主張していたように思う。
また、君が代・日の丸の強制の時にも、
指導要領の法的根拠に言及しながら、
強制反対の論陣を張っていたのではなかったか。
讀賣やサンケイとは違ったスタンスで、
教育問題には対処していたのではなかったか。
今、教育、とりわけ公教育への批判、意図的な教師批判が渦巻く中で、
もっと教育の原点に立ち返った議論。
それを起こす方向で記事を書くべきではないか。
鬼の首でも取ったかのように行っている、
文科省の回し者的キャンペーンは、
ただちにその方向を変えるべきである。
少なくとも「言論戦」の朝日新聞ならば。
高校の必修漏れ次々発覚!と。本社調査で明らかに!
そして、もっときちんと調べよとの記事。
さかのぼって卒業生の分も調査、とも。
私学攻撃や教師攻撃につながる内容も掲載。
まるで、文科省の手先と化している。
なにしろ文科省。今回の教基法改「正」を機に、
これまで都道府県教育委員会に実権を握られていた
文部行政をいよいよ戦前のように
自分たちの思うままに牛耳っていくつもり。
その狙いの一つは、戦後の民主的な教育行政の要として存在した
各教育委員会の有名無実化の画策。
これこそ諸悪の根源だった!とでも言いたいような雰囲気。
教育委員会。公選制が任命制に変わって、
首長の意のままの人選のもとで、上意下達の組織になってはきている。
が、まだまだ市区町村。
教育経験者、学識者が委員となって、教育行政が行われてきている。
「つくる会」教科書の採択や日の丸・君が代強制で、
教育委員会の存在が問われることも最近は多くなってきた。
そういう弱点を持ちながらも、現在の教育基本法の精神・内容にそって、
教育行政・運営が行われている。
この制度を根本的になくそうというのが、文科省の意図。
今回のキャンペーンも、その一環とも言えそうだ。
さらに教師攻撃の材料。
東京都のイシハラ知事は、
「受験という実績で点数を稼ぐことに先生が腐心したら、
本当の教育者とは言えない。
そういう教育者を放置したのは文科省の責任じゃないの」と発言。
一面、たしかにその通りである。
しかし、今、東京都立高校ではどうなっているか。
進学重点校はどうなっているか。
その教師たちはどうなっているか。
教育委員会自ら、私立に負けるな!公立復権!
と大学受験の結果を重視し、
旧帝大・国立大学の合格者
難関有名私立大学の合格者
の数値目標数をチャックし、競争を煽っているようだ。
それを教育委員会で報告させ、あれこれ注文をつける、
この委員らは、皆、知事が任命した「有識者」と称する方々。
これで、ご自分の責任はないのか。
多くの先生は、こういう受験戦争を煽る立場ではなく、
じっくり子どもたちとかかわって、
確かな学力をつけさせ、生き方を学ぶ中で、
それぞれの子どもたちに豊かな進路を保障してやりたい
と思っているはず。好んで受験指導ばかりをしているのではないと思う。
一方、こうした受験を読者に迎合し、部数伸ばしのために
積極的に高校別の合格者を掲載している新聞社系週刊誌。
新聞と週刊誌とは編集体制が違うから、俺たちには責任がない!
これが今朝の朝日の記者・編集部の立場なのだろう。
きちんと批判してみたらどうだ!こうした合格数煽り立て記事に対して。
「サンデー毎日」から始まったように思うが、
今や1月から3月まで毎週のように書き立てて煽っている。
このことに対して、社内では批判の声はないのか!
それはまだいい方だ!最も大事な視点が欠けている。
「学習指導要領」の法的拘束性の疑義について全く触れていないのだ!
ずいぶん前、家永教科書裁判では、このことが一番の争点となった。
このとき、朝日では積極的に家永裁判の記事を掲載し、
学習指導要領はあくまでも大綱的基準であり、
学校を画一的に縛るものではないと主張していたように思う。
また、君が代・日の丸の強制の時にも、
指導要領の法的根拠に言及しながら、
強制反対の論陣を張っていたのではなかったか。
讀賣やサンケイとは違ったスタンスで、
教育問題には対処していたのではなかったか。
今、教育、とりわけ公教育への批判、意図的な教師批判が渦巻く中で、
もっと教育の原点に立ち返った議論。
それを起こす方向で記事を書くべきではないか。
鬼の首でも取ったかのように行っている、
文科省の回し者的キャンペーンは、
ただちにその方向を変えるべきである。
少なくとも「言論戦」の朝日新聞ならば。