おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

永田町・赤坂見附

2010-12-12 16:00:21 | つぶやき
 地下鉄の駅は永田町、赤坂見附と入り組んでいるが、それぞれ接するように作られています。日本の中枢機関の集中する永田町。商業ビルやオフィスビルが集中している赤坂見附。どちらも、高速道路が上を覆うように走っています。
 1962(昭和37)年当時は、赤坂見附付近は、ちょっと裏道にはいると、料亭、飲み屋さん、平屋建て、二階建ての住宅、低層、中層の集合住宅が建ち並んでいました。永田町の官庁もまだまだ古い建物が並んでいたり・・・。
 今やホテルやオフィスビルなど一大高層ビル街。官庁の建物も一新。活気がある反面、無機的な印象も。変わらないのは、都立日比谷高校脇の新坂など、上ったり下ったりするたくさんある坂道と弁慶橋から見るお堀くらいですか。
日比谷高校への坂道の途中、超高層ビル脇の遊歩道と竹林。
 ところで、この超高層ビル「プルデンシャルタワー」。2002(平成14)年にオープンしました。外堀通りに沿い、1、2階がレストランなどの店舗、中層の3~24階がオフィス、上層の26階以上が高級賃貸マンションになっています。オフィス部分には、プルデンシャル生命保険株式会社の本社をはじめ、プルデンシャル・ファイナンシャルグループのジブラルタ生命保険等が入居しているとか。
 この地にはかつて、1960(昭和35)年に開業したホテルニュージャパンが存在していましたが、1982(昭和57)年2月に33人の死者を出した大火災が発生、営業禁止処分を受けて廃業しました。跡地の処分がなかなか決まらず、ニュージャパンとそのオーナーである横井英樹の債権者として差し押さえた千代田生命保険が所有者となった後も、1996(平成8)年に解体されるまでホテルは廃墟のまま放置されていました。
 その年から千代田生命が再開発事業に着手し、タワーの建設が始まりましたが、4年後に千代田生命が経営破綻。当時建設中だったタワーについてはプルデンシャル生命保険が買収。以後は森ビルと共同で建設が進められました。廃墟当時の面影はまったくありませんが、長い間放置されていたビルは、いまでも印象に残っています。
ホテルニューオータニ
赤坂見附交差点
弁慶橋からのお堀。
フユザクラ。文字通り冬に咲く「桜」。赤坂見附の交番脇に二本植えられています。珍しいですね。

 
コメント
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