おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「シンドラーのリスト」(古きよき映画シリーズその7)

2012-11-29 20:19:31 | 素晴らしき映画
 劇場で観たときの印象は強烈でした。特に赤い服を着た少女の姿。この子だけがカラーで。終幕近くでこの女の子が無造作に他の遺体とともに捨てらるシーン(もともとある映画手法でしょうが、モノクロの中で一点だけ赤色、というのが印象的でした。ちなみに最近のCMでよく見かけます。「強調」するだけの効果を狙うのか、少し違和感を)。
 1939年、ドイツ人実業家でナチ党員のオスカー・シンドラーは、金儲けをしようとナチスが侵攻したポーランド南部の都市クラクフにやって来る。彼は持ち前の社交性と酒や金で軍の幹部たちに取り入り、ユダヤ人の所有していた工場を払い下げてもらう。ユダヤ人会計士のイツァーク・シュテルンに経営をゆだねたシンドラーは、軍用ホーロー容器の事業を始める。
 41年3月、ゲットー(居住区)に押し込まれたユダヤ人を労働力として雇い入れ、事業は順調に進む。
 43年2月、ゲットーが解体され、ユダヤ人たちはプワシュフ収容所に送られることになった。ゲットーが閉鎖される当日、シンドラーは、小高い丘からその様子を目撃する。SS隊員たちは住民を追い立て、抵抗する者、隠れようとする者、病人などを次々と銃殺する。阿鼻叫喚の地獄図の中、赤いコートを着た少女が歩くシーンが印象的。
 収容所に着任したアーモン・ゲート少尉は所内を見下ろす邸宅で、気分の赴くままにユダヤ人を無造作に射殺していく。シンドラーは、賄賂などで軍幹部の歓心を得て、ユダヤ人労働者を譲り受け、私設の収容所(SS隊員を立ち入らせない)を作ることを許可される。
 44年、敗色が濃くなったナチスドイツは、ユダヤ人を「アウシュヴィッツ」等の「絶滅収容所」へ送り込みはじめた。シンドラーはチェコに工場を移すという理由で、ユダヤ人労働者を要求する。リストアップされたのは1200人。途中、女性たちが手違いでアウシュヴィッツへ移送されたが、シンドラーは彼女たちを救い出す。彼の工場は武器弾薬の製造にも、徹底して不良品を作ることで抵抗する。
 45年、ドイツ無条件降伏により、ユダヤ人は開放された。救われたユダヤ人たちの感謝の念と涙に見送られながら、シンドラーは別れを告げる。シュターンが自らの金歯から作った指輪をシンドラーにプレゼントした。そこに刻まれていた言葉―「一人の命を救う者が世界を救う」。

《そのときの会話》
「もっと救い出せた。その努力をしていれば、もう少し努力を。」

「オスカー、あなたはここの1100人を救ったんです。」

「金があれば・・・あんなバカなムダ遣いを。バカだった。」

「彼らから新しい世代が育ちます。」

「もっと大勢を。」

「こんなに救って?」

「車を売れた、アーモンへ。この車で10人を救えたはずだ。10人だぞ。あと10人を。このバッジで2人、救えた。金だから、2人は救えた。アーモンなら2人と交換した。例え1人でもいい。1人救えた。人間1人だぞ。このバッジで。努力すれば、もう1人救えたのに、しなかった。救えたのに。」・・・

 史実によれば、プワシュフでは「彼の」労働者たちの誰一人として不自然な死を遂げたものもなく、また絶滅収容所に送られたものもなかった。また、戦争の終盤、シンドラーはドイツに移ったが、彼はその時1ペニヒ(現在の円換算では約1円)すら持っていなかった、という。

 今回のDVDには、特典としてその時シンドラーに救われ、生存している人たちの証言が収録されています。ホロコーストの生々しい証言です。と同時に、シンドラーへの感謝の思いが切々と伝わってきます。
 映画の中でも、シンドラーの墓の上に生存者達がいろいろな思いを込めて次々と小石を置くシーンが感動的でした。
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