《あらすじ》
新作の執筆に行き詰まっていた中年の女性推理作家サラは、出版社の社長ジョンが所有する南フランスにある別荘を紹介され、出かけることに。庭先のプールの覆いをめくると、枯れ葉が浮き汚れている。
新天地で気分も一新し、パソコンで執筆を始めたある夜、ジョンの娘と名乗る「ジュリー」がやって来る。ジュリーは枯葉の浮くプールを全裸で泳ぐ。
昼食に出かけたサラは、別荘へ戻り自室で昼寝をする。ジュリーは、白いワンピースの水着で泳ぎ、プールサイドでまどろんでいると、サラが昼食に通うカフェのウェイターであるフランクが立っていた。
サラは、次々と男を誘い込み、奔放な振舞いをするジュリーに惑わされながらも、次第に関心を持ち始める。ジュリーの日記を盗み読み、プールサイドに落ちていたジュリーの下着を拾い、自室にしまい込み、執筆を進める。
新たにジュリーが連れてきた男は、フランク。3人で踊るが、そのうちサラはフランクと濃厚なダンスを始める。それに嫉妬するジュリー。ジュリーはフランクと真夜中のプールで全裸で戯れる。ベランダ越しに目撃したサラは、プールに石を投げ込む。
翌日、プールは覆われている。巻き取ると、ジュリーが使っているビーチチェアが投げ込まれていた。
サラは、ジュリーがフランクを殺害したことを知り、二人で死体を庭に埋め、衣類は焼く。ジュリーは、サラの作品「ジュリー」も証拠になるから焼いて欲しいと頼む。
その翌日、別荘の管理人マルセルに庭の異変に気づかれたサラは、自ら全裸の姿をさらしてマルセルを自室に誘う。
ジュリーは、サントロペのレストランで働くと告げて別荘を出る。燃やされたはずの母の小説コピーが、サラ宛に残されていた。
・・・。
《監督》
フランソワ・オゾン
《脚本》
フランソワ・オゾン
エマニュエル・ベルンエイム
《キャスト》
シャーロット・ランプリング - サラ
リュディヴィーヌ・サニエ - ジュリー
チャールズ・ダンス - ジョン
ジャン=マリー・ラムール - フランク
マルク・ファヨール - マルセル
この作品。最後まで見終わると、ミステリアスな印象が残る。誰の『現実』を描いているのか。展開の上で、どこまでが現実で、どこが空想場面なのか。例えば、プールサイドでまどろんでいる白い水着のジュリーの横に立つフランク、二人がそれぞれ自慰する場面。
ジュリーの正体も? サラの空想上の産物なのか、とも(最後のシーンで登場するジュリーはまるで他人)。
映画の中で、スイミング・プールは、最初、シートで覆われ落ち葉やゴミだらけのままだったのがさーっと取り払われると、きれいな水面が現れるシーン。あるいは、サラの部屋の十字架。取り払い戸棚にしまったはずのものが駆けられている。・・・
裸のシーンやセックスシーンが多いのに惑わされ、表面的にはそれほど複雑でない(ようにみえる)ストーリーを追っているうち、台詞や登場人物を見逃すとちょっとしたどんでん返しにあい、あれ! という風になってしまう。その意味では、目も心も(頭も)楽しませてくれる作品です。
シャーロット・ランプリング。存在感のある演技を披露。
リュディヴィーヌ・サニエ。魅力的で、観た映画(DVD)では、「La petite Lili」に出演している。
この映画は、チェーホフの代表的戯曲「かもめ」になぞらえて制作された作品。内容的には、それほどいい出来ではなかったが。
ただ明るい太陽と島々の風景がすばらしかった。女優になることに憧れる女主人公(サニエ)が中年の映画監督に誘われ、都会に出て行こうとする場面。
「かもめ」の台詞を語る場面。映画監督を目指す恋人が撮ったビデオに出演したときのシーン。この上映会でもめ事が起こり、話が展開していく。「私はかもめ、いいえ、私は女優」という名台詞は、残念ながら出てこなかった。
新作の執筆に行き詰まっていた中年の女性推理作家サラは、出版社の社長ジョンが所有する南フランスにある別荘を紹介され、出かけることに。庭先のプールの覆いをめくると、枯れ葉が浮き汚れている。
新天地で気分も一新し、パソコンで執筆を始めたある夜、ジョンの娘と名乗る「ジュリー」がやって来る。ジュリーは枯葉の浮くプールを全裸で泳ぐ。
昼食に出かけたサラは、別荘へ戻り自室で昼寝をする。ジュリーは、白いワンピースの水着で泳ぎ、プールサイドでまどろんでいると、サラが昼食に通うカフェのウェイターであるフランクが立っていた。
サラは、次々と男を誘い込み、奔放な振舞いをするジュリーに惑わされながらも、次第に関心を持ち始める。ジュリーの日記を盗み読み、プールサイドに落ちていたジュリーの下着を拾い、自室にしまい込み、執筆を進める。
新たにジュリーが連れてきた男は、フランク。3人で踊るが、そのうちサラはフランクと濃厚なダンスを始める。それに嫉妬するジュリー。ジュリーはフランクと真夜中のプールで全裸で戯れる。ベランダ越しに目撃したサラは、プールに石を投げ込む。
翌日、プールは覆われている。巻き取ると、ジュリーが使っているビーチチェアが投げ込まれていた。
サラは、ジュリーがフランクを殺害したことを知り、二人で死体を庭に埋め、衣類は焼く。ジュリーは、サラの作品「ジュリー」も証拠になるから焼いて欲しいと頼む。
その翌日、別荘の管理人マルセルに庭の異変に気づかれたサラは、自ら全裸の姿をさらしてマルセルを自室に誘う。
ジュリーは、サントロペのレストランで働くと告げて別荘を出る。燃やされたはずの母の小説コピーが、サラ宛に残されていた。
・・・。
《監督》
フランソワ・オゾン
《脚本》
フランソワ・オゾン
エマニュエル・ベルンエイム
《キャスト》
シャーロット・ランプリング - サラ
リュディヴィーヌ・サニエ - ジュリー
チャールズ・ダンス - ジョン
ジャン=マリー・ラムール - フランク
マルク・ファヨール - マルセル
この作品。最後まで見終わると、ミステリアスな印象が残る。誰の『現実』を描いているのか。展開の上で、どこまでが現実で、どこが空想場面なのか。例えば、プールサイドでまどろんでいる白い水着のジュリーの横に立つフランク、二人がそれぞれ自慰する場面。
ジュリーの正体も? サラの空想上の産物なのか、とも(最後のシーンで登場するジュリーはまるで他人)。
映画の中で、スイミング・プールは、最初、シートで覆われ落ち葉やゴミだらけのままだったのがさーっと取り払われると、きれいな水面が現れるシーン。あるいは、サラの部屋の十字架。取り払い戸棚にしまったはずのものが駆けられている。・・・
裸のシーンやセックスシーンが多いのに惑わされ、表面的にはそれほど複雑でない(ようにみえる)ストーリーを追っているうち、台詞や登場人物を見逃すとちょっとしたどんでん返しにあい、あれ! という風になってしまう。その意味では、目も心も(頭も)楽しませてくれる作品です。
シャーロット・ランプリング。存在感のある演技を披露。
リュディヴィーヌ・サニエ。魅力的で、観た映画(DVD)では、「La petite Lili」に出演している。
この映画は、チェーホフの代表的戯曲「かもめ」になぞらえて制作された作品。内容的には、それほどいい出来ではなかったが。
ただ明るい太陽と島々の風景がすばらしかった。女優になることに憧れる女主人公(サニエ)が中年の映画監督に誘われ、都会に出て行こうとする場面。
「かもめ」の台詞を語る場面。映画監督を目指す恋人が撮ったビデオに出演したときのシーン。この上映会でもめ事が起こり、話が展開していく。「私はかもめ、いいえ、私は女優」という名台詞は、残念ながら出てこなかった。